怪談登志男 始動 序・目録・卷之一 一 蝦蟇の怨敵
[やぶちゃん注:「怪談登志男」(くわいだんとしをとこ(かいだんとしおとこ))は寛延三(一七五〇)年に江戸で板行された前期読本奇談集。慙雪舎素及子(ざんせつしゃそきゅう)著になる「怪談實妖錄」なる著作を、談義本(宝暦年間(一七五一年~一七六四年)から安永年間(一七七二年~一七八一年)頃にかけて多く刊行された滑稽本の濫觴となった読本)の創始者として知られ、本篇の「序」もものしている静観房好阿(じょうかんぼうこうあ)の弟子である静観房静話が編集したものとされる。なお、書名は生まれの十二支に合った「年男」のことで、序にある通り、節分に厄払いの豆撒きをする役を担う追儺の「おにやらい」役のそれを、新生の怪談話を撒く役と反転させて洒落て喩えたものと思われる。
私が以前から電子化したいと狙っていた作品であったものの、活字本を所持しないため、躊躇していたが、ここで意を決して電子化することとした。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの二種を用いた。一つは活字本である「德川文藝類聚第四 怪談小說」(大正三(一九一四)年国書刊行会編刊)のそれを基礎データとし、今一つ、正しい原版本版のそれで校合した(以下を参照)。
前者は読点のみのベタ本文であるので、読み易さを考え、句読点や記号を追加し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。前者にはルビがないが、後者の版本が豊富に振られてあるので、難読と思われる箇所はそちらから読みを添えた。注は、今回は原則、校合して不審な箇所や、私の知見の守備外のものや意味不明の部分、及び、難読・難解、補説が必要と判断した語句に限ってストイックに附した。]
怪談登志男
序
彥作が言葉の花も嵐にさそはれ、曾呂理が紙帳も短夜の夢、武右衞門が鹿五郞兵衞が露、ともに見ぬ世の秋となりて、腹をかゝゆる輕口もなく、御伽ぽうこの了意法師も、功德、池の遠見に往(ゆ)れて、脊中のみらるゝ怪談もなし、冬籠(ふゆごもり)のつれづれ、なぐさむ咄の本のすくなきを恨むと、歎息する書林をいさめて、方八百里の廣い都に、怪談風情に事缺(ことかく)べきや、いで、もの見せんと腕まくりして、素及子(そぎうし)の撰置(えらひをか)れし實妖錄の其所此所を拾ひ、さらさらと五册につゞりし靜話房が例の筆まめ、誰(た)が口まめに告(つげ)やしつらん、予が隱家(かくれが)に尋來りて、序を乞事もいと眞實(まめけ)に、しかも今宵は大豆撒(まめまく)夜(よ)なれば、柊(ひらぎ)刺(さす)片手わざに、登志男と名付てやりしも、赤鰯(あかいわし)のあたまがちならんか。
寬延二年節分の日 靜觀堂書
[やぶちゃん注:冒頭の「彥作」が誰れを指すのか私には判らない。識者の御教授を乞うものである。
以下、目録。版本との異動が激しい。原版本には各話の頭の通し番号(読点附)はない。本文中でもないが、使い勝手はいいと思われるので、附した。]
怪談登志男卷一
目錄
一、蝦蟇(がま)の怨敵(おんでき)
二、天狗の參禪
三、屠所の陰鬼
四、古屋の妖怪
五、濡衣(ぬれぎぬ)の地藏
怪談登志男卷二
目錄
六、怨㚑亡二經力一
[やぶちゃん注:「怨㚑(をんりやう)、經力(きやうりき)に亡ぶ」。原版本には返り点はない(以下同じ)。]
七、古狸妖二老醫一
[やぶちゃん注:原版本は「老醫妖狸(らうのたぬきにはかさるゝ)」とある。]
八、亡䰟(ばうごん)の舞曲(ぶぎおく)
九、古井(こせい)殺人(ひとをころす)
十、千住の淫蛇
十一、現在墮獄
怪談登志男卷三
目錄
十二、干鮭(からざけ)の靈社
十三、望見(もちみ)の妖怪
十四、江州の孝子
十五、信田の白狐
十六、本所の孝婦
怪談登志男卷四
目錄
十七、科澤(しなさは)の强盜(かうとう)
十八、古城の蟒蛇(まうじや)
十九、白晝(ひるなか)の幽㚑
二十、舩中の怪異
廿一、沓懸(くつがけ)の大蛇(をろち)
怪談登志男卷五
目錄
廿二、妖怪浴二溫泉一
[やぶちゃん注:「妖怪、溫泉に浴す」。]
廿三、吉六虫妖怪
[やぶちゃん注:「吉六虫(きちろくむし)の妖怪」。]
廿四、亡魂通二閨中一
[やぶちゃん注:「亡魂(ほうこん)、閨中(ねや)に通(かよ)ふ」。]
廿五、天狗攫ㇾ人
[やぶちゃん注:「天狗、人を攫(つか)む」。]
廿六、天狗誘二童子一
廿七、庸醫得ㇾ冨
[やぶちゃん注:「庸醫(へたいしや)、冨(とみ)を得(う)」。]
怪談登志男卷第一
慙雲舍素及子著
一、蝦蟇の怨敵
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。]
過し寶永の頃にや、信浪國川中嶋より半路斗(はかり)、戌亥(いぬゐ)の方、善導寺とかやいへる淨刹に、空恩(くうおん)といふ沙門ありける。初、東武に來り、緣山(ゑん)に修學(しゆがく)し、年經て舊里に歸しが、行脚の志、しきりに起り、寺を出て、破笠爛筇(はりつらんきやう)、西にはしり、ひがしにおもむき、南去北來、しばらくも一所に足をとゞめず、一年(とし)、甲斐國身延山に至りて、つらつら其境(きやう)を見るに、聞しは物の數ならず、梅香(ばいかう)、梢にかほりて、栴檀(せんだん)、沈水(じんすずい)の芬(ふん)をほどこし、鶯鳥(かくてう)、軒に囀(さへつり)て、梵音、和雅(わげ)のひゞをたすく。
「無雙の靈場、實(げに)も一宗の本山とあほぐに足れり。」
と、こゝかしこ見𢌞るほどに、おもはず、日も西にかたぶきぬ。
[やぶちゃん注:「破笠爛筇」旅笠も破れて、竹の杖もぼろぼろになること。概ね、僧の行脚の凄絶なるを謂う。]
一宿(しゆく)をもとむれども、此所の習ひ、他宗の沙門に一夜の宿(やと)をもゆるさず、漸々(やうやう)として畝尾坂(うねおさか)と云、細道をつたひ、木の根につまづき、ころびたほれて、からふじて、二里餘も分過る比、夜も、はや、子の刻に過ぬ。行べき方も知れず、もとより、人家もなければ、
「いかゞせん。」
と、おもひわづらひしが、かしこを見れば、ふりたる宮居の、鳥居、たほれ、瑞籬(みづがき)、破(やふれ)れたるさま、
「あら、ぶさたの宮守(みやもり)や。」
と歎息しながら、
「究竟(くつきやう)の宿りにてあれ。今宵は此所に一宿せん。」
と、階(かい)をのぼりて、拜殿にひざまづき、掌(たなこゝろ)を合せ、いづれの神ともしらねど、かしはで打ならして、法施(ほつせ)の經など讀誦しける所に、轡(くつは)の音、
「りんりん」
として、衣冠正しき老人來り、社にむかひ、何事にや、云(いゝ)入給へるを、
『あやし。』
と、おもひ、耳をかたぶけ、聞居たるに、社の内より、又、異相の人、出むかひて、しばし、物語し給ふ樣なり。
漸(やゝ)ありて、來臨(らいりん)の異人の曰(いはく)、
「今宵、竹無村(たけなしむら)の與左衞門が女房、子を產(うめ)り。夫は當社の氏子なり、女は此叟(おきな)が氏子なり、足下(そこ)にも、出生の男子、守護に御出あらば、我も同道仕らん。」
と、のたまふ、
明神、答(こたへ)て、
「甚(はなはだ)よし。足下には、はやくいたり給へ。我は、今宵、客人(まろうと)あり。此所、無人(むにん)の境(きやう)なり。我、茲にあらざりせば、客僧、もし、怪我あらんか、此ゆへに往(ゆき)がたし。」
と答たまへば、
「然ば、我等ばかり參り侍らん。」
と、駒(こま)牽(ひき)かへし、急(いそき)給ふ。
空恩、感淚、肝に銘じ、五體投地(ごたいとふち)して、神恩のかたじけなきを拜謝す。
先の老人、亦、はせ來り、
「與左衞門が子の棟札(むねふだ)は、いかゞ侍らん。」
と問給へば、内陣より、
「此男子、蝦蟇(がま)の怨敵(おんてき)なり。十二枚の札を打給へ。」
と、のたまふ。
異人、諾(だく)して去(さる)とおもヘば、鷄(とり)の聲、かすかに聞ゆ。
「人家も遠からず、夜もあけぬ。」
と、よろこび、立出れば、はたして、人里あり。朝、草刈に出る童(わらへ)に、
「此山上の祠は何の神ぞ。」
と、とへば、
「道祖神なり。」
と、こたへぬ。
斯(かく)て人里に至り、此あたりの樣子を見るに、何れも、木、舞搔(まいかき)たる下地窻(したちまと)に、麻穀(あさから)をもちひたる、
「これなん、神勅の竹無村なるべし。」
と、
「此村の名は、いかに。」
と、とへぱ、
「竹無村。」
と、こたふ。
不思議の事におもひ、
「與左衞門といふ人や、ある。」
と尋ぬれば、
「當村の庄屋なり。」
と、こたふ。
「扨は。うたがひなし。」
と、與左衞門が家に立寄、火をもらひて、たぱこなど吞(のみ)ながら、
「御亭主は道祖神を信じ給ふか。」
と問ふ。
「中々の事、道祖神は當所の鎭守にておはしませば、我のみならず、一村、悉く、信ず。」
と答ふ。
空恩、過し夜の靈異、神勅の事、つぶさに語りければ、與左衞門は少し文才もありて、所の口利(くちきゝ)といはるゝ者なりしが、空恩が側へ、
「つ」
と、より、
「此賣(まい)僧、ぬくぬくと、我をたぶらかすおかしさよ。それは、道公(どうこう)とやらんいへる僧の、古き宮居に宿して、繪馬の足、つゞくりし舊(ふる)事。猿樂の能にも仕組(しくみ)て、皆人、知たる、かびのういたる昔語で、此與左衞門、いかぬ奴、はやふ出て、ゆかれよ。」
と、わるごふ[やぶちゃん注:「惡口」の訛か。]のありだけ、空は寬廣(くわんかう)の量ある長者の氣象、さらにあらそふ事なく、
「うたがひ給ふは理(ことは)なり。我、さらに物を貪る心なければ、何しに僞を說べき。足下の子息、十二歲を越給はゞ、其時、われを、賣僧とも、願人(くわんにん)とも、罵(のゝしり)給へ。」
と、袂をふるひ立さりしを、與左衞門、いかゞおもひけん、衣の袖をひかへ、
「和僧、此所に足をとゞめ、我子の老さきを見はやしたびてんや。もし、しからば、庵室(あんしつ)をしつらひ、薪水(しんすい)の勞を、たすけまいらせん。」
と、手のうら、返したる挨拶、元來(もとより)、喜怒をはなれたる沙門なれば、
「とも斯(かく)も。」
といらへて、終(つゐ)に後園(こうゑん)[やぶちゃん注:与左衛門の家の裏庭。]に庵を營み、十二年の星霜を此所に經たり。
村里(そんり)の人、空恩が人となり、寬大にして、曾て、いからざるを愛し、物よみ・手習の師匠にかしづき、たふとみける。
與左衞門が子は、智惠、さとく、愛らしく生立(おいたち)ぬるに付ても、父母、只、空恩が物語を心にかけて、今は僧にも馴染ぬれば、
『僞なりとも、にくみはせじ、あはれ、彼(かの)物語の誠ならざる樣にせまほし。』
と、朝夕おもひ出ぬ日も、なかりける。
光陰の矢の留る事なく、空法師が手づから植し松も、ことし、すでに棟梁の材とも成べく、秋風高く軒に闇[やぶちゃん注:「止(や)み」の当て字。]、山田の稻の、例より能(よく)實(み)のりて、民生(たみくさ)の悅べるさま、いはんかたなし。
與左衞門は庄屋といひ、數代(すだい)の百姓にて、家、甚(はなはだ)冨(とめ)るゆへ、田地餘多(あまた)[やぶちゃん注:「數多」に同じ。]あれば、猶(なを)しも、賑はしく、大勢の下部をひきぐし、刈取(とる)稻の、山をなして、手に手に、鎌を田の畔(くろ)に置(おき)、晝の餉(かれゐ)喰(く)ふもあり、煙草くゆらし、物語するもある中に、與左衞門が愛子(あいし)も、父と、ともなひ來り、爰(こゝ)かしこ、はせめぐりて遊び居たるが、深田(ふけた)の面(おも)の、涸わたり、璺(ひゞれ)たる[やぶちゃん注:罅割(ひびわ)れた。底本ではひらがな。]中に、大なるかへるの、眼(なまこ)をいらゝげ、腹をはりて、此愛子を目懸(かけ)、にらみたるさま、いとおそろしきに、何のわきまヘもなく、下男の刈捨置(かりすておき)たる尖(すると)なる鎌を取直(とりなを)し、田の畔(くろ)にひざまづき、鎌の柄にて、ねらひ、突(つき)に突たるが、鎌の刃(は)の、己が首筋にかゝるとも、露、しらず、力にまかせて突たる程に、我(われ)と、わが首を搔落(かきおとし)て、あへなく、田の面(も)の露と、きへぬ。
與左衞門、はじめ、上を下へと、さはぎけれど、せんかたなし。
與左衞門、
「きつ」
と、心を取直(なを)し、
「おもひ出たり、『蝦蟇の怨敵なり』との神勅、十二歲迄の定業(ちやうこう)、悔(くやみ)ても、甲斐なし。」
と、其鎌にて、卽座に髻(もとどり)[やぶちゃん注:原本の漢字表記は「元取」。]を拂ひ、去(きよ)々年出生の男子に跡を讓り、弟に後見(うしろみ)させて、空恩と連(つれ)て、廻國行脚しけるが、後(のち)に空恩と、東西へわかれ、空恩は今に存命にや、其所在[やぶちゃん注:原本は「在所(さいしよ)」。]、しれがたし。
與左衞門は覺念法師と號す。
享保四年の秋、信州善光寺に尋來りて、此事を語り置ぬ。
則、善光寺三十一世の住、淳遇法師の直談なり。
« 只野真葛 奥州ばなし 始動 / 狐とり彌左衞門が事幷鬼一管 | トップページ | 奥州ばなし おいで狐の話幷ニ岩千代權現 »