御伽比丘尼卷四 ㊁難波の醫師は都後家 付 誰にか見せん梅の花
㊁難波(なにわ)の醫師は都後家付〔つけたり〕誰にか見せん梅の花
一とせ、難波のはらへ、見にまかりし事あり。あるじは、隔(へだて)なき、むかしの所緣(ゆかり)なりければ、こしかた、夜もすがら、打物がたるに、夢もむすばず、まだ、ほのぐらき比より、魚物(ぎよぶつ)をはじめ、しなじな、賣(うり)のゝしり、あくれば、四つの時より、町々の氏子、思ひ思ひ、心々〔こころこころ〕の裝束、狂言、放下(はうか)、更にあらたに、ことをたくみにし、ねり出〔いづ〕る。たが子とはしらねど、引もきらず。夕ざれば、御神輿(しんよ)むかへの數(す)百艘に、ともしつれたる、てうちんはるゝ夜〔よる〕のほし、宇治瀨〔うじのせ〕の螢ともいふべしや。都にもおさおさおとらぬ神わざ、拜(をがみ)つくしぬ。
其翌日は、猶、てりつゞく日かげに、納凉(だうりやう)の地もとめむと、旅店(りよてん)のちり、はらはせ、繪むしろに身をやどせば、夕風、やゝそよぎて、夏(なつ)なき心ちする比〔ころ〕、對(つい)の六尺、四人かご、のり物を、とばせきたる。
紅紫(こうし/くれなゐむらさき)のふとん、かさね敷〔しき〕たる、ほのめきて、空燒(そらだき)のかほり、わが袖にうつるかと、あやし。
右のかたにつきたる、はたとせ比〔ころ〕の女の、賤しからぬが、はしり行て、むかひの家にあないすれば、亭主とおぼしきが、羽折(はをり)に袴(はかま)して迎(むかへ)に出〔いづ〕るさま也。
かごの戶、打あけさせて、出るをみれば、三十(みそじ)あまりの、又、たぐいなき女、髮を中切(ちうきり)にし、あかし嶋(じま)の目だゝぬに、紫の帶、ふとからず、あとより、女(め)の童(わらは)、ぬりたる團(うちは)もちてつゞく。
暫(しばし)ありて、又、もとのごとく出て、かごに打のり、行事、早し。
旅宿(りよしゆく)のあるじに、小聲して、
「いかなるかたぞ。」
と、とひ侍るに、亭主、かたりて、
「あれは女醫師(〔をんな〕いし)なめり。其先(さき)は、むさしの江戶に住(すみ)て、夫は菅(すげ)の江何がしとかや。武門に生れ、兵道(ひやうどう)・劍術の人なりしが、去(さる)子細あつて、祿(ろく)を辭し、相州小田原の邊(ほとり)に、纔(わづか)の庵(いほ)むすびて、夫婦、住(すみ)ぬ。いくほどなくて、菅の江氏(うぢ)、心ち、なやみて、此世を、はやうす。此女、容貌、世にすぐれ、手跡、つたなからず。いとゞ色の深きを見て、人のうき世の、水上(みなかみ)より、たまりて、ながる、たきつ瀨の、をちあはむ事をなげき、千束(ちつか)の文〔ふみ〕に思ひをつぐるもの、多し。されど、貞節の心つよく、彼(かの)文を、あからさまに手だにもふれず。人皆、
『戀しらず。』
と、のゝしる。ある日、朝、とく起(おき)ゐるに、七旬(じゆん)計〔ばかり〕の僧、まみえ來りて、の給ふ。
『汝、女の道に、まことある事、いたれり。我、ひとつの醫書を、もてり。諸氏百家の流ありといへど、其しるしをとる事、すくなし。此書は是、百病をつゞめて、しかも功能ある物を、あげたり。是をよみて、治(ぢ)を施し、世わたるなりわひとせよ。』
と、ひとつの卷物を、女のまへにさし置〔おき〕、かきけちて、うせぬ。女、是をひらき見るに、誠に病(やまひ)にあたつて、しるしをうるの術、かんなの文字をもて、しるせり。是より、しばしば、治をほどこすに、しるし、たち所を、さらす。五痔(ごぢ)のうれへをいやす事、又、神のごとし。いつの比よりか、
『一切、女のやまひに妙あり。』
とて、やごとなきかたへも、めしあげらるれば、下つかたは、猶、たうとみて、「やくしのへんさ」と、よぶ。是をおもふに、しつとにむねをこがすのおもひ、こつて、病となり、やもめ女の枕淋しく、昔の夫ゆかしく、あるは、わかきむすめの、人しれず戀しのぶなど、世のなみなみの醫師には、はぢらひて、かたり盡す事を得ず、此故に余病となして療ずるに、還(かへつ)て、命を、あやまる。まことに女どちは憚(はゞかり)なく打とけ、病のやうを物がたれば、其もとを、をして、藥をあたふるによつて、治する事のやすきなるべし。なを、りんきづよき夫もちたる女、男など入(いら)ぬ奧がたへは、能(よき)醫師にておはさずや。」
と、かたりぬ。
まことに、ためしなき醫師の名をとりしとぞ。名は、きゝわすれぬ。いと、のこりおほし。
[やぶちゃん注:「難波のはらへ」後の「納凉(だうりやう)」で判る通り、旧暦六月に行われた、大坂の「夏越(なごし)の祓(はらえ)」の神事である。神社では「茅(ち)の輪(わ)潜(くぐ)り」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ直径数メートルほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと、八字を描いて、計三回くぐることで、半年間(十二月にも行った)に溜まった病いと穢れを落とし、残りの半年を無事に過ごせることを願う儀式である。嘗ては茅の輪の小さいものを腰につけたり、首にかけたりしたとされる。また、以下で夕景の無数の提灯の火が描かれるが、これは神社の茅の輪を中心に境内に提灯が張り掛けられた映像、或いは朝出て夕べに神社へと戻って来る神輿を迎える、川沿いの迎え舟の灯、或いはまた、神社から配られた人形代(ひとかたしろ)に息を吹きかけ、また、体の調子の悪いところを撫でて(こうした呪具を「撫物(なでもの)」と呼ぶ)、穢れを移した後、川や海に流す儀式が行われるから、或いは、このシークエンスもそうしたものを提灯の火で焚き上げるさまも含んでいるものかもしれない。神社名を出していないが、神輿が出ることから見て、これは恐らく、大阪府大阪市住吉区住吉にある住吉大社のそれであろう。ウィキの「住吉神社」によれば、、同神社の神事(なごしのはらえしんじ)は、七月三十一日に行われ、『五月殿での大祓式ののち、伝統衣装で着飾った夏越女・稚児の行列が茅の輪くぐりを行』い、『次いで第一本宮において例大祭』『が斎行され、祭典ののちに神楽「熊野舞」・住吉踊が奉納される』。翌八月一日には、『住吉神の神霊を乗せた神輿が堺の宿院頓宮』(しゅくいんとんぐう)『(堺市堺区宿院町東)までの渡御を行う』。渡御は一時期、自動車列をとっていたが、二〇〇五年に『鳳輦・神輿列が復活し、街道を練り歩き』、『大和川では川の中を』実際に渡御して進む。『宿院頓宮に到着後は頓宮境内の飯匙堀(いいがいぼり)において荒和大祓神事(あらにごのおおはらいしんじ)を行う』。『この飯匙堀は海幸山幸神話の潮干珠を埋めたところと伝わる場所で、この地で本社で行なったのと同様の茅の輪くぐりを行う』とあるのが、如何にも清雲尼の描写とマッチしているからである。
「四つの時」定時法の「明け四つ」ならば、午前七時頃、「朝四つ」ならば、午前八時半頃で、不定時法の「朝四つ」だと、夏場であるから、九時半前となる。
「てうちんはるゝ夜〔よる〕のほし」「提灯はるる夜の星」であるが、ここは「提灯」を「張」り巡らすと、「晴るる」で、提灯の明かりで昼の晴れのように明るいの意と、祭儀の持つ「晴れ」の特異な結界の時空間をも暗示していよう。
「宇治瀨〔うじのせ〕の螢ともいふべしや」「螢」の名所として知られた「宇治」川の「瀨」のようだとでも言えようか。
「納凉(だうりやう)」正しい歴史的仮名遣は「だふりやう」(どうりょう)である。「ダフ(ドウ)は「納」の漢音で、我々が使う「ノウ」は呉音で、唐宋音が「ナ・ナン・ナッ」である。但し、現在は「ドウ」はまず使わず、唐宋音は仏教用語や「納豆」に用いている。しかし、「納涼」は嘗ては漢音で発音し、古くは「色葉字類抄」・「源平盛衰記」・「文明本節用集」、新しくは「譬喩尽」(たとえづくし:天明六(一七八六)年序)まで「だふりやう」と読んでいる、と小学館「日本国語大辞典」にあった。
「對(つい)の六尺、四人かご」「對」は駕籠二丁、「六尺」は駕籠を舁く者を言い、「陸尺」とも書いたが、これは「力者(りきしゃ)」が転訛したものという(但し、一丈二尺(十二尺)の棒を二人で担ぐからとか、古代中国の天子の輿が「六尺」四方だったからとか、長身の身体が求められ身長によって賃金に格差があったことから六尺(一メートル八十二センチ)に及ばんとする大男が務めたから「六尺」と呼ばれたという説もある)。また、大名や側室が非公式に移動する際には「御忍び駕籠」と呼ばれる「四人担ぎ」の駕籠が用いられた、と以上ウィキの「駕籠」に拠った。
「空燒(そらだき)のかほり」「空薰き」「空炷き」で、本来は、前以って香をたいておいて、来客時には既に片付けておくか、別室でたくかして、どこからともなく、匂ってくるように香をたきくゆらすこと、あからさまにくゆらせるさまを見せないことを言う。或いは、「どこからともなくにおってくるよい香り」の意で、ここはその駕籠の乗り主が、常時、上品な香を衣服にたきしめ続けていることを、「におわせて」いるのである。
「右のかたにつきたる」最初に着いた主人らしき駕籠の「右の方に着きたる」。
「中切(ちうきり)」「切髮(きりがみ)」。近世から明治にかけて多く未亡人が結った髪形で、短く切った髪を髷 (まげ) を結わずに束ね、髻 (もとどり) に紫の打ちひもをかけたもの。挿絵の彼女がまさにその髪形をしている。
「あかし嶋(じま)」「明石縞」。「明石縮(ちぢみ)」であろう。グーグル画像検索「明石縞」を見られたい。
「女(め)の童(わらは)」二つ目の駕籠に侍女とともに載っていたのであろう。
「兵道」兵法。
「七旬(じゆん)計〔ばかり〕」七十歲程の。
の僧、まみえ來りて、の給ふ。
「其しるしをとる事、すくなし」それらは、極めて有効な処方として、絶大なる効き目を示すことは、これ、少ない。
「百病をつゞめて」「約めて」。あらゆる病いの症状を漏らさぬように要約して。
「かんなの文字」「神字(かんな)の文字」。漢字以前に本邦にあったとする神代(じんだい)文字。私は全く認めない。
「しるし、たち所を、さらす」効き目が、立ちどころに、現われる。
「五痔(ごぢ)」歴史的仮名遣は「ごじ」でよい。中文の中医学の記載では、牡痔・牝痔・脉痔・腸痔・血痔を挙げる。それぞれ想像だが、、牡痔・牝痔は「外痔核」・「内痔核」でよかろうか。脉痔が判らないが、脈打つようにズキズキするの意ととれば、内痔核の一種で、脱出した痔核が戻らなくなり、血栓が発生して大きく腫れ上がって激しい痛みを伴う「嵌頓(かんとん)痔核」、又は、肛門の周囲に血栓が生じて激しい痛みを伴う「血栓性外痔核」かも知れぬ。「腸痔」は穿孔が起こる「痔瘻」と見てよく、血痔は「裂肛」(切れ痔)でよかろう。
「やくしのへんさ」「藥師(菩薩)の變作」。「変作」(へんさ)は仏語で、姿を変えて現われること。また、特に菩薩などが世の人を救うために、仮に姿を変えて現われたり、または種々の事物を現わしたり、変えたりすることを言う。「化作(けさ)」とも言う。
「こつて」「凝つて」。
「余病となして」男性医師が見当違いの診断をして、別な病気と誤診して。
「女どち」女同士。
「をして」「推して」。歴史的仮名遣は「おして」でよい。
「りんきづよき夫」「悋氣强き」。嫉妬心の強い夫。医師にさえ男性なれば嫉妬するからである。
「男など入(いら)ぬ奧がた」大名や旗本などの正室や、大奥・禁裏の婦人方。]