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2020/12/12

南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(10:烏)

 

 ○烏、熊野の神の他に烏を使者とする例、信濃諏訪の宮(諏訪大明神繪詞上)江州日吉山王(山王利生記卷一)等有り隱州視聽合記卷二、知夫郡燒火山有双鴉、不見其外、常遊堂前、巢山樹、視客來則啼屋上、噪庭柯、於是社僧祠人豫知之、出神前待之云々、此他猶有りぬべし、古え女神「ジユノ」先づ烏を、次に孔雀を使者とせり、神武帝熊野の山道に迷ひ玉ひし時、天照大神八咫烏をして嚮導せしめ玉へる事あれば、熊野に烏は古くより所緣有りし也、希臘に「アポロ」神烏に化る事あり、「ラマヤナム」に神軍鬼軍と戰て敗走する時、閻魔烏に助けらる、その報酬に、葬饌を烏の得分とし、烏その食を受る時、死人の靈樂土に往き得と定む、希臘の古諺に、死ぬ事を烏の許に往くと言へり、予思ふに、烏は好んで屍肉を食ふ者なれば、印度又は埃及の「ヷルチユール」同然、人死に臨める上を飛廻り、又人尸を食はんとて從軍せしなるべく、自然豫め人の死を知らすとか、烏鳴きが惡いとか云言[やぶちゃん注:「いふこと」。]も起ると同時に、神使と看做されたる也、(Gubernatis, l. c., p.p. 198―9, 253―4; Budge, ‘The God of the Egyptians,’ 1904, vol. ii p.372 參看)元享釋書に、某大后遺令して玉體を野に棄てしめし事あり、雍州府志に、京都紫野古阿彌谷に林葬行はれ、死人を石上に置去り、狐狸に食せし由を載せ、長明の發心集卷四に、死せしと思ひて、病人を野に棄てけるに、烏其兩眼を食せし話あり、熊野は伊弉册尊[やぶちゃん注:「いさなみのみこと」。]御陵のある地にて、固より死に緣有り、古傳に死者の靈必ず後向き又逆ま立ちして之に詣づと云しは濃霧に行人の反影抔を幻映せるより生ぜしやならん(近松の傾城反魂香に出)今も近村の人死すれば、妙法山に亡者登り、鐘自ら鳴る等言傳ふ、予每度植物採集に之き、夜獨り死出の山路と云る所を步み、那智え[やぶちゃん注:ママ。]還りしが餘り心持宜しき事無かりし、去れば烏を熊野の神使とするは自ら譯有り、唯此山に烏多きのみに由來するにあらじ。

 

[やぶちゃん注:「江州日吉山王」滋賀県大津市坂本にある全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮である山王総本宮日吉大社(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。因みに、この神社の使者として知られるのは猿で特に「神猿(まさる)」と呼称している。

「山王利生記」「日吉山王利生記」(ひえさんのうりしょうき:古くは社名は「ひよし」ではなく「ひえ」と読んだ)は近江坂本に鎮座する山王権現を巡る霊験譚を集めたもの。鎌倉中期成立。作者不詳。

「隱州視聽合記」(いん(或いは「おん」)しゅうしちょうがっき:「記」は「紀」ともする)は江戸中期の寛文七(一六六七)年に著された隠州(隠岐国)地誌。全四巻地図一葉。但し、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の写本を見るに、これは「卷之二」ではなく、「卷之四」に附帯する「知夫郡燒火山緣起」(「燒火」は「たくひ」と読む)の一節である同データベース全巻PDF)の66コマ目から始まり、当該箇所は67コマ目の最終行から68コマ目にかけてに出現する。或いは写本によっては巻二にあるのかも知れぬ)。視認して訓読する(原文は訓点附き漢文)。熊楠の引用とは微妙に異なる箇所があり、明らかな続き部分も電子化した。〔 〕は私が推定で附した読み。

   *

山中に雙鴉〔さうあ〕有り、其外を見ず。常に堂前に遊び、山樹に巢〔すく〕ふ。客、來〔きたら〕んと欲するとき、則〔すなはち〕、屋上に啼〔なき〕て、庭柯〔ていか〕に噪〔さは〕ぐ。是に於て、社僧・祠人、豫〔あらかじ〕め、之を知〔しり〕て、神前に出〔いで〕て、㠯〔もつ〕て之を待つ。兒を產するときは、則、反哺〔はんぽ〕して厺〔さる〕、又、恒のごとし。

   *

「庭柯」は庭(ここは神苑)の木。「㠯て」「以て」に同じ。「反哺」とは、カラスの雛は、成長して後、親ガラスに食物を咥えて来て与え、養育の恩に報いると古くから信じられたことを指す。無論、そんな習性は実際のカラスにはない。

「ジユノ」ローマ神話で女性の結婚生活を守護する(主に結婚・出産)女神ユーノー(ラテン語:Juno)。主神ユーピテルの妻であり、ローマ最大の女神である。ギリシア神話のヘーラーに相当する。但し、シンボルの聖鳥は孔雀の方が知られ、後で熊楠が言うように、鴉を聖鳥とするのはローマ神話の太陽神アポロ(ギリシア神話のアポローン)が知られる。

「神武帝熊野の山道に迷ひ玉ひし時、天照大神八咫烏をして嚮導せしめ玉へる事あれば」「古事記」の「中つ卷」の冒頭の神武東征の下りの、先に熊パートで示した後に続いて、

   *

於是亦。高木大神之命以覺白之。天神御子。自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今自天。遣八咫烏。故其八咫烏引道。從其立後應幸行。故隨其敎覺。從其八咫烏之後幸行者。[やぶちゃん注:以下略。]

   *

 是に亦、高木(たかぎ)の大神(おほかみ)の命(めい)以ちて、覺(さと)し白(まうしたま)はく、

「天つ神の御子、此れより、奧つ方、莫(な)入り幸(ましたま)ひそ。荒ぶる神、甚(いと)多(さは)にあり。今、天より、八咫烏(やたがらす)を遣はしむ。故(かれ)、其の八咫烏、道引(みちび)きなむ。其の立たむ後(しりへ)より幸-行(い)で應(まさ)ね。」

と。故、其の敎へ覺しに隨ひて、其の八咫烏の後より幸-行でまししかば、[やぶちゃん注:以下略。]

   *

「高木の大神」は高木を神格化創造神である高御産巣日神(たかみむすびのかみ)のこと。「八咫烏」については、小学館「日本大百科全書」に(記号の一部を変え、読みは一部を除去した)、『記紀神話に出てくる大烏、あるいは頭の大きな大烏。「日本書紀」では、頭八咫烏という。東征の際、高木神(記)、天照大神(紀)によって神武天皇のもとに派遣され、熊野から大和に入る険阻な山中を導く。また紀では、兄磯城(えしき)・弟磯城(おとしき)の帰順勧告に派遣される』(「古事記」では上に続く箇所に出るが、そこでは兄弟は兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おとうかし)とし、兄は八咫烏を追い返すために射ている。その後、偽計を用いて服従せんと偽るも、結果、兄弟ともに討たれているが、「日本書紀」では、弟はそのことを恐れ、神饌を八咫烏に献上し、そこで彼は神武天皇のもとへと帰って、兄磯城に反抗の心がある旨を報告したと伝え、弟は正しく恭順したことになっているなど、記紀両書には若干の相違がある。後に正字化するが、私の古い本書中の一篇「牛王の名義と烏の俗信」(大正五(一九一六)年十月『郷土研究』初出)を電子化しており、そこに「日本書紀」の記載が熊楠によって記されてあるので、そちらも参照されたい)『鴨県主(かものあがたぬし)の祖である鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)が化したものともいい(「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」「古語拾遺」)、その子孫は葛野主殿県主(かどののとのもりのあがたぬし)ともいわれる(紀)』。『烏のもつ意味については、日神の使者、熊野のみさき、トーテム動物のほか戦陣で危急を救う鳥などと説かれているが、いずれにせよ』、『烏が神秘な能力をもつことを示す。この話を神武伝承に結び付けた氏族については、主殿寮(とのもりづかさ)の殿部(とのべ)として葛野県の鴨県主とするのが通説であるが、大伴(おおとも)氏とする異説もある』とある。

「ラマヤナム」古代インドの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」。ヒンドゥー教の聖典の一つで、「マハーバーラタ」と並ぶインド二大叙事詩の一つ。全七巻。成立は紀元三世紀頃で、詩人ヴァールミーキが、ヒンドゥー教の神話と古代英雄コーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したものとされる。先に示した後の「牛王の名義と烏の俗信」でも、熊楠は『インドには、『ラーマーヤナ』に、神軍、鬼軍と戦うて敗走する時、烏来たって閻魔(ヤマ)を助く。その報酬に葬饌を烏の得分とし、烏これを享くる時、死人の霊、楽土に往き得と定む』と再度、述べている。

「神軍鬼軍と戰て敗走する時、閻魔烏に助けらる、その報酬に、葬饌を烏の得分とし、烏その食を受くる時、死人の靈樂土に往き得と定む」私は「ラーマヤナー」を読んだこともなく、所持もしないのでよく判らないが、ウィキの「ラーマーヤナの登場人物一覧」及び「ガルダ」によれば、「鳥族」として鳥神「ガルダ」を挙げ、『ラーマ軍の危機を助けに現れる』と記す。インド神話に登場する炎のように『光り輝き、熱を発するとされる神鳥』で、『ガルダはサンスクリットやヒンディー語による名称で、パーリ語』(南伝上座部仏教現(存する最古の仏教の宗派)の経典で使用される言語)『では「ガルラ」』、『英語やインドネシア語などでは「ガルーダ」という。カシュヤパとヴィナターの息子で、ヴィシュヌのヴァーハナ(神の乗り物)である。ガルダの名は』「ガル」、「飲み込む」の『意に由来すると考えられている』。その一族はインド神話に於いて人々に恐れられるナーガ族(蛇・竜の族類)と『敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。これは、インドにおいて猛禽類や孔雀は蛇を食べると解釈されていたことによる。単に鷲の姿で描かれたり、人間に翼が生えた姿で描かれたりもするが、基本的には人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる』とあり、カラスは形象として出ない。しかし、ガルダは仏教にとり入れられて、仏教の守護神「迦楼羅天(かるらてん)」で八部衆・二十八部衆の一員となった後、飛翔と形状からしばしば烏天狗と同一視されているから、腑には落ちる。

「ヷルチユール」英語の「vulture」(ヴァルチュール)で、ここではヨーロッパ・アジア・アフリカ産のハゲワシ類(タカ目タカ科ハゲワシ亜科 Aegypiinae とヒゲワシ亜科 Gypaetinae とに属する。但し、この英単語は南米産のハゲワシとは縁のないコンドル類(タカ目コンドル亜目コンドル科 Cathartidae)を指す語でもあるので注意が必要)のことであろう。後に熊楠が示す、イタリアの文献学者コォウト・アンジェロ・デ・グベルナティス(Count Angelo De Gubernatis 一八四〇年~一九一三年)の、The God of the Egyptians」第二巻を「Internet archive」で発見出来たので、当該部(左ページ中央の段落)を見たところ、

   *

   2. The VULTUER was the symbol of the goddesses Nekhebet, Mut, Neith, and others who were identified with Nekhebet ; the cult of the vulture is extremely ancient in Egypt, and dates probably from predynastic times, for one of the oldest titles of the Pharaohs of Egypt is “Lord of the city of the Vulture (Nekhebet, or Eileithyiapolis), lord of the city of the Uraeus” (Uatchet, or Buto), and it is found engraved on monuments of the late predynastic and early archaic periods.  Ӕlian, in describing the vultures (ii. 46), says that they hover about the dead and dying, and eat human flesh, and that they follow men to battle as if knowing that they would be slain.  According to this writer, all vultures are females, and no male vulture was ever known ; to obtain young they turn their backs to the south, or south-east wind, which fecundates them, and they bring forth young after three years.

   *

冒頭でハゲワシは種々の世界神話の中の神のシンボルであり、神鳥としての彼らは、死者や死につつある人の上空をホバリングし、人間の肉を喰らい、しかも彼らは皆、女性であるとある。これ、北欧神話でお馴染みの、戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性及びその軍団、ワルキューレ(ドイツ語「Walküre」・古ノルド語「valkyrja」(ヴァルキュリャ)。「戦死者を選ぶもの」の意。戦場で死んだ者の半分をオージンの治める死者の館ヴァルホルへ連れて行く役目を担うとされ、ワタリガラスを伴って描かれたり、また、白鳥や馬と結び付けられることもあるとウィキの「ワルキューレ」にある)と属性と名が似ているのは、偶然とは思えない気がした。なお、グベルナティスの引用書誌に出る「l.c.」は「loc. cit.」とも書き、ラテン語の「loco citato」の省略形で、「示した場所にある」の意味を持つ。この語は、脚注や尾注や引用や参考文献に於いて、直前に示した文献と同じ文献で同じページの場合に使用される。

「元享釋書」「元亨釋書」(げんこうしゃくしょ)の誤植であろう。漢文体で記された日本初の本格仏教通史で、臨済僧虎関師錬(弘安元(一二七八)年~興国七/貞和二(一三四六)年)が鎌倉末期の元亨二(一三二二)年に完成させ、朝廷に上呈された。全三十巻。

「釋書」の「釋氏」で「仏陀」の意。収録内容は仏教伝来以降、鎌倉後期までの実に七百余年に及び、名僧の伝記や俯瞰的な仏教史を記す。南北朝時代には既に大蔵経に所収されている。

「某大后遺令して玉體を野に棄てしめし事あり」所持する「元亨釈書」の電子データで検索してみたが、それらしいものに行き当たらなかった。悪しからず。

「雍州府志」「雍州」は旧国名である山城国(京都府)の雅号。沿革・寺社・風俗・産物・古跡・陵墓に分けて記した地誌。十巻。儒医黒川道祐の撰になり、天和二(一六八二)年に完成させ、貞享元(一六八四)年の林信篤・人見竹洞の序を附して、貞享三年に自費出版した。

「京都紫野古阿彌谷に林葬行はれ、死人を石上に置去り、狐狸に食わせし由」「古阿彌谷」は判らぬが、「紫野」はこの大徳寺から船岡山周辺の広域地名である。かなり手こずったが、「国文学研究資料館」の当該書のオープン・データ画像で、「雍州府志補遺 古蹟門 愛宕の郡」の最初にあるのを見出せた。訓読して示す。(読みの内ひらがなは私が推定で附したもの)。

   *

古阿彌(こあみ)の谷 大德寺の西北に在り。中世、本朝に於いても亦、五葬有り。所謂る、火葬・土葬・水葬・野葬・林葬、是なり。斯(か)の處、巨松の下に、大石有り、其の形、大皷(おほつづみ)に似り。之に依て、大皷石と謂ふ。土人、林葬の塲にして新死(しんし)の人、則(すなはち)、屍を斯の石に靠(ヨセカ)け、衣を覆(おほひ)て去る。夜に入て、狐狸、之を食ふ。誠、不仁の甚(はなはだしき)なり。近世、斯の儀、無し。石も亦、今、亡(な)し。其の松の存するのみ。古阿彌の號、其の謂(いはれ)を知らざるなり。野僧古阿彌、之に住するか。斯の地、今、大德寺の中、寸松菴に屬す。後山と爲る。

   *

この最後の叙述から、位置が推定出来る。調べたところ、サイト「フィールド・ミュージアム京都」の「寸松庵・梅巌庵趾」によって、この中央附近であったことが判った。

「長明の發心集卷四に、……」鴨長明の「發心集」の「一 唐房法橋、發心の事」(行円(ぎょうえん)阿闍梨の通称で、三井寺の唐房に住んだ。源国挙(くにたか)の長男で永承二(一〇四七)年没)である。熊楠の指すそれは、伝本によってズレがあり、「第五」巻頭に配されてあるものもある。「日本古典ビューア」のこちら(これは「卷四」所収版)から視認した。読みは一部に留め、句読点を打ち、濁点を追加し、段落を成形した。踊り字「〱」は正字化した。歴史的仮名遣の誤りはママである。差しはさんだ注は、新潮日本古典集成の三木紀人(すみと)氏の校注本(昭和五一(一九七六)年刊)を参考に附した。

   *

   唐房の法橋、發心の事

 中ごろ、但馬守國擧が子に、所の雜色(ざふしき)國輔といふ人、ありけり。ある宮ばらのはした物[やぶちゃん注:召使の女。]を思ひて、こゝろざし、ふかゝりける比、ちゝの、たじまのかみにて下りければ、えさらぬことにて、はるかにゆきけり。一日二日のたえまだに、わりなくおぼゆるを、たちわかれては、たへぬべくもあらねど、いかゞはせん、さまざまにかたらひをきつつ、なくなく別れにけり。

 國にくだりても、これより外に、心にかくる事なし。京のたより[やぶちゃん注:京都へ何かを送る便(びん)があるたびに。]ごとに文をやれど、とゞかず、さはりがちにて[やぶちゃん注:女の方に障りがあって。]、返り事も見ず、いぶせくてのみ、とし月を送るあひだに、ことのたよりに人のかたるをきけば、

「京には、人、おほく病みて、世の中、さはがしくなんある。」

といふにも、まづ、おぼつかなき事、かぎりなし。

 かくしつつ、からうじて、京へのぼり給ひつ。

 しかありし[やぶちゃん注:前にその女とよく逢いに行った、の意か。]宮のうちをたづぬれば、

「はや、れいならぬことありて、出給ひにき。」

と言ふ。

 使ひ、むなしくかへりて、此よしをかたるに、ふと、むねふたがりて、何のあやめもおぼえず、立ちかへり[やぶちゃん注:折り返し。]、ゆくゑ、たづにやりたれど、しる人もなし。すべきからなくて、心のあられぬままに[やぶちゃん注:激しいいとおしさに任せて。]、すゞろに[やぶちゃん注:当てもなく。]馬にうちのりて、うち出にけり。

「西の京のかたにこそ、しる人、あるやうに聞きしが。」

とばかり、ほのかに思ひ出て、いづくともなくたづねありく程に、あやしげなる家の前に、此女の使ひしめのわらは、たてり。

 いとうれしくて、

『物いはん。』

と思ふほどに、かくるゝやうにて、家の内へ逃入いを、馬よりおりて、入て見れば、此をんな、うちそばみて[やぶちゃん注:顔を背けて。]、かみをけづりてなむ、ゐたりける。

「あな、いみじくおはしけるは。」

とて、うしろをいだきて、日比のいぶせかりつる事なむ、念ごろにかたらへど、いらへもせず、さめざめと、なくより外のことなし。

「われを恨むるなりけり。」

と、あはれに、こゝろくるしうおぼえて、なみだををさへつゝ、さまざまになぐさめゐたり。

「さても、などかは後をのみむけたまへる。いつしか、見たてまつらんと思ふに、今さへいぶせく。」

とて、ひきむけんとするに、いとゞなきまさりて、さらにおもてをむかへず。

「あな、いみじ。心ふかくもおぼし入たるかな。」

とて、しひて、ひきむくれば、ふたつのまなこ、なし。木のふしのぬけたるごとくにて、すべてめもあてられず。

 こゝろまどひ、とばかり[やぶちゃん注:暫くは。]、物もいはれぬを、ねんじて[やぶちゃん注:気を取り直して。]、

「さても、いかなりしことぞ。」

とと問ふ。主(ぬし)は、ねをのみ泣きて[やぶちゃん注:泣き声をたてるばかりで。]、ともかくもいははねば、ありつるめのわらはなん、なくなく、ことのありしやうをかたりける。

「御くだりの後、しばしは、『御文も、などかあるか』と、人しれずまちたまひしかど、さらに御をとづれもなくて、一年とせ、ふたとせ、過ぎにしかば、物をのみおぼして、あかしくらし給ひしあいだに、御やまひづきたまひて、宮を出たまひき。したしき御あたりにも、たよりあしき事[やぶちゃん注:不都合なこと。]どもありて、さるべきところも侍らざりしかば、これにてあつかひ[やぶちゃん注:看病し。]たてまつりしほどに、はかなくて、息もうしなひにき。『今はをき奉りても[やぶちゃん注:最早、ここにおいて置き申し上げても。]、かひなし』とて、此まへの㙒にをきたてまつりし程に、日中(ひなか)ばかり[やぶちゃん注:その日の正午頃に。]ありてなむ、思ひの外に、おきかへり給ひにし。そのあひだに、からすなどのしわざに、はやく、いひかひなきことになりて侍れば、とかく申すばかりなし。わざとも[やぶちゃん注:私どもの方から。]たづね奉るべきにてこそ侍りしかど、此御ありさまのこゝろうさに、『今は、いかで世にあるものと、人にしられじ』[やぶちゃん注:かくなってしまった上は、何としても、このような醜き姿となって生きていることを知られるぬようにせねば。]と、ふかくおぼしたるも、ことはりなれば、『かくれたてまつらん』と、つかまつるなり。」

と、なみだをおさへつゝ、かたるをきくに、心うく、かなしき事、かぎりなし。

「なにのむくひにて、かゝるめをみるらん。今は、此世のかぎりにこそ、ありけれ。」

とて、やがて、これより、ひえの山へのぼり、甘露寺の敎靜僧都(けうじやうそうづ)の房に、慶祚(けいそ)の㐧子にて、眞言のひほうを傳ふ。唐坊(とうばう)の法橋行因(ぎやうゐん)といひしは此人なり。山王[やぶちゃん注:比叡山の地主神。坂本の日吉(旧称は「ひえ」)大社に祀られてある。]にあひたてまつりて、かんじやうし奉りける人なり。

 この人、はじめて山へのぼりける時、我も[やぶちゃん注:彼自身も。]はかばかしうみちもしらず、しるべする人もなかりければ、人にとひつつ、たどるたどる、ゆきけるを、「水のみ」[やぶちゃん注:西坂本から比叡山に登る途中の地。]といふ所にて、だんなそうづ覺運といふ人、行あひて、いとあやしく、事のさまをみるに、

「出家しにのぼる人にこそ。いみじう、ちゑ、かしこきまなこ、もちたる人かな。いづくへゆくぞ。みよ。」

とて、人をつけやりてげり。

 つかひ、かへりきて、

「しかじか、甘露寺僧都のもとへ、入りぬ。」

といひければ、

「さればこそ。あはれ、いみじかりつる智者を、慈覺[やぶちゃん注:円仁。叡山の山門派の祖とされる。]の門人になさで、智證(ちしやう)[やぶちゃん注:円珍。山門派と対立した比叡山寺門派の祖とされる。]のながれへやりつる、くちおしきことなり。」

と、のたまひける。

 此人、眞言、習ひ初めける比、師のおほ阿闍梨[やぶちゃん注:先の慶祚か。]の、『心みん』とや思はれけん、

「『をとこにては[やぶちゃん注:俗人の男であった折には。]、物の眞似をよくし給ひて、おかしきかたに、人にきうぜられけり[やぶちゃん注:「人に興(きやう)ざれられけり」。滑稽な所作を成しては人を楽しませなされた。]』と聞きつるなり。千秋萬歲(せんしうばんぜい)[やぶちゃん注:長寿や繁昌を予祝する大道芸の舞い。被差別民が生業とした芸である。]し給へ。見ん。」

と言はれければ、またこともなく、

「うけ給はりぬ。」

とて、經のつゝみ紙のありけるを、かしらにうちかづきて、めでたくまふたりければ、あじやり、なみだをおとしては、

「『さだめて、いなびすらん』とこそ思ひつるに、まことの道心者なりけり。いととうし」とぞ、讃め給ひける。

   *

「熊野は伊弉册尊御陵のある地」和歌山県新宮市の熊野速玉大社を指しているのであろうが、ここは祭神であって、陵墓ではない。但し、次の次の注を参照。

「近松の傾城反魂香」近松門左衛門作の人形浄瑠璃で宝永五(一七〇八)年に大坂竹本座で初演された。私は何度も文楽で見ているが、ここで言っているのは「土佐将監閑居の場」の手水鉢のシークエンスであろうか。ストーリーはウィキの「傾城反魂香」を見られたい。

「妙法山」紀州の南端に位置する海抜七百四十九メートルの山。古くから「黄泉の国」(伊耶那美命は死後にその暗黒神となった)への入り口とされ、信仰を集め、山頂には真言宗妙法山阿弥陀寺がある。]

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