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2020/12/24

御伽比丘尼卷五 ㊁かねをかけたる鳶の秤 付 天狗物語

 

[やぶちゃん注:本篇については、一度、電子化注を行っている。それは、201761日の「柴田宵曲 續妖異博物館 佛と魔(その1)」で、そこでは、注で、

  • 本篇の濫觴たる原話「十訓抄」(鎌倉中期の教訓説話集。編者未詳)の「第一 可定心操振舞事」(心の操(みさを)を定むべき振舞(ふるまひ)の事」の中の一条(これは、2018616日公開の、の江戸中期の俳人で作家の菊岡沾涼(せんりょう)が寛保三(一七四三)年に刊行した怪奇談傾向が有意に感ぜられる百七十余話から成る俗話集「諸國里人談卷之二 ㊃妖異部 成大會」(「㊃妖異の部 ○大會(たいゑ)を成す」)でも示した)
  • その「十訓抄」をインスパイアした小泉八雲の英訳怪談 Story of a Tengu(「天狗の話」:明治三二(一八九九)年刊の In Ghostly Japan(「霊の日本にて」)所収)の原文(これは後の2019年11月7日の「小泉八雲 天狗の話 (田部隆次訳) / 作品集「霊の日本」電子化注~全完遂で訳文も公開している)

を示した後に、

  • 元禄五(一六九二)年刊の本書の改題物である洛下俳林子(実は本書の版元である西村市郎右衛門)作の「諸國新百物語」の本篇同話同文

を電子化したものがそれである。しかしそれは、国書刊行会の叢書「江戸文庫」版を参考に、恣意的に正字化し、一部にオリジナルに歴史的仮名遣で読みを附し、読点・濁点を追加したもので、注は附していない。底本の挿絵も添えたが、元画像そのものの僧と天狗の顏の部分に致命的な汚損がある。されば、今回は底本も異なり、一から全てを新たに電子化し、注を附した。今回は既成のそれと差別化するために、成形した段落群の中に注を挿入した。但し、言っておくと、「十訓抄」の原話の方が数倍面白い。未読の方は是非、読まれたい。

 

    ㊁かねをかけたる鳶(とび)の秤(はかり)付(つけたり)天狗物語

 

Tobinohakari

 

[やぶちゃん注:挿絵は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像。裏映りが激しいが、致命的な汚損がなく、とてもよい。]

 

 世の中は夢か幻(うつゝ)か、うつゝとも、ゆめとも見えず、ありてなき身のほど、暫(しばし)もやすく、閑(しづか)ならんかたこそと、心の水の淸き、なる瀧の邊(ほとり)にすめる僧あり。名を直眞(ぢきしん)とよぶ。

[やぶちゃん注:「なる瀧」京都府京都市右京区の広域に認められる(「鳴滝」を頭に冠する現地名多し)鳴滝であろう(グーグル・マップ・データ航空写真のこの中央の南北一帯)。南部は市街地となっているが、北部は現在も広大な山林が広がり、隠棲には相応しい地である。別にそのずっと北西の山間に右京区京北下弓削町(けいほくしもゆげちょう)鳴滝(グーグル・マップ・データ航空写真)もあるが、京市街からあまりにも離れ、以下の東福寺(グーグル・マップ・データ)礼拝をふと思いついて出向くには、少し遠過ぎる感じがする。【2020年12月24日追記】T氏より情報を戴いた。この瀧は上記前記の京都府京都市右京区鳴滝蓮池町に現存すると、サイト「京都風光(京都寺社案内)」ここを指摘され、グーグル・マップのその辺りを拡大し、何気なく(ラインはおろか、ドットもないのだが)、試しに、その辺りにストリート・ビューの人形をスライドさせてみたら――うひゃ♡――あった! あった! いや! ここでしょう! きっと!

 

 隱逸の心、すぐれ、身によするあさ衣(ぎぬ)も、垢(あか)のまゝに着なし、思ひそめたる墨染のもすそも、ほころびながらかけたる、木(こ)の葉(は)、破庵(はあん/やぶれいほ)を埋(うづ)み、千草(せんさう/ちくさ)、壁に諍(あらそ)ふ、誠にふりたる栖(すみか)なりかし。

 比は神無月、中の六日、東福禪林寺の開山忌とて、諸人(しよにん)、袖をつらね、くびすをつぐ事、引〔ひき〕もきらず。

「めでたき㚑寶(れいはう)ども、拜(をがみ)なん。」

とて、此僧も都の大路(〔おほ〕ぢ)に出〔いで〕て、万里(まで)の小路(こうぢ)を過(すぎ)、五條の坊門を東へ行(ゆく)。

[やぶちゃん注:「東福禪林寺の開山忌」臨済宗慧日山東福寺の開山は、開基である摂政九条道家の招聘で寛元元(一二四三)年に迎えられた、臨済僧円爾(えんに 建仁二(一二〇二)年~弘安三年十月十七日(一二八〇年十一月十日)。就任は彼が宋での六年ほどの修行を終えて帰国して二年目のことであった。なお、当時は天台・真言・禅の三宗兼学であった。

「くびすをつぐ」「踵(くびす)を接ぐ」。前後の人の踵(かかと)が接するほど、次から次へと人が続くさま。「戦国策」の「秦策」が原拠の表現である。

「万里(まで)の小路(こうぢ)」東京極大路と東洞院大路の中間にあった小路。ここは現在の「柳馬場通」(グーグル・マップ・データ)。【2020年12月24日修正】

「五條の坊門」四条大路と五条大路の中間にあった「五條坊門小路」。ここは現在の「仏光寺通」(グーグル・マップ・データ)。以下、ロケーションは鴨川の両岸となってゆくようである。【2020年12月24日修正】前と併せてT氏より御指摘を戴いたので、修正を施した。T氏から現在の地図に重ねてある「平安条坊図」をご紹介戴いた。これは楽やねえ! 素敵!

 

 爰に、若き男、ふたり、みたり、大きなる鳶をとらへ、

「此儘にや、ころさん。」

又、

「日比(ひごろ)へてや、しめなん。」

と、いふを、此僧、たち聞(ぎゝ)て、哀〔あはれ〕にも、淺ましさ、身にしみて覚へければ、人々にわびていふ、

「我、大俗(〔だい〕ぞく)の昔より、かゝる殺生の命(いのち)をすくはんと、ふかく誓(ちかふ)ことあり。願(ねがはく)は、此命、愚僧に給はれかし。」

と手を合〔あはせ〕、再三におよぶ。

 一人の男、眼(まなこ)をいららけ、

「御僧は何事をかの給ふ。我家(わがいへ)に傳へし、かうやく[やぶちゃん注:「膏藥」。]あり。かくのごとき鳶の大きなるを、酒煮る事、七日して、膏となすに、諸(もろもろ)の腫物(しゆもつ)、愈(いへ)ずといふ事、なし。日比、望(のぞみ)し折から、ごさむなれ。」

と、あらけなく罵(ののしる)に、僧、

「然(しから)ば、此鳶の替りに、死(しゝ)たる鳶を求(もとむ)るの價(あたひ)を得させん。我、此事に、所願、空(むな)しからんも、心うし。平(ひら)に、御芳志あれ。」

といふに、漸々(やう〔やう〕)心とくれば、懷(ふところ)より代(しろ)を出〔いだ〕しあたへて、鳶は虛空(こくう)に放(はなち)やりぬ。

[やぶちゃん注:「ござむなれ」連語で、断定の助動詞「なり」の連用形「に」+係助詞「こそ」+動詞「あり」の連体形「ある」+推定の助動詞「なり」の已然形「なれ」の付いた「にこそあるなれ」の音変化で、中世以降の発生。もとは「ごさんなれ」だったものが、近世中期以降「ござんなれ」ともなった。本来は「~であるようだな」、或いは上に「こそ」を伴って「~なのだな」、 他に「~があるな」や、手ぐすねひいて待つ様子に添えて「よし来た」「さあ来い」の意がある。ここは最後のそれが罵声になった、「なにほざいとんのや? この野郎! 来るかッツ!?!」といった感じの威嚇であろう。]

 

 「淺ましき事に日のたけ行〔ゆき〕けるよ。」

と、獨言して、大仏殿を拜み、猶、南へおもむくに、俄に、つちかぜ列(はげしく)、砂(いさご)を吹上(ふき〔あげ〕)、小石をとばせ、偏(ひとへ)に闇のごとく、雲の中に恠(あやしき)山伏、立むかひ、

「扨も。只今、途中にて、あやうき命を御僧にたすけられ參らせぬ。此御恩、いかにしてかは報じ參らすべき。御僧のはこび給はんには、御寺〔みてら〕の法事、終りぬべしと覺ゆ。いざ、こなたへ。」

と手を取て行〔ゆく〕。

[やぶちゃん注:「大仏殿」京都市東山区の方広寺(グーグル・マップ・データ。鴨川左岸)に嘗てあった非常に大きな大仏殿。「御伽比丘尼卷三 ㊂執心のふかさ桑名の海 付リ 惡を捨る善七」の注で詳しく記したので、そちらを参照されたい。

「御僧のはこび給はんには、御寺〔みてら〕の法事、終りぬべしと覺ゆ」この山伏が登場からして尋常の人間でないのは判るが、ここで直真の予定行動を言い当てているところからこそ、超自然の存在であることを読み取らなくてはなるまい。そうして、そうなってしまったのは拙者を助けるに時を費やしてしまったからであり、身銭も割いて貰ったからには、と彼をその報恩のために誘うのである。]

 

 未(いまだ)十步(じつぽ)にもたらざるに、東福寺の門前にいたる。

[やぶちゃん注:先の方広寺から東福寺の間は一・九キロメートルある。]

 

 貴賤、むらがり集りて、寸地(すんち)もなきを、

「只、我に隨ひ來り給へ。」

と、手を引〔ひき〕て、佛前に參る事、やすやすと、心靜(しづか)に拜み、猶、もとのごとく出〔いづ〕るに、人の上を、のりこへ、のりこへ、行(ゆえ)ど、とがむ人、なし。

[やぶちゃん注:人の頭を地面がわりにして、歩行(飛行(ひぎょう))しているのである。]

 

 山伏のいふ。

「迚(とても)の事に、庵(いほり)迄、送り屆(とゞけ)參らせん。」

と、北をさしてゆく。

 此時、僧、とふて云ふ、

「誠に、只今のふるまひ、見奉るに、更に凡夫の所爲に非ず。皆、神反(じんへん)のふるまひ也。しかるを、先きに纔(わづか)の男に手ごめにせられ、愚僧がたすけにあひ給ふこと、いぶかし。」

と。

[やぶちゃん注:「神反(じんへん)」恐らくは「神變」の謂いであろう。次の部分で「反(へん)ずる」と出るのが、その証左である。「神變」は「しんぺん」で、古くは「じんへん」と読み、人知でははかり知ることの出来ない、不可思議な超自然の変異や超能力を指す。但し、「神変」を「神反」とは書かない。後で「しんべん」とルビするのは、ママである。]

 

 山ぶし、答(こたへ)て、

「されば。人、大將と仰(あを)がるゝ時は、大敵をほろぼし、國家を治め、數万(すまん)人を隨がへるの威(い)あり。是、則、千万人のちからなり。又、落人(おちうど)となりて、隨がふ郞從(らうじう)もなき時は、只、壱人の力なり。盛衰、かくのごとし。左(さ)のごとく、我、神反(しんべん)の身ながら、一月に六たびづゝ、鳶に此身を反(へん)ずるのくるしみ有〔あり〕。此時に至て、又、鳶のちからより外、なし。此故に手ごめにあひぬ。是を世に『魔境』とも、『天狗道』とも、いふぞかし。皆、一心の憍慢(きやうまん)より、左計(さ〔ばかり〕)たとき上人も、此さかひに入〔いり〕給ひし。御僧は、道心堅固に、しかも、名利(みやうり)なし。是を、よく、知りて、慢心のいたる事なく、安心決定(あんじんけつじやう)して、往生をとげしめ給へ。いとま申〔まうす〕。」

と、夕月(ゆふ〔づき〕)のかげに、失(うせ)て、かたち、なし。

 僧は、夢の心ちにてありしが、やうやう、そこら、みまはすに、庵もちかくなる、瀧の道のかたはらに出〔いで〕ぬ。

 是より、ますます、世をつよくいとひ、深き山にかくれて、めでたき終焉(じうえん)をとり給ひしとぞ。

 是、併(しかしながら)、慈悲心のつよきより、魔道のふしぎを見聞(けんもん)して、行(おこなひ)すまし給ひけり。ありても有(あり)たきは、慈悲。願ひても、ねがふべきは佛の道なりけり。

[やぶちゃん注:「魔境」「天狗道」法力を持ってはいるが、何らかの魂の堕落により、天狗道=仏道でも人道でもない魔境(邪(よこしま)な悪鬼や魔物としての世界)に堕ちた境涯を指す。

「安心決定(あんじんけつじやう)」主として浄土教で用い、阿彌陀仏の誓いを信じて一片の疑いもなくなった状態を指す。「信心決定」とも言う。

「夕月(ゆふ〔づき〕)のかげ」夕暮れ時に昇った月の冷たい光り。

 なお、標題の「かねをかけたる鳶の秤」とは「金を掛けたる鳶の秤」で、金を払って救った鳶が、かくも正しき仏法の法(のり)を語り、仏法の正法(しょうぼう)を誤りなく量(はか)った説法を受け、この僧の「安心決定」の秤(はかり)の役目を成したことを指すのであろう。]

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