御伽比丘尼卷之二 ㊄初聲は家の榮 付リ 夜啼の評 / 卷之二~了
㊄初聲(うぶごゑ)は家の榮(さかへ)付リ夜啼(よなき)の評(ひやう)
小兒の夜啼といふ事、世におほくあり來りて、さしておもき病(やまひ)とも見えず、醫書には、「心經(しんけい)に熱あつて、此患(うれへ)をなす」となん。されど、藥にて治(ぢ)せざるのものあり。此時、巫(かんなぎ)に賴(たの)み、あるは、眞言のたとき聖(ひぢり)の加持などにて、しるしをとる事不可二勝計一(勝(あ)げて計(かぞ)ふべからず)。然れば、邪崇(じやそう)のなすわざ、あきらけし。一槪にして論ずべからざるをや。
むかし、ある國の守(かみ)にておはしますかた、御よはひ、すでに四十(よそぢ)迄、御世繼(〔およ〕つぎ)もましまさず、家中、此事をなげき、神社にかこち、仏閣に祈(いのる)事、とし、ひさし。
いつの比(ころ)ほひよりか、御北の方、心ち、たゞならず。月かさなりて、御產の紐(ひも)、まことにやすらかなり。御願(〔おん〕ねがひ)みちて、玉のごときわか君なれば、上(かみ)ざまは、いふも更なり、下(しも)がしも迄、よろこびあへるさま、たとしへなし。醫師の何がし法眼(ほうげん)、家傳の五(ごかう)香、さゝげ來(きた)れば、射法(しやほう/ゆみいる)の功者(かうしや)、桑(くわ)の弓・蓬(よもぎ)の矢をもて、惡魔をはらひ、子孫おほく、めでたき翁夫婦をえらみ出〔いだ〕して、初湯(うぶゆ)をまいらせなど、まことにおごそかなりし。
されども、夜啼し給ふこと、はなはだしく、日數へて、やまずましましけるほどに、御とのゐのめのと・女房をはじめ、侍(さふらひ)は一間(ま)のこなたになみゐて、ひきめをならし、きたう[やぶちゃん注:「祈禱」。]の守札(まもりふだ)など、御〔おん〕ざの間(ま)にかけて、夜もすがら、ゆめもむすばず。
此事、國の守、きこし召〔めし〕、寺西何がしとかやいふ老功の侍をめし、委細に仰〔おほせ〕ふくめらるゝ事あり。
寺西、かしこまつて宅に歸り、先(まづ)淸凉の水にて、三、七度(ど)の垢離(ごり)を取(とり)、内外淸淨(かいげしやうじやう)の身となり、裝束(さうぞく)すぐれ、花やかに、白栗毛(しろくりげ)なる馬に、靑貝にて巴(ともへ)摺(すつ)たる鞍置(くらをき)、供まはり、猶、汚穢(をゑ/けがれ)をはらひて、御城(〔お〕しろ)の後(うしろ)に、茂りたる山有(あり)、半(なかば)迄、馬のり寄(よせ)、大音聲(〔だい〕おんじやう)にて、
「抑(そもそも)此國の守護何がし、『男子(なんし)誕生あるところに、夜啼のわざはひ在〔あり〕て、やむことを得ず。はやく、此難をとゞめ申〔まうす〕べし。若(もし)、しるしなきにおゐては、一國殘らず、狐狩(きつねがり)、あるべし』との仰せによつて、寺西何がし、罷〔まかり〕むかひ侍る。」
と、よばはつて、もたせたる供物をそなへ、馬をひかへ、呪念(じゆねん)すると見えしが、忽(たちまち)、大きなる白狐(びやくこ/しろきつね)、出〔いで〕て、供物を、もてはやしぬ。
寺西、はせ歸りて、右の次第を申上〔まうしあぐ〕れば、国の守、御きげんよく見えさせ給ひし。
是より、夜啼、とゞまりて、めでたく生長給ひしが、才智発明の名將にておはしけるとぞ。
かゝる野狐(やこ)の類(たぐい)迄も、守護の命(めい)を重(おもん)じけるか、はた、寺西が術(じゆつ)をなしけるか、不ㇾ知(しらず)、不思義なりかし。
御伽比丘尼卷之二
[やぶちゃん注:「心經(しんけい)」中医学に於けるそれは、現代医学の心臓を含む循環器系全体の働きと、脳の機能の一部を心の機能として捉えたものを指す。或いは、その心経に属する、手を流れる陰経経絡である「手少陰心経(しゅ しょういんしんけい)」の略でもある。ここが病むと、精神活動に影響するとされ、心臓や血液疾患をも引き起こすとされる。
「巫(かんなぎ)」男性の神道系の呪術師。
「邪崇(じやそう)」鬼神の祟(たた)りを意味する「邪祟」(じやすい(じゃすい)の原本の誤字・誤読。
「一槪にして論ずべからざるをや」これは、物理的な内因性疾患と片付けるべきではないことは言うまでもない、の意。
「かこち」「託つ」であるが、ここは「(神の救いに)委ねる」の意。
「御產の紐(ひも)」御産の別表現。「産の紐を解く」で「出産する」の意。
「下(しも)がしも迄」「下が下まで」。国内の下級層民草のその底辺の者たちまで。
よろこびあへるさま、たとしへなし。醫師の何がし法眼(ほうげん)、家傳の五(ごかう)香
「桑(くわ)の弓・蓬(よもぎ)の矢をもて、惡魔をはらひ」「桑弧蓬矢(さうこほうし(そうこほうし))」である。男子が生まれた際、桑の木で作った弓と、蓬の矢で以って、天地四方を射て、将来の雄飛を祝ったという、「礼記」「射義」に載る中国古代の風習に拠る。転じて「男子が志を立てること」の意にも用いる。
「やまずましましけるほどに」夜泣きが止まず、それが、ずっとあり続けて遊ばされる状態であったために。
「とのゐ」「宿直(とのゐ)」。夜伽。
「めのと」「乳母(めのと)」。
「一間(ま)のこなたになみゐて」御子息の寝間から一間を隔てた廊下に並びいて。
「ひきめ」「蟇目」。弓を用いた呪術。「蟇目」とは朴(ほお)又は桐製の大形の鏑(かぶら)矢のことを言う。犬追物(いぬおうもの)・笠懸けなどに於いて射る対象を傷つけないようにするために用いた矢の先が鈍体となったものを指す。矢先の本体には数個の穴が開けられてあって、射た際にこの穴から空気が入って音を発するところから、妖魔を退散させるとも考えられた。呼称は、射た際に音を響かせることに由来する「響目(ひびきめ)」の略とも、鏑の穴の形が蟇の目に似ているからともいう。私の「耳囊 卷之三 未熟の射藝に狐の落し事」及び同じ「耳囊」の「卷之九 剛勇伏狐祟事」や「卷之十 狐蟇目を恐るゝ事」の本文や私の注をも参照されたい。
「御〔おん〕ざの間(ま)」御子息の寝所の間。
「ゆめもむすばず」一睡だにしないのであった。
「三、七度(ど)の」不特定数を示し、十分に繰り返し行うことを言っている。
「才智発明の名將にておはしけるとぞ」勿論、その御子息が主語である。霊狐の万全の守護を受けた霊的な男子であればこそである。但し、言っておくと、この夜泣き自体は狐の仕組んだ異変では全くないはずである。その超自然の霊力が、実は最もあるであろうと考えられていたところの、自然界の異類の中でも飛びっきりの妖獣と考えられていた狐に、冤罪として確信犯で指弾し、急迫し、問答無用に殲滅宣告のい嚇しを投げかけることによって、妖狐の力で、その夜泣きの怪異の原(もと)を難なく退治させたのである。疑似的な御霊信仰の一つの変形的呪法を選んだのである。]
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