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2020/12/27

南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(初出追記分)

 

[やぶちゃん注:初出の最後に附された「追記」である。底本では、以下は標題の「追記」(ポイント大太字)を除いて、ポイント落ちで、全体が一字下げになっている。]

 追記 ○狸、熱田の大神は狸を愛し玉ふにや、師長公社前に琵琶を奏でし時、明神白狸に騎し現れ玉ひしと、源平盛衰記卷十二に見ゆ。

 建部綾足の折々草、夏の上の卷に、信濃の人野守てふ虫を殺せし話有り、頭は常なる小蛇の樣にて、指六つある足六所に附き、長さ一丈に足ざるに、太さ桶の如く頭尾遙かに細し、惡臭を放つ、と。野守は野槌と等しく、野の主の意なるべし、本文列擧せる諸例と併せ考ふべし、又斯る蛇の譚、西半球にも古くより存せし證は、十六世紀に、西班牙[やぶちゃん注:「スペイン」。]の「アルヅール、ヌニエツ」艦隊を率ひ[やぶちゃん注:ママ。]秘露[やぶちゃん注:「ペルー」。]に入し時、八千戶有る一村に圓塔あり、一大怪蛇これに棲み、戰死の尸[やぶちゃん注:「しかばね」。]を享け食ふ、魔此蛇に託して豫言を發すと信ぜらる、其蛇長二丈五尺、胴の厚さ牛の如く、眼頗る小にして輝くこと、頭至て厚く短きに相應せず、齒鐡の如きが二列有り、尾滑かなれども他は悉く大皿樣の巨鱗もて被はる、兵士之を銃擊するに及び、大に吼え、尾を以て地を叩き震動せしむ、一同大に驚きしが、遂に之を殺し了ると云へり(F. N, del Techo, ‘The History of Paraguay’ etc. in Churchill. op.cit. vol. vi, 1752. p. 14.) 既に東西兩半球に斯く迄相似たる譚多きを攷れば、野槌の誕[やぶちゃん注:「はなし」。]は、例令[やぶちゃん注:「たとひ」。]多くの虛言を混じ有るにせよ多少の事實に基けるを知るべし。

            (明治四十三年七月、第二五卷)

 

[やぶちゃん注:「師長公社前に琵琶を奏でし時、明神白狸に騎し現れ玉ひしと、源平盛衰記卷十二に見ゆ」「師長」は藤原師長(保延四(一一三八)年~建久三(一一九二)年)。安元三(一一七七)年、従一位・太政大臣。治承三(一一七九)年の平清盛のクーデターで、清盛によって関白松殿基房とともに解官された上、師長は尾張国井戸田に流罪に処された。その後、出家し、三年後に帰京を許された。彼は源博雅と並ぶ平安時代を代表する音楽家として知られ、ここで見る通り、殊に箏・琵琶の名手であった。指示するのは同巻の「師長熱田社琵琶事」。やや長いが、電子化する。所持する(平成五(一九九二)年三弥井書店版刊)「源平盛衰記(二)」で確認した。カタカナをひらがなに直し、漢字を正字化し、漢文表記部は訓読し(詩賦では白文を掲げ、後に推定訓読を施した)、句読点・記号・改行も増やして示す。踊り字「〱」は正字化した。一部表記を別本で変えた。

   *

 或夜當國第三宮、熱田の社に詣し給へり。年へたる森の木間より、漏り來(きたる)月のさし入て、緋玉垣色をそへ、和光利物の榊葉に、引立標繩(しめなは)の兎(と)に角(かく)に、風に亂るゝ有樣、何事に付ても、神さびたる氣色也。此宮と申は、素盞烏尊、是也。始は出雲國の宮造りして、八重立(たつ)雲と云三十一字の言葉は、此御時より始れり。景行天皇御宇に、此砌に跡をたれ給へり。

 師長公、終夜、神明、納受爲し、初には、法施を手向奉り、後には琵琶をぞ彈じ給ける。調彈數曲を盡し、夜漏、深更に及て、「流泉」・「啄木」・「揚眞藻」の三曲を彈じ給處に、本より無智の俗なれば、情を知人希也。邑老・村女・漁人。野叟、參り集り、頭を低(うなだれ)、耳、欹(そばだつ)といへども、更に淸濁を分ち、呂律を知事はなけれども、瓠巴、琴を彈ぜしかば、魚鱗、踊躍(をどりをどり)き。虞公、歌を發せしかば、梁塵、動搖(うごきうごき)けり。物の妙を極る時は、自然の感を催す理にて、滿座、淚を押へ、諸人袂(たもと)を絞けり。增て神慮の御納受、さこそは嬉く覺すらめ。曉係(かえ)て吹(ふく)風は、岸打波にや通(かよふ)らん、五更の空の鳥の音も、旅寢の夢を驚す。夜も、やうやう、あけぼのに成行ば、月も西山に傾く。大臣、御心をすまして、初には、

 普合調中花含粉馥氣 流泉曲間月擧淸明光

 (普合の調中 花 粉馥(こふく)たる氣を含み

  流泉の曲間 月 淸明たる光を擧ぐ)

と云朗詠して、重て、

  願以今生世俗文字業狂言綺語之誤 飜爲當來世々讃佛乘之因轉法輪之緣

  (願はくは 今生 世俗の文字の業 狂言綺語の誤りを以つて

   飜りて 當來 世々讚佛乘の因轉法輪の緣を爲さんと)

詠まれて、御祈念と覺しくて、暫物も仰られず。

 良ありて、御琵琶を搔寄て、「上玄」・「石象」と云祕曲を、彈澄(すまし)給へり。其聲、凄々切々として、又、淨々たり。嘈々竊々(さうさうせつせつ)として錯雜彈、大絃・小絃の金柱の操、大珠・小珠の玉盤に落るに相似たり。

 御祈誓の驗にや、御納受の至か、神明の感應と覺(おぼし)くて、寶殿、大に動搖し、襅振(ちはやふる)玉の簾のさゞめきけり。靈驗に恐て、大臣、暫、琵琶を閣(さしおき)給けり。

 神明、白狸に乘給、示して云、

「我、天上にしては文曲星と顯て、一切衆生の本命元辰として是を化益し、此國に天降ては、赤靑童子と示して、一切衆生に珍寶を與(あたふ)、今、此社壇に垂跡して、年、久(ひさし)。而を、汝が祕曲に堪へず、我、今、影向せり。君、配所に下り給はずは、爭(いかでか)此祕曲を聞べき。歸京の所願、疑なし。必ず、本位に復し給べし。」

と御託宣(ごたくせん)有て、明神、上らせ給たりしかば、諸人、身毛、竪(よだち)て、奇異の信心を發す。

 大臣も、

「平家、係る惡業を致さずは、今、此瑞相を拜し奉るべしや、災は幸と云事は、加樣(かやう)の事にや。」

と、感淚を流し給(たまひ)ても、又、末、憑しく[やぶちゃん注:「たのもしく」。]ぞ覺しける。

   *

「建部綾足の折々草、夏の上の卷に、……」以下は、既に起項されてある「野槌」の疑似生物の追加情報。「折々草」は、江戸中期の俳人・小説家・国学者で絵師でもあった建部綾足(享保四(一七一九)年~安永三(一七七四)年)が明和八(一七七一)年に書いた随想的奇談集。当該話は「夏の部」の「野守とふ蟲の事」。国立国会図書館デジタルコレクションの明治四一(一九〇八)年冨山房「袖珍名著文庫」版(幸田露伴校訂)の当該話を視認して示す。加工用として、所持する「岩波新古典文学大系」版を読み込んだものを用い、また校合や語注の参考にもした。句読点を変更したり、増やしたりし、段落を成形した。記号も添えた。読みは一部に留めた。踊り字「〱」は正字化した。電子化しながら、『露伴なら、きっとここは書き換えるよな』と思う箇所がしっかり変わっているので、面白かった。

   *

 信濃なる松代(まつしろ)[やぶちゃん注:現在の長野県長野市松代町はここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。現在の松城城のある市街地の、北東部や南部は現在、同じ松代町を冠するが、結構、山深い。]に住む人、來(き)て、かたりき。

 其邊(わたり)の山里に、名高き力雄(ちからを)の侍りて、相撲(すまひ)なども取步(とりあり)きけるが、水無月ばかり、是(これ)が友どちと二人、山に入りて、柴刈りて侍る歸途(かへさ)に、淸水の流出(ながれいで)たる細道の、眞葛、這廣(はひひろ)ごりて、怪しき木蔭の侍る所を來(く)るに、一人の男は先に立ちて行き、かの力雄は、後(しり)に立ちて、刈りたる柴どもは、物に結附(ゆひつ)けて振り擔(かた)げたり。

 下る道なりしかば、彼(か)の難しき邊(わたり)を走り來るに、何にかあらむ、物踏みたる心地するに、眞葛原、騷立(さわぎた)ちて、桶の丸(まろ)さばかりなるが、起返(おきかへ)りて、足より肩に打ち掛けて、

「くるくる」

と卷きておぼゆるに、見れば、頭(かしら)は、犬などよりも大きく見ゆるが、眼(め)の光、異(あや)しく、我咽(のんど)を狙ふにや、高々と、さし上げたり。

 又、尾とおぼしきは背(そびら)をめぐりて、肩を打こして臍(ほぞ)の邊(あたり)まで卷きしめて侍り。

 此男(をのこ)、勇(いさ)みたるものなれば、事ともなくおもひて、

『是は、大蛇(おろち)なり。いで、口より引裂(ひきさ)かさむ。』

と、おもひて、荷(にな)ひたる柴をば放ち、左の手を伸べて、下の腮(あぎと)を、

「ひし」

と、とらへ、右の手して、上の腮をにぎりて、引裂かむとするに、叶はず。

 鎌は持ちたりしかど、先(さき)なる男の腰に挿(さ)させたれば、此所(こゝ)には有らず。

『さるにても、いづち、行けむ。』

と、おもひて、大聲をあげてよべば、是は、いと甲斐なき男(をのこ)にて、爾(しか)見るより、かたへなる木にのぼりて

「あや、あや。」

と見居たるが、

「此所(こゝ)なり。」

と、いふ。

「汝(おのれ)、言甲斐(いひがひ)なき者かな、其腰に挿したる鎌なむ、おこせよ。此奴(こやつ)、さいなまむ。」

と、いへば、なほも、木の末(うれ)[やぶちゃん注:木の枝。]に居りながら、鎌は拔きて、投下(なげおろ)したり。

 扨、足を上げて、下の腮(あぎと)を踏固(ふみかた)め、左の手にて、上の顎(あぎと)を持代(もちか)へて、右の手に鎌を握りて、

「や。」

と、聲をかけて、口より咽(のんど)をかけて二尺(ふたさか)ばかり斬り裂くに、苦しくや有りけむ、締めたる尾先を緩めて、ある限り、さし伸べて、地を打叩(うちたゝ)く事、五度(いつわたり)ばかりす。

 其響(ひゞき)、木魂(こだま)に答へて鳴動(なきとよ)めり。

 さて、見たる此僻物(くせもの)は、いと弱りて侍るに、鎌を上げて、三段(みきだ)、四段(よきだ)に、切離(きりはな)ちぬ。

 頭(かしら)は常なる小蛇(をろち)の樣(さま)にて、指の六(む)つある足なむ、六所(むつどころ)に附きたり。丈(たけ)は一丈(ひとたけ)ばかりに足らず、周圍(まはり)の太き所は、桶ばかりも侍りて、頭の方(かた)、尾の方は、遙(はるか)に細やかなり。

 扨、頭よりはじめ、尾の邊(あたり)は、傍(かたへ)なる谷に打込(うちこ)み、中にも太き所をば荷ひて、

「今日の名譽(ほまれ)を親にも見せ、所の者共をも驚かさむ。」

とて、持(も)て歸りにけり。

 親は甚(いた)く老いて侍るに、待ちつけて、

「などて、今日は、遲かりし。」

と、いふに、かの一丸[やぶちゃん注:大系版『ヒトマロ』とルビする。一塊り。]なるを取(とうで)ゝ[やぶちゃん注:ママ。]、

「斯(かゝ)るめ見しが、惡(にく)く思ひて、かく、斬責(きりさいなみ)て侍る。彼(あれ)、見給へ。」

とて、出(いだ)す。

 親、驚きて、

「よからぬ事をば、しつる。是は山の神ならむ。必(かならず)、祟(たゝり)いで來(こ)なむ。己(おのれ)が、子とは、思はず。家に、な入りそ。」

とて、おひ出しけるほどに、此男は、

「譽られむとて、持(も)て來つるを、思(おもひ)の外にも侍るかな。何(なに)の山の神ならむ、人を食はんずる奴は、たとへ、神にまれ、命(いのち)は取るべし。さるを、かく、懲らし給ふは、己が親にても、おはさじ。」

など、言爭(いひあらそ)ふを、里長(さとをさ)の來り合せて、彼(か)や斯(か)く言宥(いひなだ)めてけり。

 さて、其切りて持(も)たるをば、

「見む。」

と言ふ方へは遣はし、一日(ひとひ)も二日(ふたひ)も歷(ふ)る程に、いと臭くありつれば、捨てつ。

 此男も、いと臭き香(か)の移りて、着たる物どもをば、取捨(とりす)て、手も足も洗へども、更に其香の去らで、これには、惱みけるを、醫師(くすし)の良き藥を與へて後(のち)は、其香、やうやう、去りしとぞ。

 又、其醫師の言ふは、

「是は野守とて、大蛇(をろち)の類(たぐひ)にもあらず。」

と申せしよし。

 世に、井守、屋守などいふ蟲の、野に侍るまゝに、「野守」とは言ひけん。

 又、此男には何の報(むくい)も侍らざりしが、三とせ經て後(のち)、公(おほやけ)より、占置(しめお)かれし山に入りて、宮木を盜みたる罪の顯れ侍るによりて、命(いのち)を召れけり。

「是は、其(それ)が復讐(あだ)したる也。」

と、人々、いひはやしける、となむ。

   *

「F. N, del Techo」ニコラス・デル・テチョ(Nicolás Del Techo 一六一一年~一六八五年)はパラグアイの宣教師・歴史家。この驚くべき話はちょっと飛び散って来る一片も信じ難いのだが、何か、妙に具体で、象徴的な別の凄惨な事実を謂うているようにも感ずる。]

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