南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(5:狼)
○狼、日本紀卷十九に、秦大津父[やぶちゃん注:「はたのおほつち」。]、二狼相鬪ひ血に汚れたるを見、下馬して口手を洗漱[やぶちゃん注:「せんそう」。]し祈請して、汝是れ貴神云々と言し由見えたれば、「おほかみ」に大神の義有るなるべし、古え[やぶちゃん注:ママ。]歐州にも、狼を神使となせし事 Gubernatis, ‘Zoological Mythology, ’ 1872, vo1. ii. p. 145. に出づ、丹後國加佐郡、大川大明神は狼を使者とす、或は狼大明神とも呼り、其近邊の山々に、狼多きも人を害せず、諸國に猪鹿出て田穀を害する時、彼神に申し、日數を限りて狼を假し玉はん事を祈れば、狼速かに其鄕の山に來り居て、猪鹿を追ひ治むとぞ、武州秩父三峯神社、其山に狼多し、其神に祈れば、狼來りて、猪鹿を治め又其護符を賜り持つ人は、其身殃害[やぶちゃん注:「あうがい」。「殃」は災害・不幸の意。災害。]に遭はず、盜難無しと云(伴信友驗の杉)大和の玉置山の神、狼を使とする事、委しく昨年五月の本誌に予之を述たり、山二二四頁に、武州御嶽より出す札守に、狼を畫き盜火の難を禦ぐとせるは、犬を誤りし者のとせり、家犬の祖先が狼また「ジヤツカル」より出たるは、學者間既に定論あり、熊野で獵犬として珍重さるゝ太地犬(タイヂイヌ)といふ種は、元と狼を畜って出來しと言傳ふ、往年予往英の時、故「ハクスレー」氏の講話に、人間將來多望の由を述るとて、牧畜の大阻害者たる狼を畜ふて、之に大利益ある牧羊犬を化成せる、人間の忍耐を稱讃せるを聽り、されば玉置山に犬吠の杉あるも、實は狼吼の杉の意にて、太古犬狼未だ分立せざりし時の薰習[やぶちゃん注:「くんじふ」。]を存する名なるべく、御嶽の札守に狼を畫て盜火を禦ぐとするも、其基因無きに非じ、予は動物學に暗けれども每度山民に質すに、本邦の狼に、本種の外に山犬と稱する惡種[やぶちゃん注:平凡社「選集」は「亞種」とする。文脈の流れからは、それが正しいように思われる。但し、無論、「ヤマイヌ」という生物学上の亜種はいない。]有るものゝ如し、日本犬は之よりや分れつらむ、昔通に之に豺[やぶちゃん注:音「サイ」、訓「やまいぬ」。]の字を充つ。「モレンドルフ」の說に、豺は素と淸俗所謂小紅狼とて、「ジヤツカル」の一種の Canis ruitlus Pallas. を指せしも、今は狼をも、「ジヤツカル」をも、支那人豺狼と通稱すと云り、(Journal of the North China Branch of the Roy. As. Soc., xi, pp. 49―50, Shanghai, 1877.) されば日本の山犬は正しき豺に非ず、又英語「ジヤツカル」は、波斯[やぶちゃん注:「ペルシア」。]語「シヤガール」、梵語「スルガーラ」に出づ、支那で野干と音譯せる、その獸の性甚狡智有る樣、佛經に見ゆるより推量もて日本で狐も野干と心得るに及びし也。
[やぶちゃん注:「日本紀卷十九に、……」「日本書紀」巻第十九の巻頭部分の、「欽明天皇」の即位前の部分に、
*
天皇幼時夢。有人云。天皇寵愛秦大津父者。及壯大。必有天下。寤驚、遣使普求。得自山背國紀伊郡深草里。姓字果如所夢。於是忻喜遍身。歎夫曾夢。乃告之曰。汝有何事。答云。無也。但臣向伊勢。商価來還。山逢二狼相鬪汚血。乃下馬洗漱口手。祈請曰。汝是貴神。而樂麁行。儻逢獵士。見禽尤速。乃抑止相鬪。拭洗血毛。遂遣放之。俱令全命。天皇曰。必此報也。乃令近侍。優寵日新。大致饒富。及至践祚。拜大蔵省。
*
天皇(すめらみこと)幼き時の夢に、人、有りて云はく、
「天皇、寵愛せる秦大津父(はたのおほつち)は、壯大(さうだい)[やぶちゃん注:]壮年。に及べば、必ず、天下(てんかをさ)むる有り。」
と。寤-驚(めざ)めて、使をして普く求めしむ。
山背國(やましろのくに)紀伊郡(きいのこほり)深草の里より得たり。姓(かばね)の字(あざな)、果して夢みしがごとし。是に於いて、忻喜(きんき)遍身して、夫(そ)れ、曾ての夢を歎き[やぶちゃん注:夢との合致を見て感嘆し。]、乃(すなは)ち、之れに告げて曰はく、
「汝、何事か有る。」
と。答へて云はく、
「無きなり。但し、臣、伊勢へ向ひ、商-価(あきな)ひして還へり來たるとき、山に二狼の相ひ鬪ひて血に汚れたるに逢ふ。乃ち、下馬し、口と手を洗ひ漱(すす)ぎて、祈請してはく、
『汝ら、是れ、貴神なるも、麁行(そかう)[やぶちゃん注:行動の荒々しいこと。]なるを樂しむ。儻(も)し、獵士に逢はば、尤も速かに禽(と)らるべし。』
と。乃ち、相ひ鬪ふを抑へ止め、血(ちだ)る毛を拭ひ洗へば、遂に之れを放ち遣れり。俱に命(いのち)を全うせしむ。」
と。天皇、曰はく、
「必ずや、此の報ひあるなり。」
と。乃ち、近侍せしめ、優に寵されんこと、日に新らし。大きに饒富(ぜうふ)に致る。践祚に至るに及び、大蔵省(おほくらのつかさ)を拜す。
*
とある(読みはネット上の複数の訓読を参考にオリジナルに訓読したもので、正規の学者の読みではない)。
「Gubernatis, ‘Zoological Mythology’, 1872, vo1. ii. p. 145.」「Gubernatis」はイタリアの文献学者コォウト・アンジェロ・デ・グベルナティス(Count Angelo De Gubernatis 一八四〇年~一九一三年)で、著作の中には神話上の動植物の研究などが含まれる。この「動物に関する神話学」は「Internet archive」のこちらで当該原本が見られ、そこの右ページ中央に、
*
In La Fontaine, the shadow of the wolf makes the sheep flee in the evening. As a hero transformed, the wolf has a benignant aspect in legends.
*
とあって、脚注も附されてある。それによって、これは、さらに十七世紀フランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(Jean de la Fontaine 一六二一年~一六九五年)の詩篇をもとにしていることが判る。
「丹後國加佐郡、大川大明神は狼を使者とす」京都府舞鶴市大川にある大川神社(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。Kiichi Saito 氏のサイト「丹後の地名 地理・歴史資料集」の「大川神社」に、『現在の祭神は保食神』(うけもちいのかみ)他とあり、『顕宗天皇元年』三月に『五穀と桑蚕の種を持って金色の鮭に乗った神が垂迹し』、『大川の地に鎮座したという託宣が由良の漁師野々四郎にあり、同年』九月に『社殿を造営したことにはじまるなどと伝える。由良の冠島』(かんむりじま)『より遷座したという「丹後旧事記」の説もある。もとは山上に鎮座していたらしいこと、食鮭の禁忌が村人にあったことなどが伝わる』とある。後の方に「丹哥府志」の同神社の引用がなされてあるが、その終わりの方に、『愚按ずるに、是歳神階天一位に叙せらるといふは審ならず、恐らくは年暦を誤るならん。社内に御駒といふものあり一尺余りもある石の駒犬なり、其数幾何ある事をしらず、凡疫癘痘瘡などの流行或は狐狸の類祟をなす時、處々に御駒をかりる(御初穂銀十二匁或は廿四匁、各其次第あり)極て霊験あり、土人の説に、大川大明神は猿の神なり』、『其氏子の地に於て』、『狼の害することなし、又其御駒をかりる時は必』、『狼』、『其郷に来りて妖怪を防ぐといふ、往々其言を試るに誣』(し)『ふべからざることあるに似たり』とあるのが目を惹き、さらに、サイト主は、この大川神社の『本来の主祭神は狼=鍛冶屋ではなかったかと思われる』と述べておられる。次いで「舞鶴市内神社資料集」の「神名帳考証三十八 伴信友全集」と書誌する引用にも、『在二大川村水辺一信友云今大河原大明神トイフ若狭国人猪鹿の田を傷ふを愁ひて此神に祈て狼を借るといふ事あり其祈願に詣でて帰らぬほどに既に其村へ狼来りゐるゆゑ猪鹿出ずかくて其定めて借たる日限をすぐれば一つも居らずと云ふこの事慥なる事なり』と引き、また「宮津府志」から、『當社は田辺領に属して加佐郡の大社也、国俗云當社の神使は狼なり』、とあってさらに、『當国近国にて田地へ猪鹿の属出て害を爲す時』、『其村より當社に祈誓をかくれば』、『必ず』、『神使の狼』、『其地に至て田地を護す』。『猪鹿の属遠く逃げ去て害をなさずとなり、此外當社の神異奇瑞多しとなり』とあることを以って、熊楠の叙述が間違いないことが判る。
「武州秩父三峯神社」埼玉県秩父市三峰にある三峯神社。神道嫌いの私には珍しく参ったことがあり、狼を描いた護符も今も居間に飾ってある。
「伴信友驗の杉」冒頭で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの「伴信友全集 第二巻」(明治四〇(一九〇七)年国書刊行会刊)のこちらで当該部が読める。左ページの上段四行目からは先に引いた「日本書紀」の話が載り、十四行目からは、やはり先の「大川大明神」が出て、下段二行目から、この「秩父三峯神社」が記載されており、熊楠は別段、オリジナルな引用のように誤魔化すつもりはなかったことは認めるが、実際には、この冒頭全体は、どれも、この「驗の杉」(しるしのすぎ)に依拠したものであることが判る。
「大和の玉置山」奈良県吉野郡十津川村にある玉置山。大峰山系の最南端に位置するピークで標高千七十六メートル。熊楠のフィールド・ワーク圏内。
「委しく昨年五月の本誌に予之を述たり」明治四二(一九〇九)年五月発行の『東京人類學會雜誌』の「雜錄」所収の『出口君の「小兒と魔除」を讀む』を指す。「j-stage」のこちら(PDF)で初出原文全文が視認出来る。当該部は三一〇ページ下段中央からの一節で三一一まで続く。以下に電子化しておく。
*
大和吉野郡十津川の玉置山は海拔三千二百尺と云、予も昨秋末詣しが、紀州桐畑より上るは、道頗る險にして水無く、甚き難所也、頂上近く大なる社あり、其神狼を使ひ物とし、以前は狐に附れしもの、いかに難症なりとも此神に祈り蟇目を行ふに退治せずと云事なく、又狐人を魅し、猪鹿田圃を損ずるとき此社に就て神使を借るに、或は封の儘或は正體のまゝ渡しくれる、正體のまゝの塲合には、使の者の歸路、之に先ち神使狼の足跡を印し續くるを見、其人家に達する前、家領の諸獸悉く逃畢るといふ、又傳ふるは、夜行する者自宅出るに臨み、「熊野なる玉置の山の弓神樂」と歌の上半を唱ふれば、途上恐ろしき物一切近かず、扨志す方え[やぶちゃん注:ママ。]着したる時、「弦音きけば惡魔退く」とやらかす也と、前述送る狼の譚は、之れを言へる歟、社畔に犬吠の杉あり、其皮を削り來て、田畑に挿み惡獸を避しと云、守禦の功犬に等しといふ意か、事體斯の如くなれば、虎狼を以て小兒をすかすは、魔除と何の關係なきと同時に、吾邦從來狼を魔除に用る風有しは、疑を容れずと断言し置く 序に一言するは、今日は知ず、二十年ばかり前迄、紀伊藤白王子社畔に、楠神と號しいと古き楠の木に、注連結びたるが立りき、當國、殊に海草郡、就中予が氏とする南方苗字の民など、子産るゝ每に之に詣で祈り、祠官より名の一字を受く、楠、藤、熊など是也、此名を受し者、病ある都度件の楠神に平癒を禱る、知名の士、中井芳楠、森下岩楠抔皆此風俗に因て名られたるものと察せられ、今も海草郡に楠を以て名とせる者多く、熊楠などは幾百人あるか知れぬ程なり、予思ふに、こは本邦上世「トテミズム」行はれし遺趾の殘存せるに非るか、三島の神池に鰻を捕るを禁じ、祇園の氏子胡瓜を食はず、金毘羅に詣る者蟹を食はず、富士に登る人鰶[やぶちゃん注:「このしろ」。]を食はざる等の特別食忌と併せ攷ふるを要す、上文玉置山の狼も亦、其地に多き玉置一族の「トテム」たりしに非るか[やぶちゃん注:一部句点のないのはママ。]
*
「山二二四頁に、武州御嶽より出す札守に、狼を畫き盜火の難を禦ぐとせるは、犬を誤りし者のとせり」私の『山中笑「本邦に於ける動物崇拝」(南方熊楠の「本邦に於ける動物崇拝」の執筆動機となった論文)』の「此等の動物崇拜さるゝ原因 其一 各自に就て」の中の「犬と狼」の条で、
*
犬と狼 御嶽三峯、金峯椿埜、其他、諸國に犬を書きたる戶守を出す神社あり。犬の門戶を守るよう、盜賊、火災を知らず、と信じたるより起りしなれど、狼は門を守る如き獸にもあらぬに、武藏御嶽より出す札守には、狼を𤲿き、其上に大口眞神と記せり。萬葉集に「大ロの眞神(マガミ)の原に」と云へるあれど、狼の口、大きなるをいふにて、まがみは眞神(マガミ)の意にあらず。嚼(カム)にて、眞に甚敷[やぶちゃん注:「はなはだしき」。]を云ふにて、神のことにあらず。此の如き誤りより、狼の𤲿、守を信ず者あるに到れり。
*
の後半部を指す。
「家犬の祖先が狼また「ジヤツカル」より出たるは、學者間既に定論あり」ここで整理しておく。「家犬」は、
哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目 Laurasiatheria 食肉(ネコ)目イヌ亜目イヌ下目イヌ科イヌ亜科イヌ族イヌ属タイリクオオカミ亜種イエイヌ Canis lupus familiaris
であり、「狼」は、
哺乳綱食肉目イヌ亜目イヌ科イヌ亜科イヌ属タイリクオオカミ亜種ヨーロッパオオカミCanis lupus lupus 及び、本邦に限るならば、本邦に棲息していたが、孰れも我々が日本人が絶滅させてしまったタイリクオオカミ亜種ニホンオオカミCanis lupus hodophilax(北海道と樺太を除く日本列島に棲息していた)と、同亜種エゾオオカミ Canis lupus hattai(樺太と北海道に棲息していた)
であり、「ジヤツカル」は、
イヌ属キンイロジャッカル Canis aureus
ヨコスジジャッカル Canis adustus
セグロジャッカル Canis mesomelas
アビシニアジャッカル Canis simensis
である。但し、現在はDNA解析によって、犬の祖先はジャッカルではなく、オオカミ類であることがほぼ確定している。なお、熊楠も最後に述べている通り、ジャッカルは漢訳仏典で「野干」・「射干」と漢音写されたものの、ジャッカルの棲息しない中国では「狐」と混同され、それがそのまま伝来してしまった本邦でも「野干(やかん)」=狐として読まれ、意味もそれで定着してしまった。本来の「野干」はキツネ(本邦の代表種はイヌ科キツネ属アカギツネ亜種ホンドギツネ Vulpes vulpes japonica)ではなく、ジャッカルであったことは記憶しておいてよい。
「太地犬(タイヂイヌ)」紀州犬の旧地域名の一つ。原産地を三重県・和歌山県・奈良県とする獣猟犬で、嘗ては地域により「大内山犬」・「熊野犬」・「太地(たいじ)犬」・「那智犬」・「日高犬」などと呼ばれていた。現在は紀州犬に統一されている。勇猛・精悍でスピードに富み、イノシシ猟を得意とするイノシシ犬と。軽快でシカ・カモシカ猟を得意とするシカ犬の二つのタイプに分けられるという。
「ハクスレー」生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley 一八二五年~一八九五年)。ダーウィンの「進化論」を支持し、その普及者たらんとして積極的に反進化論者を論難したことから、「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれた人物である。詳しくは私の「進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(3) 三 ハックスレーとヘッケル」を参照されたい。熊楠のイギリス滞在は一八九二(明治二十五)年九月から一九〇〇年(明治三十三年)十月まで(同月十五日に帰国、十四年に亙った外遊を終えた。満三十四歳であった)であるから、ハックスリーの最晩年の講演を聴いていたことになる。
「薰習」(くんじゅう)は仏教用語で、「香りが物にそれを移して、何時までも残るように、自ら或いは先祖の行為が心に習慣となって永く残ることを指す。
「山犬」現行でも「ヤマイヌ」「ノイヌ」という呼称が動物学者の間でも普通に使われるが、これは無論、生物学上の亜種ではなく、家畜であるイヌの野生化したものを指す。「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 狗(ゑぬ いぬ) (イヌ)」の私の注を参照されたい。参考のために「やまいぬ」の読みを当てている次の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 豺(やまいぬ) (ドール(アカオオカミ))」も参考にされるとよい。
「モレンドルフ」ドイツの言語学者で外交官であったパウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ(Paul Georg von Möllendorff 一八四七年~一九〇一年)のことであろう。十九世紀後半に朝鮮の国王高宗の顧問を務め、また、中国学への貢献でも知られ、満州語のローマ字表記を考案したことでも知られる。朝鮮政府での任を去った後、嘗ての上海で就いていた中国海関(税関)の仕事に復し、南の条約港寧波の関税局長官となり、そこで没した。
『小紅狼とて、「ジヤツカル」の一種のCanis ruitlus Pallas を指せし』イヌ科ドール属ドール Cuon alpinus のシノニム。先の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 豺(やまいぬ) (ドール(アカオオカミ))」を見られたい。
『今は狼をも「ジヤツカル」をも、支那人豺狼と通稱すと云り』現在では、中文名はオオカミ(ヨーロッパオオカミ)が「欧亞狼」「普通狼」「中国狼」「欧洲狼」「草原狼」であり、ジャッカルは「胡狼」「狐狼」「豺狼」である。ジャッカルはアジア南部ヨーロッパ南東部・アフリカに分布し、既に述べた通り、中国には棲息しない。]
« 御伽比丘尼卷之二 ㊀輕口も理は重し 付リ 好物問答 | トップページ | 杉田久女 南の島の思ひ出 (正字正仮名版) »