南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(25:蝶)
○蝶、倭漢三才圖會卷六八云く、立山有地獄道追分地藏堂、每歲七月十五日夜、胡蝶數多出遊、舞於此原、呼曰生靈市、此蝶は生靈の化する所と云義にや。
[やぶちゃん注:ウィキの「チョウ」の「伝承」の項を引く。『世界各地にチョウが人の死や霊に関連する観念が見られる。キリスト教ではチョウは復活の象徴とされ、ギリシャではチョウは魂や不死の象徴とされる』。『ビルマ語に至っては〈チョウ〉を表す語』である「レイッピャー」が『そのまま〈魂〉という意味で用いられる場合もある』。『日本でも栃木県宇都宮市で、盆時期の黒いチョウには仏が乗っているといい、千葉県でも夜のチョウを仏の使いという』。『チョウを死霊の化身とみなす地方もあり、立山の追分地蔵堂で「生霊の市」といって、毎年』七月十五日の『夜に多数のチョウが飛ぶという』(後注参照)。『秋田県山本郡ではチョウの柄の服を好む者は短命だという』。『高知県の伝説では、夜ふけの道で無数の白い蝶が雪のように舞い、息が詰まるほどに人にまとわりつき、これに遭うと』、『病気を患って死ぬといわれる怪異があり、同県香美郡富家村(現・香南市)ではこれを横死した人間の亡霊と伝えている』。『「春に最初に白いチョウを見ると、その年の内に家族が死ぬ」「チョウが仏壇や部屋に現れるのは死の前兆」という言い伝えもある』。]『奥州白石では、チョウが大好きだった女性が死に、遺体から虫が湧いて無数のチョウと化したという話が伝わる。また』、『秋田県上総川の上流で、かつて備中という侍が沼に落ちて死に、チョウに化身して沼に住み着き、現在に至るまで曇った日や月の夜に飛び上がって人を脅かすという。そのことからこの沼を備中沼、または別蝶沼ともいう』とある。私は何度も語っているのだが、「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 蝶」の注で示した如く、意外の感を持たれるかも知れないが、実は古来、蝶は必ずしも、美しく愛でるものとして一般に認知されていたわけでは実は、ない。例えば、一九七八年築地書館刊の今井彰氏の「蝶の民俗学」によれば(私の長い愛読書の一冊である)、「万葉集」には蝶を直接歌った歌がない。即ち、古えに於いては、蝶はなんらかの不吉なシンボルとして認識されていた可能性が極めて高いということである。蝶が多く棲息するのは、市中ではなく、相対的に緑の多い都会の辺縁部であって、そこは古くはイコール――死んだ者の亡骸を遺棄・風葬・埋葬するべき触穢の空間――であり――死と生の境界――であったのだ。そこに白く空を浮遊する対象物は容易に死者の霊魂を想起させたと思われる。遺体の体液を吸うために蝶が群がるというシークエンスもなかったとは言えない。清少納言や「虫愛ずる姫君」の虫女(むしじょ)カルチャー以前に、死後の世界や霊界とアクセスする回路の虚空を――白昼夜間も問わず――こそ、蝶や蛾は――実は跳梁していたのではなかったか? と私は思うのである。
「倭漢三才圖會卷六八云く、……」地誌部の「越中」の部の「立山權現」の解説中の一節。但し、非常に長いので、当該部を含む「室堂」パートだけを原本より電子化する。原文はカットして、訓点に従って私が一部(記号を含む)を補って訓読したもののみに示す。読みの〔 〕は私が推定で附したもの。歴史的仮名遣の誤りはママ。
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○室堂(むろだう) 【此の地より絶頂に至る。凡そ一里に八町。】左に、山、有り、「三寳崩(くづれ)」と名づく。昔、飛驒の小萱(こかやの)鄕に北山石藏といふ者有り。性、貪欲・猛惡にして、毎〔つね〕に物の命を殺し、人を害し、遂に自〔おのづから〕變じて鬼神と成り、尖(とが)れる牙を生じ、此に隱る。別山〔べつざん〕の金剛童子の爲〔た〕め、逐(を)はれて、牙、拔け、口噤(ごも)りて、死す。其の牙、今に在りて、寳物と爲す。右に根尾の社(やしろ)、有り、又、「天狗の嶽(だけ)」有り。其の峯に龍神の社、有り、是れ、乃(すなは)ち、「狩籠(かりこ)の池」の神なり。「地獄道」、「追分地藏」有り、毎歲、七月十五日の夜、胡蝶、數多(あまた)出でて、此原に遊舞す。呼びて「生靈市〔しやうりやうのいち〕」と曰ふ。髙卒塔婆(たかそとば)を立てて、無緣菩提を弔ふ。毎夏月、麓の二十四坊の中、三坊、相ひ更(かは)りて、室堂に住居(すまい)し、登山の人、此に寓(やど)る。【余月は、人、住まず、參詣の人も亦、無し。】。室堂 【四間に五間、三棟。】阿彌陀・聖觀音・地藏の三體、有り。
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附近のグーグル・マップ・データ航空写真をリンクさせておく。ここにある建物(ストリート・ビュー)最古の山小屋とされる「室堂」の南に建つ)に安置されてある。グーグル・マップ・データ航空写真拡大ではこの中央。私の「諸國里人談卷之三 立山」にもここの「精霊市(しやうりやういち)」が語られており、心霊スポットとして立山の室堂及び地獄谷はかなり古くから知られていた現世と霊界が同時に存在する稀有の場所であったのである。]
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