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2020/12/14

南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(14:燕)

 

 燕、紀州にて、秋葉の神使なれば、之を殺さば火災有りと云傳ふ、太古より、諸國に燕を神物とする例、多く予未刊の著燕石考に集めたり。

 

[やぶちゃん注:「燕」スズメ目ツバメ科ツバメ属ツバメ Hirundo rustica。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 燕(つばめ) (ツバメ)」を参照されたい。

「秋葉の神使なれば、之を殺さば火災有りと云傳ふ」「秋葉」は「秋葉権現」。秋葉山(あきはさん:静岡県浜松市天竜区春野町領家にある赤石山脈の南端にある標高八百六十六メートルの山。山頂近くに「火防(ひぶせ)の神」である秋葉大権現の後身である秋葉山本宮秋葉神社がある。江戸時代までは秋葉社と秋葉寺の両方が存在する両部神道であったが、明治の神仏分離・廃仏毀釈によって秋葉山は神社と寺院とに分離され、現在は秋葉神社上社は秋葉山山頂に、曹洞宗秋葉寺は山腹にある。グーグル・マップ・データ)の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神。ウィキの「秋葉権現」によれば、『火防の霊験で広く知られ、近世期に全国に分社が勧請され』、『秋葉講と呼ばれる講社が結成された。また』、明治二(一八六九)年十二月に『相次いだ』、『東京の大火の後』、『政府が建立した鎮火社(霊的な火災予防施設)においては、本来』、『祀られていた』官製の神格は無視され、『民衆が秋葉権現』として『信仰した。その結果、周囲に置かれた延焼防止のための火除地が「秋葉ノ原」と呼ばれ、後に秋葉原という地名が誕生することになる』とあった。「秋葉原」成立史の非常に面白いエピソードなので敢えて引用した。閑話休題。思うに、燕が人家の軒に繰り返し安心して営巣すること(本邦では、火災に限らず、古くから燕の営巣する家は万事安全で、商売なども繁昌するとされる)や、喉と額が赤いことが火をイメージしつつ(フレーザーの謂う類感呪術)も、それが逆に実際の火に対峙する防禦シンボルとなっているのであろうと私は思う。

「燕石考」南方熊楠が最重要著作として、刊行を望んでいたが、遂に自身による邦訳も成されないままに、英文も未刊で終わった、論文「The Origin of the Swallow-Stone Myth, c.1899-1903」(「燕の石」神話の起源)。明治三十二年から明治三十六年にかけて執筆されたもの。「燕石」とは、判り易く言えば、「竹取物語」に出る「燕の子安貝」もその一つであるとだけ言っておこう。サイト「南方熊楠を知る事典」(私は原本一九九三年講談社(現代新書)刊も所持している)のこちらによれば、『ロンドン時代の終わりに構想がたてられ、那智時代に補筆・完成された「燕石考」は、熊楠の英文論攷の一つの到達点を示す作品である。『ネイチャー』、『ノーツ・アンド・クィアリーズ』の両誌に寄稿したものの不掲載となったこの論攷は、五種類の草稿の形で残されていたのを岩村忍が校訂し、平凡社版『南方熊楠全集』別巻一に収録された。岩村によれば、草稿のうちの二種類のものには、一九〇三年三月三十一日の日付があるというが、これは同日の日記の「燕石考一本謄本とりにかヽる」や、翌四月一日の「朝早起、燕石考清書謄本成る」の記事と合致するから、おそらく最終稿と考えてよいであろう』。そこではまず、『熊楠は中国・日本における燕石の伝説に関して紹介していく。すなわち、石に関しては古今無双の博物学者である木内石亭の『雲根志』を参考にしつつ、薬用の化石として、雲母片岩の一種として、『竹取物語』にあらわれる安産のお守りとして、ごみを取りのぞくために目に入れる貝の蓋として、といった東洋での「燕石」のヴァリエーションが挙げられる。そして、そうした「燕石」の伝承のそれぞれと、非常に似通った対応をする伝承が西洋にもあることが記されているのである』。但し、ネタバレとなるが、『この疑問に対して、残念ながら「燕石考」の中には熊楠の答えを見つけることができず、曖昧な記述にとどまっている。だが、私は文章全体の調子からいって、この論文の場合にも西洋と東洋の間の文化伝播が示唆されているといってよいと』熊楠が『考えている』こと、『つまり』、『西洋の燕石の伝説は、中国のそれと密接な関係を持ちながら形成されたことを熊楠が認めていた、ととるべきだと思う』と筆者の松居竜五は評された後、内容について、『そのような宣言とともに熊楠が挙げていく「燕石」の伝説は、子安貝やスピリフェルの化石、貝の蓋、燕の習性など、多岐にわたっている。それらをここであえて簡単に整理するならば、形態的な類似が、一つのキーポイントになっていることが注目されるだろう。つまり、子安貝は女性器との外見上の類似から安産と結びつけられ、スピリフェルの化石はその格好が燕と似ているから「燕石」と呼ばれ、目の掃除用に使われる貝の蓋は酸に入れた時に小さな泡を発生させるために多産の象徴となる、といった具合である』。『実は、こうした形態的類似を根拠とする俗信の科学的な解釈という方法は、ロンドン時代の熊楠の英文論攷に多く見られるものであり、人間の想像力のパターン性の追究という「事の学」のモチーフをそのまま引き継ぐものにほかならない。そして、「燕石考」において特徴的なのは、この「事の学」のモチーフと、東洋と西洋の俗信を結ぶ文化伝播論のモチーフという熊楠の初期の二つの思考の流れが、ここで統合されようとしていることなのだ。つまり、「燕石考」が熊楠の英文論攷の到達点たり得ているとすれば、その理由は熊楠が数年にわたってこの統合の試みの場として「燕石考」を練り続けていた事実にこそあると考えられるのである』と結んでおられる。私は「選集」及び河出文庫版「南方熊楠コレクションⅡ 南方民俗学」のそれを持っており、貝類学の趣味の関係上、非常に好きな論文なのであるが、孰れも岩村忍氏の訳で著作権存続であるから、残念ながら、電子化は私の生きているうちには出来ない。]

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