御伽比丘尼卷之二 ㊀輕口も理は重し 付リ 好物問答
御伽比丘尼卷之二
㊀輕口(かるくち)も理(り)は重し付リ好物問答(かうぶつもんどう)
武州江戶のある御家中に、何がしの弥宗次(やそうじ)、助(すけ)の進(しん)とかやいふ人あり。傍輩(はうばい)の中ながら、わきてしたしみふかく、隔(へだて)なき友なりしが、弥宗次は酒を好(このみ)て、たばこをきらふ事、人に過(すぎ)たり。助の進は、又、たばこをすきて、盃(さかづき)は手にだにも、ふれず。二人ともに弁舌、賢(かしこく)、しかも、かる口のきこゑ、ありし。
ある夜、非番のいとま、打よりて、世の噂しけるつゐで、介の進、いふ、
「日比、わどのゝ、酒を思ひ、このみ給ふ事、人に越(こえ)たり。是、もと、熱藥(ねつやく)にして、氣血(きけつ)をめぐらすの甚(はなはだし)き物なり。此故(ゆへ)に、過酒(くわしゆ)すれば、痰火(たんくわ)[やぶちゃん注:熱があって痰が激しく出る病気。]おこつて、肺血(はいけつ)を生じ、熱(ねつ)、脾(ひ)に滯(とゞこほつ)ては、又、内傷(ないしやう)の病(やまい)となる。しかのみならず、仏は五(いつゝ)のひとつに戒め、孔子も「酒は、はかりなし」とおしへ給ヘり。今、わぎみが大酒(〔たい〕しゆ)を見るに、おそらくは命を損ずるのもとなり。」
といふに、弥宗次、打笑(〔うち〕ゑみ)、
「げにや、諺(ことわざ)に「自(を)のが一尺を忘れて、他の一寸をしる」と、いへる。まことなるかな。そこのかたにも、人の事は見え侍るにや。凡(をよそ)、其かたのたばこ數寄(すき)をみるに、朝まだきより夕(ゆふべ)迄、きせるのはなる、いとまなし。此草(くさ)は是、毒藥にて、氣をのぼし、痰を生じ、咳逆(かいぎやく/しやくり)の患(うれへ)あり。されば、よしなき物ゆへ、年中(ねんぢう)のついへ、いくばくぞや。但(たゞし)、彼(かの)草の一德もあらば、きかん。」
といふに、介の進、聞(きゝ)て、
「實(げに)、愚心(おろかごゝろ)には左もおはしまさん。いでさらば、たばこの德をかたり申さむ。抑(そもそも)、此草といふは、往昔(そのかみ)、きせるの雫(しづく)凝(こり)て嶋となり、はいふきの露に打まじりて、國、なり、草木(くさき)、なれり。其のち、陽神、陰神、顯れまし、天の砥(と)、包丁(はうてう)にて割(きざみ)聞召(きこそめし)て、「あな、うまし。よいたばこをのみぬ」と、の給ひしと。去(され)ば、人より先のたばこなればぞ、盆にうづだかうして、貴人高位の座に列(つらな)る。天竺仏(てんぢくぶつ)、在世には、「草木國土悉皆成佛(さうもくこくどしつかいじやうぶつ)」の語あり。是、則(すなはち)、たばこの事也とかや。唐(もろこし)にては、玄宗皇帝の思ひ人楊貴妃といふ美人ありしが、「ばぐわひが原」にて殺(ころされ)たり。帝、此別(わかれ)を歎(なげき)思召、程なく、崩御なりし。二(ふたつ)のつかより生出(をい〔いで〕)たる草なれば、「相思草(あいおもひぐさ)」と名づけわきて、こひのよすがに、のみつゞけて、世のわかうどの、たはぶれとす。是をぶくすれば、限なき壽命を保(たもつ)、仙藥とて「長命草(ちやうめいさう)」などゝも、いへり。實(げに)永き夜半(よは)を、あかしかねたる老(をい)をたすけ、「ねなまし物を、さよ更(ふけ)て」と、かよはぬ男を恨(うらみ)ゐるにも、せめて心を慰るは、此草ぞかし。又、「靑膏(せいかう)」といふ藥(くすり)に揀(ねつ)ては、人の腫物(しゆもつ)をいやし、是を割付(きざみつく)れば、切疵(きりきづ)に妙あり。猶、はるけき旅のすがら、物詣(〔もの〕まうで)にはなれず。日待月待(〔ひ〕まち〔つき〕まち)のねぶりをさまして、更に愁(うれへ)なし。凡(およそ)、此草の名所(などころ)多しといへど、甲斐の館(たて)・攝州の服邊(はつとり)・丹波の窪(くぼ)、此等(これら)は皆、上(うへ)なき草の種(たね)をあらそへど、名にしおふ、よしのゝ薫(かほり)に、しくはなし。此故に、賣買、他(た)にすぐれて、もて興ずる此心を「いせ物がたり」に、
みよしのゝたばこのかねのひたふるに
きみがこはでもよるといふ也
などゝも讀(よめ)り。されば、壱斤(〔いつ〕きん)の重さ百六拾匁は、十六善神(ぜんじん)、一兩の目〔もく〕の四匁は四天王をかたどる。故(かるがゆへ)に佛神の守護、なきにしもあらず。」
と言(ことば)を工(たくみ)にいひあへば、弥宗次、聞〔きき〕て、
「扨〔さて〕、能(よく)もの給ひける物かな、まづ、我(わが)好む酒の德をいはゞ、天地、未だわかわざる時、丸〔まろ〕がれたるかたち、德利(とくり)のごとく、すめる物はいたつて高き古酒(ふるざけ)となり。くだつて、やすきは、にごり酒とぞなれりける。しかありしより、すさのをの尊(みこと)は、やまたの大虵(をろち)をころさん謀(はかりごと)に、八の酒(さか)つぼを拵(こしらへ)、吞(のま)しめ給ふ。是、神代(かみよ)にも上戸の有けるしるしに侍り。爰に、あしたの春のとそ酒、上(かみ)天子(てんし)より下(しも)賤(しづ)の屋に至(いたる)迄、此〔この〕ことぶきをなすに、疫病(ゑやみ)を除(のぞく)、呪(じゆ/まじない)となるとかや。彌生三日の桃花(とうくわ)の宴(ゑん)、西王母(せいわうぼ)が、その桃を參らせあげし爲(ため)しをひきて、「三千(〔み〕ち)とせになるてふ桃の」と讀しも、此事ぞかし。猶、重陽の菊酒(きくざけ)、是、又、不老不死の良藥を表(へう)す。神社にては、三輪(〔み〕わ)の杉ばやしあり、神に上(あぐ)るを御酒(みき)といひ、參宮のむかひ人を「酒(さか)むかひ」と、となふるも、是、皆、酒の謂(いひ)ぞかし。われ、きく、淵明は一瓢をたのしみ、詩にも酒家門外(しゆかもんぐわい)に口〔くち〕に涎(よだれ)を流す、など、作れり。既にあしき中をも、やはらげ、いもせ、かたらふ始(はじめ)、あるは、首途(かどで)の義式、いづれか、酒にあらざる。かゝる子細も在明(ありあけ)の、月見・花み・遊山翫水(ゆさんぐわんすい)、只(たゞ)酒をもて、先(さき)とするに非ずや。」
と、いかめしく、いひたてたる。
「誠(まこと)に。いへば、いはるゝ物ぞ。」
と。
上戶(じやうご)の男、打笑(〔うち〕わらひ)ながら、
「ちろりのふたの上に、何事をか、あらそふ。」
と、いへば、
「石火(せきくわ)のすみ火のうちに、たばこを、よす。」
と、たはぶれたる。
「げに、あだなる世をおもへば、一盃(〔いつ〕ぱい)の醉(ゑい)の覺行(さめ〔ゆく〕)心〔ここ〕ち、一ぷくのたばこ、きゆる間〔ま〕の人の身の上、たれもかれも、はては、煙(けぶり)とぞ、なるらん。短き世に戒(かい)をたもち、毒をえらび、何にかはせん。たゞ、のむにはしかじ。」
と、盃(さかづき)取〔とり〕て、かたぶく月の比迄〔ころまで〕吞(のめ)ば、きせるさしよせ、吸〔すひ〕つゞけて、夜もしらじらと明がたに別れ歸りぬ。
おかしきあらそひなりかし。
[やぶちゃん注:「輕口(かるくち)」滑稽で面白い、軽妙なる話。
「介の進」通称は漢字表記を自身でも換えて用いたので、「助(すけ)の進(しん)」との齟齬はない。
「傍輩(はうばい)」歴史的仮名遣は正しい。「朋輩」に同じいが、歴史的仮名遣は「朋輩」の場合は「ほうばい」となる。
「脾」脾胃。漢方で消化器系の働きを広く言う。現在の脾臓とは関係がない。
「內傷(ないしやう)」漢方に於いて暴飲暴食や精神疾患などが原因で、体の血が病んで、臓腑が痛むことを謂う語。
「仏は五(いつゝ)のひとつに戒め」五戒。仏教に於いて、在家信者が保つべき五つの戒めの徳目。「五学処」とも称する。殺生(せっしょう)・偸盗 (ちゅうとう)・邪淫・妄語 (もうご:嘘をつくこと)と、最後に「飲酒」を挙げて制している。
『孔子も「酒は、はかりなし」とおしへ給ヘり』「論語」の「郷党篇」で、衣食住の自身の節制養生法を述べる中で、
唯酒無量。不及亂。沽酒市脯、不食。
(唯だ酒(さけ)は、量(りやう)、無し、亂(らん)に及ばず。沽酒(こしゆ)市脯(しほ)は食(くら)はず。)
とは述べている。しかしこれは、
「酒だけは、量を限らぬが、猥(みだ)らに酔っぱらうことはせぬ。街で売っている酒や乾し肉は、口にしない。」
と言っているのであって、酒を厳に戒めてはいないので、助の進の酒を害毒とする論証にはならない。
「自(を)のが一尺を忘れて、他の一寸をしる」「人の一寸、我が一尺」。他人の欠点は小さなものでも気になるが、自分の欠点は大きなものでも気がつかぬ、という戒めの諺。
「たばこ數寄(すき)」煙草好き。因みに、植物としての本体はナス目ナス科タバコ属タバコ Nicotiana tabacum。ウィキの「タバコ」によれば、『タバコの直接の語源は、スペイン語やポルトガル語の「tabaco」である』とし、『タバコ自体は紀元前』五〇〇〇年から三〇〇〇年頃に、『南米のアンデス山脈で栽培されたのが起源で』、十五『世紀にアメリカ大陸からヨーロッパに伝えられたものであるが、それ以前からスペインでは薬草類を』「tabaco」と『呼んでいた。しばしばアメリカ・インディアンの言葉が語源であると言われるが、それは誤りである』。『スペイン語の』「tabaco」は、『古いアラビア語で薬草の一種を示す』「tabaq」という『言葉が語源であるとみられている』。『この単語が』『英語では』「tobacco」と『なった。日本ではポルトガル語の音に近い「タバコ」として広ま』り、『漢字の当て字としては「多巴古」、「佗波古」、「多葉粉」、「莨」、「淡婆姑」などが用いられる事があるが、「煙草」と書かれる事が最も多い。中国語では「香煙」と呼ぶ』とある。本邦への伝来は、慶長六(一六〇一)年に『肥前国平戸(長崎県平戸市)に来航したフランシスコ会員』の神父『ヒエロニムス・デ・カストロ』(ジェロニモ・デ・ジェズス・デ・カストロ(Jerónimo de Jesús de Castro 生年不詳~一六〇一年):ポルトガル出身であるが、スペイン人として活動したため、スペイン語読みで「ヘロニモ・デ・ヘスス」とも呼ばれる)『が平戸藩主松浦鎮信にタバコの種子を贈呈している(これを記念して平戸城跡である亀岡神社には「日本最初 たばこ種子渡来之地」の石碑が建てられている)』。慶長一〇(一六〇五)年には、『長崎の桜馬場で初めてタバコの種が植えられたとされている』とある。
「年中のついへ」中・長期的な観察に於いての損失。
「往昔(そのかみ)、きせるの雫(しづく)凝(こり)て嶋となり、はいふきの露に打まじりて、國、なり、草木(くさき)、なれり」記紀に出る、日本国土の開闢譚で登場する天沼矛(あめのぬぼこ:「日本書紀」では「天之瓊矛」)に引っ掛けた戯言である。伊邪那岐(いさなき)・伊邪那美(さなみ)の二柱の神が、別天津神(ことあまつかみ)たち(五柱)から、「くらげなす」カオスの大地を完成させることを命ぜられて与えられた金属製の矛を煙管に喩えて牽強付会したもの。二神はこれを持って天浮橋(あめのうきはし)に立ち、それでどるどろの大海をかき混ぜ、その矛先から滴り落ちたものが、日本の原型である淤能碁呂島(おのころじま)となり、その島に降臨した二人が、次々と大八島と諸神を生んだとする「国産み・神産み」神話である。矛はファルスの、雫は精液の象徴である。以下の煙草の話は無論、記紀には出現しない。
「天竺佛(てんぢくぶつ)」釈迦。
「草木國土悉皆成佛(さうもくこくどしつかいじやうぶつ)」「涅槃経」に説かれる一節。草木や国土のような非情なものも、仏性(ぶっしょう)を具有して成仏する、という説。この思想はインドにはなく、六世紀頃の中国仏教の中で生み出されたものと思われるが、特に本邦で盛んに喧伝され、空海がその濫觴とされており、次いで天台宗の円珍や安然らによって説かれ、鎌倉新仏教が台頭して後も、親鸞・道元・日蓮らによって主唱され、特に中世以降の謡曲に於いて語られることで、さらに流布した。
「ばぐわひが原」馬嵬。歴史的仮名遣は「ばくわい」が正しい。馬嵬は現在の陝西省咸陽市興平市馬嵬鎮(ちん)(グーグル・マップ・データ)。七五六年、「安史の乱」により蜀に蒙塵する途中、皇帝玄宗に対し、近衛兵らが楊国忠・楊貴妃が乱の原因であるとして、殺害を要求し、貴妃はここで玄宗の側近の宦官高力士によって縊(くび)り殺された。
「程なく、崩御なりし」玄宗は、翌年に三男で皇太子の李亨(粛宗)が玄宗の許諾なしに水から即位し、玄宗は仕方なく事後承諾した。玄宗は太上皇となったが、乱が収束して長安に戻った後は、乱の元を作ったことから、半ば禁裏中に軟禁状態となり、貴妃の死後、六年後の七六二年に淋しく崩御した。
「二(ふたつ)のつかより生出(をい〔いで〕)たる草」白居易の「長恨歌」のコーダで知られる「連理の枝」を「煙艸」(たばこ)の「草」の正字に引っかけて「相思草(あいおもひぐさ)」と戯れたものであろう。但し、この「相思草」は事実そのようなものとして、江戸庶民には本気で信じられていた。
「ぶくすれば」「服すれば」。彼は煙草を薬として語っているから、おかしくない。
「長命草(ちやうめいさう)」これも、やはり「煙草」の実際の異名としてあった。他に「延命草」「返魂草(はんごんそう)」「糸煙(しえん)」「わすれぐさ」「おもいぐさ」などとも称した。実際に長寿の薬として喫していた著名人や庶民も多かったようである。
「ねなまし物を、さよ更(ふけ)て」「小倉百人一首」(五九番)で知られる赤染衛門の一首。元は「後拾遺和歌集」の恋之部(六八〇番)所収。
中關白、少將に侍りける時、
はらからなる人に物言ひわたり
侍(はべり)けり、賴(たの)めて
來(こ)ざりけるつとめて、
女に代りてよめる
やすらはで寢なましものをさ夜ふけて
かたぶくまでの月を見しかな
*
前書の「中關白」は藤原道隆で、彼が左少将であったのは、天延二(九七四)年の二十二歲の十月から貞元二(九七七)年の二十五歳の一月までの間。「はらからなる人」は彼の同母の姉妹を指す。なお、参照した岩波一九九四年刊の「新日本古典文学大系」の久保田淳氏に脚注によれば、この歌は同時代の女流歌人『馬内侍集』(うまのないし 生没年不詳)『に「今宵必ず来んとて来ぬ人のもとに」という詞書で、全く同一の歌が収められている』とある。
「靑膏(せいかう)」現行でも「吸出し青膏」、一名「蛸(たこ)の吸出し」として販売されている。但し、現在のそれには、煙草は練り込まれてはいないようである。
「揀(ねつ)ては」誤字。この字には「選ぶ・選(よ)り分ける」の意しかない。
「是を割付(きざみつく)れば、切疵(きりきづ)に妙あり」ニコチンは血管を収縮させることから、止血剤としてヨーロッパにもそうした製剤は嘗てはあったが、中毒や細菌感染のリスクの方が大きい。
「はなれず」欠かせないものである。
「日待月待(〔ひ〕まち〔つき〕まち)」旧暦一月、五月、九月の十五日、又は、農事の閑な日に講員が頭屋(とうや)と呼ばれる集会所に集まり、斎戒して神を祀り、徹宵して日の出を待つ行事が「日待ち」であるが、近世には事実上は数少ない遊興の集まりとして行われた。「待つ」とは、本来は「神の傍に伺候して夜明しする」の意で、十干十二支の特定の日に物忌する庚申講や甲子(きのえね)講、而して広く物見遊山としての月の出を待つ「月待ち」などを総称して「待ちごと」と称する。
「名所(などころ)」名産地。
「甲斐の館(たて)」現在の甲府盆地の西部の旧西郡(にしごおり)地区は古くから刻み煙草の名産地として知られた。甲府城から西部に当たることから「館」と呼んだものか。
「攝州の服邊(はつとり)」大阪府高槻市内の旧村で、かなり広域であった服部村(グーグル・マップ・データでこの中央付近一帯)は、江戸中期より、良質な煙草が生産され、地名に因んで「服部煙草(はっとりたばこ)」と呼ばれていた。
「丹波の窪(くぼ)」不詳。地名を確認出来ない。
「よしのゝ薫(かほり)」「五畿内産物図会」(文化七(一八一〇)年序)に「吉野たばこ」とある。
『「いせ物がたり」に、……』以下の、
みよしのゝたばこのかねのひたぶるに
きみが來はでも寄るといふなり
は、「伊勢物語」の第十段にある以下の歌をかなりひどく手入れをしてパロったもの。
みよし野のたのむの雁(かり)もひたぶるに
君が方にぞ寄ると鳴くなる
前の大和の吉野で繋げているが、この歌の吉野は現在の埼玉県入間郡坂戸町三芳町(みよしまち)(グーグル・マップ・データ)は古く「三芳野里(みよしののさと)」として、この歌で歌枕となっているもので、吉野とは何の関係もない。そもそも変形させた歌の意味がよくとれない。「たばこのかねのひたぶるに」の「かね」は「かりがね」に掛けて、「金」を意味し、高級品として高値となってしまって、「來はでも」は「乞はでも」或いは「買(こ)はでも」で「乞うことも買うことも出来ぬが」、しかしれでも「寄る」は煙草の葉を「撚る」撚っているという、の謂いか? よく判らぬ。
「壱斤(〔いつ〕きん)」重量単位の「一斤」は「百六拾匁」(もんめ)で、約六百グラム。
「十六善神(ぜんじん)」十六善神(四天王と十二神将とを合わせた計十六名の、「般若経」を守る夜叉神とされる護法善神のこと。
「一兩の目の四匁」「匁」は銀目(ぎんもく)としての貨幣単位で換算したもの。数字合わせの遊戯。
「桃」言わずもがな、中国神話では不老長寿の霊薬とされた。
「西王母」中国古代の仙女。崑崙 (こんろん) 山に住み、不老不死の薬を持つ神仙とされ、仙女世界の女王的存在として長く民間で信仰された。
「三千(〔み〕ち)とせになるてふ桃の」「和漢朗詠集」(四四番)に、
三千年(みちとせ)になるてふ桃は今年より
花咲く春にあひそめにけり
作者は諸歌集で異なり(「和漢朗詠集」には作者名を附さない)、凡河内躬恒・坂上是則・壬生忠岑・藤原元輔となるが、「亭子院歌合」(ていじいんうたあわせ:延喜十三年三月十三日(九一三年四月二十二日)に宇多法皇が自身の御所亭子院に於いて開いたもの)での一首とするのが資料として信頼される故に、この作者は坂上是則である。
「重陽の菊酒」言わずもがな、これも中国古来からの長寿を願う儀式として行われた。
「三輪(〔み〕わ)の杉ばやし」奈良県桜井市三輪にある大神(おおみわ)神社の拝殿に吊るされる大きな杉玉。別名を「酒林(さかばやし)」とも呼ぶ。杉の葉を束ねて球状にしたもので、同社の祭神の司る一つとしては酒神としてのそれで、同神社が杉を神木とすることによるとされる。後にこれが酒屋の看板(酒箒(さかぼうき)・酒旗(さかばた))。として広く普及して現在に至る。
『參宮のむかひ人を「酒(さか)むかひ」と、となふる』遠方へ旅した者の無事の帰参を喜び、村境まで出迎えて共同飲食をもって祝う儀礼。村の外部との境に存在する辻や坂・川などまで出迎える酒宴でもてなしたりする村落共同体の民俗行事。表記は「坂迎へ」酒迎へ」とも記されるが、本来の主旨からすれば、「境迎へ」とすべきものである。遠方の神仏の参拝の際によく行われたが、特に伊勢講に於いて盛んで、「はばきぬぎ」とか「どうぶるい」(私は民俗用語を学名のようにカタカナ表記することを嫌悪するのでひらがなで示した)と称された酒宴を催す。そこで、講員に御札を分配しながら、土産話に花を咲かせたのであった。「共同飲食」は体力の回復ということだけでなく、神祀りの際の「神人共食」と類似したもので、この場合は、非日常の「はれ」の時空間から日常の生活へと戻るための、一種の通過儀礼的な要素を持っていたと思われる。また、地域によっては、嫁の村入りに際しての出迎えを「さかむかえ」と呼ぶ場合もある(以上は、主に小学館「日本大百科全書」に拠りながら、私の見解も添えてある)。
「淵明は一瓢をたのしみ、詩にも酒家門外(しゆかもんぐわい)に口〔くち〕に涎(よだれ)を流す、など、作れり」これも閑適の詩人として、酒を素材によく詠んだ陶淵明にかこつけてデッちあげた、架空の詩である。似たようなものさえない。
「ちろり」」「銚釐」。銅や真鍮製の「お燗」に用いる容器。筒形や円錐形で下の方がやや細く、注ぎ口と取手が附く。上部は開放性の物が多いが、高級なものでは、蓋附きのものもある。
「石火(せきくわ)のすみ火のうちに、たばこをよす」「すみ火」は「炭火」で、煙草盆の火付け用の「火入(ひい)れ」のことであるが、この「石火」には転訛した「きわめてわずかな、はかないこと」から「つまらぬ」論争の意も掛けてある。「たばこをよす」は「煙草を止す」で、「灰吹(はいふ)き」(煙草を煙管で吸い終えた際に火皿に残った灰を落とすための竹筒などの器)に叩いて、吸うのを終わりとしよう、論議も止めにしよう、というのであろう。
「のむにはしかじ」酒は勿論、煙草も「のむ」と謂う。]