御伽比丘尼卷四 ㊄不思議は妙妙は不思議付百物語
㊄不思議は妙(めう)妙は不思議付百物語
[やぶちゃん注:挿絵は国書刊行会「江戸文庫」版の挿絵もカスレが気になり、厭になったので、裏映りがあるものの、絵が鮮明に見える底本の国立国会図書館デジタルコレクションのそれをトリミングして以下最後まで使用することにした。]
むさしのある邊に、何がしとかやいへる士あり。老苦、心ならず、名跡(みやうせき)は息(そく)にゆづりあたへて、世事をしらず遁(のがれ)居(ゐ)て、心をやすく、わたれり。
時しも、秋の雨、窓にかよひ、蟲のかれ聲、やゝ哀に、淋しき夕(ゆふべ)、戶を音づるゝあり。
「怪(あやし)。荻(をぎ)の上風〔うへかぜ〕にや。」
と、見れば、日比、隔(へだて)なき、二、三子の友、とぶらひ來れり。
「八重葎(やえむぐら)さしこもりにし柴の戶に、珍しの御たづね。先〔まづ〕こなたへ。」
と、一間(ま)なるかたによりゐて、こしかた語りつゞくれば、猶、雨しきりに軒に玉なして、何となく、世上、靜(しづか)なるに、ひとりのいひ出〔いづ〕る、
「かく打よりたるつゐで、おもしろきに、いざ、百物がたりして、昔よりいひし恠(あやしみ)ありやなしや、心みなん。」
といへば、人々、
「尤(もつとも)。」
と、こぞり、よりぬ。
それが中に、中老の男、此〔この〕法度(ほうと)を、とゝのふ。
先〔まづ〕、靑き紙をもて、あんどうをはり、燈心、百筋(すぢ)、たてたり。はなし、ひとつに、燈心、一筋づゝ、ともし、けちて、百にみつれば。座中(ざ〔ちゆう〕)、闇(やみ)となりぬるに、さだむ。
かくて、ひとり、ひとり、おどろくしき物がたり、かたりつゞけけるほどに、九十九になれば、燈心。たゞ一筋の光、幽(かすか)に、物悲しく、われかの氣しきになりて、鼠(ねづみ)の鳴(なく)聲も、耳にあやしく、風の、戶ざしならすも、むねにけうとく、漸々(やう〔あう〕)百にみつれば、灯(ともしび)、打消(〔うち〕け)して、ひとへに闇のごとく、
『いかなる事かあらん。』
と、かたづをのふで[やぶちゃん注:ママ。]、一時計(〔いつ〕とき〔ばかり〕)、別の恠(あやしみ)もなければ、又、ともしびをかゝげ、互(たがひ)に顏を見あはせ、
「往昔(そのかみ)よりいひ傳たるは、左計(さ〔ばかり〕)もなし。」
など、打わらひぬ。
「夜の明(あけ)なん、ほどもなし。」
と、人々、其儘に、まろび、ふしぬ。
かくて、遠寺(ゑんじ)のかね、さとのくたかけ、しののめをつぐるに、各〔おのおの〕起出(おきいで)て見れば、
――只今
――切捨(きりすて)たるごとき
――女くび
――五つ
――くろき髮を亂し
――翠(みどり)の黛(ずみ)
――紅(くれな〔ゐ〕)の顏(かんばせ)
――うつくしきが
――朱(あけ)のちしほにそみたるを
――ひとりひとりの枕もとに
――ならべ
――置〔おき〕ぬ……
座敷の戶は、宵より、つよく、錠(でう)おろしてあれば、外(ほか)よりかよふ窓もなし。
此ふしぎさ、戶ざし、明〔あけ〕、出〔いで〕て、是をみるに、更に、かはる事なき、女のくび也ければ、皆、とり集(あつめ)、ちかき㙒(の)べに捨(すて)て、立歸りみるに、
――今迄ありし女のくび
――一時(〔いち〕じ)に
――されかうべとぞなりける……
されば、此百物語は、是〔これ〕、魔を修(しゆ)する行(ぎやう)にして、恠異(けい)を祈るの法なり。
宵より、餘事をまじへず、此事に念をこらしたればぞ、かゝるふしぎは、ありける。
是を思ふに、仏を念ずるの心、至(いたつ)て誠(まこと)あらば、何ぞ、仏果(〔ぶつ〕くわ)の妙に、かなはざらん。
「魔道・仏道、異(こと)なり。」
と、いへど、念ずるの心、又、ひとつ也。是(これ)、惡(あく)、是、善、なれば、速(すみやか)に惡をさつて、ひとへにぼだひ心を願ふには、しかじ。
御伽比丘尼卷之四
[やぶちゃん注:ちょっと雰囲気を出すために、ダッシュと点線を用いて遊んだ。怪異の最後が葬ったはずの麗しき生首群が、帰ってみたところが、同じ場所に今度は髑髏となって転がっていたというオチは、なかなかにオリジナリティがあり、シメの一発として効いているとは言える。
「くたかけ」「くだかけ」でもよいが、古式は清音。朝早くからやかましく鳴く鷄(にわとり)を罵って言った古い蔑称。一説に「くた」は「腐(くた)れ」の意で、「かけ」は鶏の声を写した古擬声語「かけろ」に基づくとするが、如何にも怪しい。因みに、南方熊楠は所謂、「十二支考」の「鶏に関する民族と伝説」の「六 概説」の冒頭で、
*
鶏、和名カケ、またクダカケ、これは百済鶏(くだらかけ)の略で、もと百済より渡った故の名か。かかる類(たぐい)、高麗錦(こまにしき)、新羅斧(しらぎおの)など、『万葉集』中いと多し(『北辺随筆』)、カケは催馬楽(さいばら)の酒殿の歌、にわとりはかけろと鳴きぬなり、とあるカケロの略で(『円珠庵雑記』)、梵語でクックタ(牝鶏はクックチー)、マラガシーでコホ、新ジォールジア等でココロユ、ヨーク公島でカレケ、バンクス島でココク(コドリングトンの『メラネシア語篇』四四頁、『ゼ・メラネシアンス』一八頁)等と均しく、その鳴き声を名としたのだ。漢名鶏(けい)と言うも、鶏は稽(けい)なり、よく時を稽(かんが)うる故名づくと徐鉉[やぶちゃん注:「じょげん」。]は説いたが、グリンムの童話集に、鶏声ケケリキとあったり、ニフィオレ島等で鶏をキオ、マランタ島等でクアと呼んだりするから推すと、やはりその声に因って鶏(キー)と称えたのだ。ミソル島で鶏の名カケプ(ワリスの『巫来群島記(ザ・マレー・アーキペラゴ)』附録)、マラガシーでアコホ(一八九〇年板、ドルーリーの『マダガスカル』三二二頁)など、わが国で鶏声をコケコというに通う。紀州東牟婁郡古座町辺で、二十年ばかり前聞いた童謡に、「コケロめんどり死ぬまで鳴くが、死んで鳴くのは法螺の貝」。大蔵流本狂言「二人大名」に闘鶏の真似する声、コウコウコウコキャコウコウコウ、とある。これは闘う時、声常に異なり劇しいゆえ、コキをコキャと変じたらしい。『犬子集』一四に「ととよかかよと朝夕にいふ」「鶏や犬飼ふことをのうにして」。只今は犬を呼ぶにかかといわぬが、鶏を呼ぶにトトトトと言うは寛永頃すでにあったのだ。チドレヤガレラで鶏をトコ、アルチャゴおよびトボでトフィ(ワリス、同前)、ファテ等でト、セサケ等でトア、エロマンガでツウォ、ネンゴネでチテウェと名づくるなど攷え合わすと、本邦のトトは雄鶏の雌を呼ぶ声によったものらしい、魚をトトというは異源らしい。『骨董集』上編上を見よ。
*
と、例の調子でぶいぶいかましていて面白い(引用は所持する一九八四年平凡社版「選集」第四巻を用いた)。但し、私は熊楠の「百済鷄」説もちょっと勘弁という気がする。寧ろ、彼が沢山例示した如く、鷄の鳴き声のオノマトペイアではないかというのが一番しっくりくる。「クワケッツ! クワッケコッコツ!」辺りから引き出せそうな気がするのである。]
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