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2020/12/21

南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(20:蟾蜍)

 

 蟾蜍、は耶蘇敎國一汎に之を大毒有り、罪惡有る者として忌嫌ふ、(A.C. Lee, ‘The Decameron its Sources and Analogues, 1909, p. 139)予曾て英國學士會員「ブーランゼー」氏に此事を質せしに、蟾蜍の皮下に毒物有るは事實なりと語られ、昨年頃此事を學士會院で論ぜられたり、然るに支那に多く之を食ひ、本邦にも九州に然する所ありと聞く、山座圓次郞氏の直話に、學生の時貧にして屢ば此を烹食せしが、隨分可なりの味は有る、然し爪を去らずに食へば頗る苦かりしと、吾邦には、歐州とかわり[やぶちゃん注:ママ。]此者を福と名け、人家に幸福を齎す者とす、たしか、風俗文選にも記せりと覺ゆ、和漢共其靈物なるを言ひ(倭漢三才圖會卷五四)Huc, LEmpire Chinosis,1854. 支那に之を祠れる廟あるをいへりと記憶す、古事記に大國主神、始て少名毘古那神を見、其誰たるを知ず、蟾蜍の言に從ひ、久延毘古を召問て其の名を知りし事あり、詳しくは古事記傳卷十二を見よ。

 

[やぶちゃん注:「蟾蜍」は「ひきがへる」。熊楠は汎世界的な記載であるからして、まずは脊索動物門脊椎動物亜門両生綱無尾目アマガエル上科ヒキガエル科 Bufonidae に属するヒキガエル類とし、本邦の記載部分では、現在、本邦固有種と考えられている、ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエル Bufo japonicus と同定してよいであろう(他にもヒキガエル類はいるが、ここでは、これで代表させて問題ない)。その体色は褐色・黄褐色・赤褐色などで、白・黒・褐色の帯模様が入る個体もおり、変異が大きく、体側面に赤い斑点が入る個体が多く、背にも斑点が入る個体もいる。但し、さらに言えば、厳密には現在ではこのニホンヒキガエルは、さらに亜種ニホンヒキガエル Bufo japonicus japonicus (本邦の鈴鹿山脈以西の近畿地方南部から山陽地方・四国・九州・屋久島に自然分布する。体長は七~十七・六センチメートル。鼓膜は小型で、眼と鼓膜間の距離は鼓膜の直径とほぼ同じ)と、亜種アズマヒキガエル Bufo japonicus ormosus (本邦の東北地方から近畿地方・島根県東部までの山陰地方北部に自然分布する。体長六~十八センチメートル。鼓膜は大型で、眼と鼓膜間の距離よりも鼓膜の直径の方が大きい)に分けられている。熊楠も引いている、私の「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蟾蜍(ひきがへる)」を見られたい。なお、『桃山学院大学キリスト教論集』第四十号(二〇〇四年二月発行)所収の井本英一氏の「蛙神事の源流(1)」(PDFでダウン・ロード可能)は、西洋のカエル信仰も併記して論じておられ、ここに挙げるには最適な論文の一つと言える。

「蟾蜍は、耶蘇敎國一汎に、之を大毒有り、罪惡有る者として忌嫌ふ」西洋のキリスト教に於けるヒキガエルのネガティヴなシンボリズムは今一つ、纏まった記載が見当たらない。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑3 両生・爬虫類」(平凡社一九九〇年刊)の「ヒキガエル」の項の「博物誌」の一部を引く(ピリオド・コンマは句読点に代えた)。

   《引用開始》

 動植物をかなり詳細に分類・命名する傾向のあった古代地中海世界では、すでにギリシア時代にヒキガエルの定義が成立していた。博物学の開祖アリストテレスは、カエルの類を大別して、〈バトラコスbatrakhos〉(ふつうのカエル)と〈プリュノスPhrynos〉(ガマ、ヒキガエル)の2種に分けていたからである。

 しかしアリストテレスといえども、ヒキガエルを直視することは気が進まなかったのか、その生態を詳しく述べてはいない。《動物誌》に散見する記述を集めてみても、ヒキガエルは脾臓が小さく、体内に黒いもの(腸らしい)をもち、ノスリに食ベられ、ミツバチを食べる、とこれだけである。いずれもカエルに共通する特徴であり、ヒキガエルならではの性質ではない。

 いっぽうプリニウス《博物誌》になると多少の記述が加わる。毒をもつヒキガエルの体内には薬が充満している。そして毎日古くなったぶんを捨て、食物から新鮮な薬分を補給する。それゆえヒキガエルの背中には、たえず有毒な分泌物が充満しているのだという。

 これら地中海世界の知見を中世以後に引きついだヨーロッパでは、ヒキガエルについての奇妙な伝承を流布させた。そのひとつは、ヒキガエルが首に心臓をもつ動物とする俗信である。そのため、ヒキガエルは首をかき切る以外殺しようがないという。おそらく、いかにもしぶとそうな印象を与えたためであろう。

 いずれにせよ。ヒキガエルはふつう、忌わしい生きものと考えられた。古代エジプトで豊穣の化身とされたカエルとは、正反対のイメージである。

 その証拠に、中世の悪魔払いの絵では、悪霊にとりっかれた人の口からヒキガエルが出てくるところが描かれている。ここでは、悪魔がヒキガエルの姿であらわされているのだが、一般にヒキガエルは魔女の眷族(けんぞく)とされ、魔女自身が変化した姿のときもある。シェークスピア《マクベス》でも、魔女の煮物の材料としてヒキガエルが使われる。

 ヒキガエルに化けた魔女は、人間を魔女にしたり、邪眼をもたせたり、さらには〈ヒキガエル男 toadman〉に変えてしまう。このヒキガエル男には、ウマ、ブタ、女を支配する力があるという。

 ゴ一ルドスミス《大地と生物の歴史》にも、ヒキガエルは自然界でもっともいまいましい色合いと不格好な形をしているので、恐怖の対象となった、とある。猛毒のもち主とされ、さわるものすべてを毒し、すみかの近くの野菜は食べられなくなり、ヒキガエルが触れた薬草は毒草になるともいう。

 15世紀の錬金術師G. リプリーは、《十二の門》という難解な寓意詩において、錬金術の秘密を赤いヒキガエルに託して記した。赤いヒキガエルはブドウ酒を飲んだために内臓が破裂し、毒の汗を流しながら黒色に染まり、死にいたる。84曰後に死体を火にくべると、やがてヒキガエルは白色に変化する。このヒキガエルからとれた薬は、あらゆる毒を酒すという。17世紀の伝説的な錬金術師エイレナテエウス・フィラレテスは〈復活せるリプリー〉の表題のもとに、この詩を詳細に解釈した。それによると、ヒキガエルは黄金の象徴である。ただし、地上における黄金は多くの夾雑物を含んでいるので、一運の作業を通じて純粋な物質を抽出せねばならない。この作業が行なわれるのは、土星(サトゥルスス)の支配下にある期間である。それゆえ、土星を暗示する赤い色をしているのだ、とフィラレテスは説明する。しかし、ふつう錬金術では、サトゥルヌスは鉛にあたり、黒色であらわされる。あるいは、このヒキガエルは、〈赤彩〉(賢者の石の別称)に直結するものと受けとるべきなのかもしれない。

 ヒキガエルは冬眠中も食物をとり続けるとされ、強欲の象徴とされた。たとえば、古ゲルマン時代の画家がヒキガエルに座った女性の絵を残しているが、これもその女性の欲張りぶりを皮肉ったものである。

 ヒキガエルがきらうものは曰光である。また、意外にもクモをきらう。大きなクモに対しては苦手意識があるらしい。エラスムスの記述によると、イギリスのある修道士が部屋で眠っていると、どこからかヒキガエルが近づき顔の上に乗り、鼻も口もふさいでしまった。彼の同輩がそれに気づいたが、ヒキガエルは顔に張りついて離れようとしない。見ると、窓に大きなクモがいるので、なかまと力を合わせて窓辺に寝台を動かした。クモは宿敵を見て挑みかかった。ヒキガエルはじっとこらえていたが、ついに3度目の攻撃に耐えきれず、修道士の顔からとびのいた。幸い命に別状はなかったという。

 トプセル《爬虫類の歴史》によると、ヒキガエルは肝臓をふたつもち、そのいっぽうに毒が充満している。怒って身体が膨れると、尻から毒を放出する。これを〈ヒキガエルの小便〉とよぶ人もいる。魔女は人を殺すとき、この毒を使うといわれる。もっとも効果的な解毒剤は、人の母乳だという。なお、ヒキガエルの毒は色合いも母乳に似ていて、トプセルは、背反しあうものの外見が似るのも自然の妙だとしている。

   《引用終了》

「A. C. Lee, ‘The Decameron its Sources and Analogues, 1909, p.139」「デカメロンの原拠と類譚」か。著者がアルフレッド・コーリングウッド・リー(Alfred Collingwood Lee)であることしか判らない(生没年も検索で出てこない)。

「ブーランゼー」イギリスの動物学者を調べてみたが、不詳。

「昨年頃」平凡社「選集」では、ここの編者割注があり、『一九〇九年』とある。本文の初出は明治四四(一九一一)年七月である。

「山座圓次郞」(やまざえんじろう 慶応二(一八六六)年~大正三(一九一四)年)は明治の外交官。筑前国福岡生まれ。帝大法科大学卒。外務省に入り、釜山・ロンドン・京城公使館勤務を経て、明治三四(一九〇一)年、政務局長となった。明治三十八年の「ポーツマス条約」の締結時には、講和全権大使の小村寿太郎に随行して、補佐役として活躍した。明治四十一年英国大使館参事官、大正二年、北京駐在特命全権公使。「玄洋社」社員として浪人の活動を宮庁側から支援し、大陸浪人と政府のパイプ役となった(以上は日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」に拠った)。彼のウィキによれば、『東京大学予備門の同期には、夏目漱石・正岡子規・南方熊楠・秋山真之らがおり、特に熊楠とはその後も親しかったらしく、熊楠の随筆にも酒を酌み交わした記録が残されている』とある。

「學生の時貧にして屢ば此を烹食せしが、隨分可なりの味は有る、然し、爪を去らずに食へば頗る苦かりしと」「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蟾蜍(ひきがへる)」の私の注で引用した通り、後頭部にある大きな耳腺から強力な毒液を出し、また、皮膚、特に背面にある多くのイボからも、牛乳のような白い有毒の粘液を分泌する。後者は激しい薬理作用を持つ強心配糖体の一種で、主として心筋(その収縮)や迷走神経中枢に作用するヒキガエル類はブフォトキシン(bufotoxin)などの数種類の強心ステロイドを含み、他に発痛作用のあるセロトニン(serotonin:血管の緊張を調節する。ヒトでは生体リズム・神経内分泌・睡眠・体温調節など重要な機序に関与する、ホルモンとしても働く物質である)のような神経伝達物質なども含むため、少しでもそれが混入すれば、かなりの苦味を覚えるものと思われる。重篤な自体に至るケースは報告されていないようだが、食べぬ方が賢明である。ネット上には、石垣島・小笠原諸島・大東諸島に害虫駆除目的で人為移入されてしまった特定外来生物種に指定されている中南米原産のヒキガエル科ナンベイヒキガエル属オオヒキガエル Rhinella marina(同じく有毒な白濁液を分泌するが、アルカロイドを主成分とし、ヒキガエル類の毒性としては非常に強く、目に入ると失明したり、大量に体内摂取すると、心臓麻痺を起こすこともあり、卵嚢や幼生も総て毒を持つと、同種のウィキにある)を試みに食した記事があったが、どうも、どう調理しても苦味を除去出来ず、舌の痺れや腹痛を発症したとあるので、これはもう、食べてはいけない(とその筆者も書いている。調理写真もあるのでリンクは張らない。フレーズ検索「オオヒキガエル 食べる」で頭に出てくる)。

「吾邦には、歐州とかわり此者を福と名け、人家に幸福を齎す者とす」荒俣宏氏の「世界大博物図鑑3 両生・爬虫類」(平凡社一九九〇年刊)の「ヒキガエル」の項の「博物誌」では、西洋の民俗誌の後に、非常に詳しい中国及び日本のそれを記しておられ、非常に面白いのだが、そこは当該書を読まれたい。ここでは、「ヒキガエルの縁起物」の条だけを引く(ピリオド・コンマは同前)。

   《引用開始》

 ヒキガエルは〈引き返る〉あるいは音転して〈福かえる〉に通じるというので、縁起をかつがれ商売繁盛の印とされた。ガマ仙人[やぶちゃん注:蝦蟇仙人。中国由来の仙人。青蛙神(せいあしん)を従えて妖術を使うとされる。参照した同ウィキによれば、『左慈に仙術を教わった三国時代の呉の葛玄、もしくは呂洞賓』(りょどうひん)『に仙術を教わった五代十国時代』の『後梁の劉海蟾』(りゅうかいせん)『をモデルにしているとされる。特に後者は日本でも画題として有名』となり、顔輝の「蝦蟇鉄拐図」(がまてっかいず)『の影響で李鉄拐(鉄拐仙人)と対の形で描かれる事が多い。しかし、両者を一緒に描く典拠は明らかでなく、李鉄拐は八仙に選ばれているが、蝦蟇仙人は八仙に選ばれておらず、中国ではマイナーな仙人である。一方、日本において蝦蟇仙人は仙人の中でも特に人気があり、絵画、装飾品、歌舞伎・浄瑠璃など様々な形で多くの人々に描かれている』とある。]の故事の影響もあるのだろう。とくに料理屋や料亭などでは、客が伺度もやってくるようにと、招き描のかわりに玄関や人口に〈客引き〉のカエルの置物が据えられることが多い。浅草田原町本覚寺境内の蟇(がま)大明神もヒキガエルを祭神とし、家業繁栄の神とされている。社務所では瀬戸物のガマを売っており、願が成就すればこの分身は返上される。そのため祠には犬小さまざまなガマが奉納され、居並んでいる。また、この大明神は芸能人の守り神でもある。その由来は明治のころ、千八師という俳優がこの犬明神に願をかけたところ、幸福を〈引き〉こんで開運したからといわれる。

   《引用終了》

浅草田原町の日蓮宗龍鳴山本覚寺(ほんかくじ)はここ(グーグル・マップ・データ)。個人ブログ「古今御朱印研究室」の同寺の記事によれば、『蟇大明神は、天保の頃、檀家の秋山某なる人物が家業繁栄を願って蛙蟇塚を建て、代々信仰したことに始まるという。関東大震災で埋没していたが、墓守をしていた関某という人が霊感によって土中より掘り出し、お堂を建てて祀った』。『その頃、下谷に住んでいた千八』(「せんぱち」でよかろう)『という人が蛙蟇塚に願をかけたところ、その願いが叶った。千八は現在の場所に蟇堂を建て、蟇の分身を与えて霊験あらたかなことを説いた。千八は歌舞をよくし、その方面に知人が多かったことから、花柳界・歌舞演劇界・映画界などの人々を中心に広く信仰されるようになったという』とある。合気道月光流道場長チョコ助と伊東健治の公式ブログ「骸(むくろ)をつけていま一戦(ひといくさ)せん!!」の「本覚寺 〜蟇大明神〜 【東京の妖怪伝説】」で、膨大な蟇蛙の置物の山の写真が見られる。

「たしか、風俗文選にも記せりと覺ゆ」「風俗文選」は森川許六編の俳文集で宝永三(一七〇六)刊。松尾芭蕉及び蕉門俳人二十八人の俳文百十六編を集める。昨夜から縦覧しているのだが、熊楠の指す部分に行き当たらなかった。

「和漢共其靈物なるを言ひ(倭漢三才圖會卷五四)」」「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蟾蜍(ひきがへる)」で良安は、「本綱」の「蟾蜍」を引き、

   *

之れを取りて、反-縛(しば)りて、密室の中に着けて、之れを閉じ、明くる且(あさ)視るに、自〔(おのづから)〕解く者なり。

   *

と述べ、さらに「抱朴子」を引き、

   *

蟾蜍、千歳すれば、頭の上に、角、有り、腹の下に丹書(たんしよ)[やぶちゃん注:赤い文字。練炭丹術のシンボルであろう。]有り。名づけて「肉芝(にくし)」と曰ふ。能く山精[やぶちゃん注:人ならざる山人或いは狒狒(ひひ)に似た妖獣。]を食ふ。人、得て、之れを食ふ。仙術家に取り用ふべし。以つて霧を起し、雨を祈り、兵を辟(さ)け、自(おのづか)ら縛(しば)れるを解く。今、技者(げいしや)有りて、蟾を聚めて、戯と爲(な)すに[やぶちゃん注:ある種の妖術を使えるように調教するに。]、能く指使(しし)を聽く[やぶちゃん注:よく、命じた通りにする。]。物性の靈有ること、此に於いて推(お)すべし。

   *

とあり、加えて、

   *

蟾、三足の者、有り。而れども、龜・鼈(すつぽん)にも、皆、三足有るときは、則ち、蟾の三足も怪しむに非ざるなり。蓋し、蟾蜍は土の精なり。上は月-魄(つき)[やぶちゃん注:月の霊性。]に應じて、性、靈異たり。土に穴して蟲を食ふ。又、山精を伏し、蜈蚣(むかで)を制す。故に、能く陽明經(ようめいけい)に入りて、虛熱を退け、濕氣を行(めぐら)し、蟲𧏾(ちゆうじつ)[やぶちゃん注:身体に入り込んだり、刺したりして、悪さをする虫。]を殺す。而して、疳病・癰疽(ようそ)・諸瘡の要藥と爲す。五月五日、東へ行く者を取りて、陰乾しにして用ふ。

   *

とした後、自身で評して、

   *

△按ずるに、蟾蜍は實(まこと)に靈物なり。予、試みに之れを取りて地に在(を)き、桶を上に覆ひて、壓(をしもの)に磐石(ばんじやく)を用ゆる。明旦、開き視れば、唯、空桶のみ。又、蟾蜍、海に入りて眼張(めばる)魚と成る。多く半ば變ずるを見る。

   *

とトンデモ化生実験をして、実証したとまで言っている。……良安センセ、御弟子の中に、悪戯好きなヘンな奴、おらへんかったですか?……

「Huc, ‘L’Empire Chinosis,’ 1854. 支那に之を祠れる廟あるをいへりと記憶す」エヴァリスト・レジス・ユック(Évariste Régis Huc 一八一三年~一八六〇年)はフランスの宣教師でカトリック司祭。清代の中国・モンゴルを旅し、多くの著作をものした。当時、殆んど知られていないかったチベットについても記事も残している。フランス語原本は「Internet archive」のこちらで読めるが、私は探す気にならない。悪しからず。

「古事記に大國主神、始て少名毘古那神を見、其誰たるを知ず、蟾蜍の言に從ひ、久延毘古を召問てその名を知りし事あり、詳しくは古事記傳卷十二を見よ。」「古事記」の、

   *

故大國主神。坐出雲之御大之御前時。自波穗。乘天之羅摩船而。内剝鵝皮剝。爲衣服。有歸來神。爾雖問其名。不答。且雖問所從之諸神。皆白不知。爾多邇具久白言。此者久延毘古必知之。卽召久延毘古。問時。答白此者神產巢日神之御子。少名毘古那神。故爾白上於神產巢日御祖命者。答告。此者實我子也。於子之中。自我手俣久岐斯子也。故與汝葦原色許男命。爲兄弟而。作堅其國。故自爾。大穴牟遲。與少名毘古那。二柱神相並。作堅此國。然後者。其少名毘古那神者。度于常世國也。故顯白其少名毘古那神。所謂久延毘古者。於今者山田之曾富騰者也。此神者。足雖不行。盡知天下之事神也。

   *

 故(かれ)、大國主神、出雲の御大(おほ)の御前(みさき)に坐(いま)す時に、波の穗より、天(あま)の羅摩(かがみ)の船に乘りて、鵝(ひむし)[やぶちゃん注:「古事記伝」では「鵝」は「蛾」の誤りとする。]の皮を内剝(うちは)ぎに剝ぎて、衣服(きもの)に爲(し)て、歸り來たる神、有り。

 爾(ここ)に其の名を問はせども、答へず、且(また)、所從(みとも)の諸神に問はせども、皆、

「知らず。」

と白(まを)しき。

 爾に、多邇具久(たにぐく)、白して言(まを)さく、

「此(こ)は、久延毘古(くえびこ)ぞ、必ず、之れを知りつらむ。」

と。

 卽ち、久延毘古を召して問ひたまふ時に、答へて白さく、

「此は、神產巢日(かみむすび)の神の御子(みこ)少名毘古那(すくなびこな)の神なり。」

と。

 故、爾に神產巢日の御祖(みおや)の命(みこと)に白し上げしかば、答へて告げ、

「此は實(まこと)の我が子なり。子の中に、我が手俣(たなまた)[やぶちゃん注:手の指の間。]より久岐(くき)し[やぶちゃん注:こぼれ落ちた。]子なり。故、汝葦原色許男(いましあしはらしこ)の命と兄弟と爲(な)りて、其の國、作り堅めよ。」

と。

 故、爾れによりて、大穴牟遲(ほおあなむち)と少名毘古那と、二柱(ふたはしら)の神、相ひ並びて、此の國を作り堅めたまひき。然(しか)ありて後には、其の少名毘古那の神は、常世(とこよ)の國に度(わた)りましき。故、其の少名毘古那神を顯はし白しき。所謂、久延毘古は、今には山田の曾富騰(そほど)[やぶちゃん注:山田の案山子(かかし)。]といふ者なり。此の神は、足は行かねども、天下の事を、盡(ことごと)く知れる神なり。

   *

という部分についての宣長の評釈で、「古事記傳」巻十二当該部は国立国会図書館デジタルコレクションの「古事記傳」(向山武男校訂・昭和五(一九三〇)年名著刊行会刊のこの右ページの二行目から始まる「多邇且久(タニグク)」の注の中に現れる。一部を訓読して示す。私は神名をカタカナで表記するのが生理的に嫌いなので、カタカナ部分は、総て、ひらがなに直した。

   *

[やぶちゃん注:底本は黒字反転。]多邇且久(たにぐく) 且の字、諸本皆同じけれども、此の字を假字に用ひたること、此記はさらにも云ず、他の古書にも凡て例なければ、決(うつな)く寫誤なり。具の字なるべし。然云故は、萬葉巻五〔七丁〕に、多爾具久能佐和多流伎波美(たにぐくのさはたるきはみ)。六〔二十五丁〕に谷潜乃狹渡極(たにぐくのさわたるきわみ)、祈年祭の祝詞に、谷蟆能狹渡極(たにぐくのさわたるきはみ)〔月次祭の詞にもあり。〕とあるに依れり。さて此れは蟾蜍(ひきがへる)のことて、〔祝詞に蟆と作(かか)れたるは、蝦蟇にて、そは只の加閇流(かへる)なれば、比伎加閇流(ひきがへる)とは、別なるが如くなれども、古へ通はし云ること、漢籍にも多し。又祝詞の今の本に、蟆を加麻(かま)と訓れど、字音なれば誤なり。師の具久(ぐく)と訓まれたるが當れること、萬葉と照していちじるし。〕具久(ぐく)は鳴く聲による名、谷と云は、物のはざまに居物なる故なり。〔久々は蛙(かへる)の類の惣名にて、蟾蜍(ひきがへる)を谷具久(たにぐく)とはいふか。〕此物に霊異(くしき)わざあることは、漢籍にも見え、世の人も知れる如くなれば、今此(ここ)の事も、由ありて所念(おぼ)ゆ。〔本朝文粹、村上天皇御製古調の詩に、又、異體の者有り、名號して最明と爲す、野鎚誰れか辨ることを得む、蝦蟇尤も驚くに耐へたり。とある、此の野鎚蝦蟇の對句の意を按(おもふ)に、かの異體者の形狀、野鎚・蝦蟇に似たり。かゝる者は、誰れかは辨へ知む。見ては誰もおどろきつべしと云意か。又は野鎚と云ふとも、誰れか此者を辨へ知む。蝦蟇も此れを見ば、驚くべしと云意か。若し後の意ならば野鎚蝦蟇は、物をよく辨へ知るものにしてのたまへるなれば、此(ここ)に由あり。故に引つ。〕

   *]

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