奥州ばなし 四倉龍燈 / 龍燈のこと (二篇)
[やぶちゃん注:今回は、同じ怪火「龍燈」(日本各地に広く伝わるかなりメジャーな怪火現象。概ね、海中より出現し、海上に浮かんだ後、幾つもの火が連なったり、海岸の木などにとまるなどとされる。龍神の棲み家とされる海や河川の淵から現れることが多く、「龍神が灯す火」として「龍燈」と呼ばれ、時に神聖視もされていた。枚挙に暇がないが、「諸國里人談卷之三」がよかろうか。「橋立龍」・「嗟跎龍燈」・「野上龍燈」・「光明寺龍燈」がある。また、「三州奇談續編卷之七 朝日の石玉」や「三州奇談續編卷之八 唐島の異觀」も見れたい)を扱っているだけでなく、二篇目は一篇目に対する真葛の考証であるから、続けて示すこととする。]
四倉龍燈
橋本正左衞門、りうが崎の役人をつとめしころ、少々、上《かみ》の用金を𢌞《まは》し、旅行のこと有しに、東通りの道中にて四倉《よつくら》と云所に着《つき》、人步《にんぷ》[やぶちゃん注:古くは「にんぶ」。公役に徴用された人民。夫役(ぶやく)を課された人民。]を、つぎかへしに、滯《とどこほり》て、出《いで》ず。
「このあたり、物さわがしきこと、有《あり》。」
と聞《きき》て、
「一寸も早く、此宿を行《ゆき》ぬけん。」
と、いらだちて催促せしに、日も暮《くれ》かゝりしを、
「いそぎの用事。」
と、いひたて、夜通しに人步を云《いひ》つけしかば、駕人足《かごにんそく》ばかり出《いで》たりしを、正左衞門、駕にて先へ行、養子八弥に目くばせして、用金入《いり》たる物を、さあらぬていにて殘し置、
「少しも早く、追付《おつつけ》、來《きた》れ。」
と云付て立《たち》たりしに、八弥、其とし、十八才なりし、大事の荷物、あづかり、心づかひ、いふばかりなし。宿にては、
「物さわがしきをりふし、夜通しに荷𢌞《にまは》しは、しごく、あやうし。ひらに、一宿有《あり》て、明日早く、出立《しゆつたつ》あれかし。おそれて、人步も出がたし。」
といはれて、いよいよ、氣もまどへど、
「よし。途中にて、こと有《ある》とも、おめおめ、おぢ恐れて一宿しては、養父に云譯なし。」
と、心をはりて、荷物に腰をかけて、人步を、ひたすらに、せつきしに[やぶちゃん注:せっついたところが。]、四《よつ》頃[やぶちゃん注:午後十時頃。]に、漸《やうやう》出し馬方《むまかた》は、十二、三の小女《こをんな》兩人なりし。
『まさか。時は、足手まとひぞ。』
と思ふには、有《あり》かひもなく、心ぼそけれど、
「是非にをよばず。」[やぶちゃん注:ママ。]
引立行《ひつたてゆき》しに、
「その『物さわがしき』と云《いふ》は、今、行《ゆき》かゝる海邊。うしろは、黑岩《くろいは》そびへたる大山《おほやま》、前は大海《おほうみ》にて、人家たえたる中程の岩穴に、盜賊、兩三人、かくれゐて、晝だにも、壱人旅《ひとりたび》のものをとらへ、衣類・身の𢌞りをはぎとりて、骸(から)を海になげ入《いれ》しほどに、人通り絕《たえ》しをりにぞ有《あり》し。」
と、馬子《まご》共のかたるを聞《きき》て、いよいよ、心もこゝろならぬに、はるか遠き海中より、さしわたし壱尺餘りなる、火の玉の如き光、あらはれ、くらき夜なるに、足本《あしもと》の小貝《こがひ》まで、あらはに見えたり。
「はつ」
と、おどろき、
「あれは、何《なん》ぞ。」
と、馬子にとへば、
「こゝは龍燈(りゆうとう)のあがる所と申《まうし》ますから、大方、それでござりませう。」
と、こたへて、はじめて見し、ていなり。
ことわりや、十二、三の小女《こむすめ》、いかで、深夜に、かゝる荒磯《あらいそ》をこすべき。
八弥も、
『おそろし。』
とは思ひつれど、さらぬだに、三人の小女[やぶちゃん注:底本では「三」の右にママ注記。]、ふるふ、ふるふ、馬、引ゆくを、
『おぢさせじ。』
と、氣丈にかまへて、ひかせ行、
「盜人《ぬすびと》の住《すむ》と云《いふ》、岩穴ちかく成《なり》たらば、聞《きか》せよ。」
と、いひ置しに、小聲にて、
「此あたりぞ。」
と、つげしかば、
「何ものにもあれ、出來《いでき》たらば、たゞ一打《ひとうち》に切《きり》さげん。」
と、鍔(つば)もとを、くつろげて、心をくばり行過《ゆきすぐ》るに、小女、云《いふ》、
「こよひは、留守でござりませう。あかりが見えませぬ。」
と云しかども、
「留守と見せても、ふと、出くるや。」
と、油斷せざりしが、盜人の運や、つよかりけん、かしらも、きられざりき。
海中の光は、三度《みたび》迄見たりしとぞ。
八半過《やつはんすぎ》[やぶちゃん注:午前三時過ぎ。]に、先の宿にいたりしに、正左衞門は、用金、殘して、若き者に預置《あづけおき》、
「ものさわがし。」
と聞て、いねもやられず、門に立《たち》てまちゐしが、遠く來りし影を見るより、
「やれ、八弥、不難《ぶなん》にて來りしか。よしなき夜通しして、大苦《だいく》をまうけしぞや。」
とて、悅《よろこび》しとぞ。
[やぶちゃん注:この話、仙台での話ではないので注意されたい。
「四倉」旧福島県石城郡四倉町(よつくらまち)。現在は福島県いわき市四倉町(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。当時は磐城平藩領かと思われる。
「橋本正左衞門」「養子八弥」ともに、最早、本書ではお馴染みの藩士とその養子である。
「りうが崎の役人」常陸国河内郡龍ヶ崎村、現在の茨城県龍ケ崎市にあった仙台藩常陸国龍ケ崎領の仙台藩龍ヶ崎陣屋の代官附きの役人であろう。初代藩主伊達政宗は、慶長一一(一六〇六)年三月に徳川幕府の代官から、常陸国河内郡(現在の龍ケ崎市と茨城県稲敷市の一部)内と信太郡(現在の茨城県稲敷郡)内の二十六ヶ村(一万石余り)を与えられて、仙台藩常陸国龍ケ崎領が生れた。現在の龍ケ崎市の大半が含まれ、龍ケ崎村に陣屋を構えて代官を置き、常陸国における仙台領支配の中心地として、また、江戸との物流の中継地としたため、龍ケ崎は繁栄した。
「上《かみ》の用金を𢌞《まは》し」藩の御用金の輸送のようである。
「東通り」福島県東部の太平洋側沿岸の南北の広域地域を指す「浜通り」のことであろう。こうした呼び方は今はないと思うが、方位的には腑には落ちる。
「つぎかへしに」「継ぎ變しに」。そこまで雇った馬方人足と駕籠人足を次ぎ替えようとしたところ。
「夜通し」夜間運行。
「荷𢌞し」馬方による荷物運送。
「その『物さわがしき』と云は、今、行かゝる海邊。うしろは、黑岩そびへたる大山、前は大海にて」地図を見るに、四倉から北へ向かう岬を回り込むルート(この道中がその方向であったかどうかは判らぬが)は、このロケーションに「バッチ・グー!」(グーグル・マップ・データ航空写真)で、「蟹洗の磯」から「鷹ノ巣」という地名の岬に次いで「波立(はったち)海岸」ときた日にゃ、ここでなくてどうしますか!?! てぇんだ!
「骸(から)」言わずもがな、殺した旅人の遺骸の意。
「くらき夜なるに、足本《あしもと》の小貝《こがひ》まで、あらはに見えたり」さりげない描写だが、怪談のキモをしっかり押さえた大切なリアリズム・シーンである。
「かしらも、きられざりき」先に八弥は「一刀のもとに斬り下げてやる!」と生きこんでいたから、「かしら」は盗賊らの頭部の意である。
「先の宿」北上が正しいルートなら、時間と距離から見て、福島県双葉郡広野町辺りか。]
龍燈のこと
海の漁をするものゝはなしに、世に「龍燈」と云ふらす物、實は、火にあらず、至《いたつ》て、こまかなる羽蟲《はむし》の、身に螢の如く光《ひかり》有《ある》ものゝ、多く集《あつま》れば、何となく、ほのほ[やぶちゃん注:「炎」。]の如く見なさるゝものなり。
夏の末、秋にかゝりて、ことに、おほし。時有《ときあり》て、おほく、まとまりて、高き木のうら[やぶちゃん注:「末(うら)」で「うれ」とも言い、梢(こずえ)のこと。]、又は、堂の軒端などにかゝるを、火の如く見ゆる故、人、「龍燈」と名付しものなり。
筑紫の「しらぬ火《ひ》」も、是なり。
水上に生《うまる》る蟲にて、螢の類《たぐひ》なり。沖に舟をかけて、しづまりをれば、まぢかくも、つどひくれど、息、ふきかくれば、たちまち散《ちり》て、見えずなるなり。
されば、「かならず、此日には、龍燈、あがる」といふ夜も、大風、吹《ふき》、又は、雨ふりなどすれば、「あがらず」と聞《きく》を、此夜、四倉にて見し光は、是とは異なり、いづれ、ふしぎの光にぞ有し。【解云、この說、極めて、よし。ためして見つるにはあらねど、ことわり、さあるべくおぼゆるかし。】
[やぶちゃん注:羽虫というのは正体説として全く現実的でないが(蛍以外に、そのような発光生態を持つ「昆虫」は本邦には棲息しない。下界の人工光の反射現象は問題外として、ある種の発光バクテリアを附着させた鳥や昆虫が飛翔して光る可能性は否定は出来ないが、そうした事例を実際に現認したことなければ、そうした科学的事実を立証したデータを見たこともない)、所謂、球電などの物理現象としては、理論上は成立する(実際に私自身は説明不能の火球現象を見たことはない)。ただ、真葛の言い添えている「沖に舟をかけて、しづまりをれば、まぢかくも、つどひくれど、息、ふきかくれば、たちまち散て、見えずなるなり」というのは、実態を正確に述べているとは言えないものの、ホタル類とと同じルシフェリン-ルシフェラーゼ反応(Luciferin-luciferase reaction)で発光するウミホタル(節足動物門甲殻亜門顎脚綱貝虫亜綱ミオドコパ上目 Myodocopa ミオドコピダ目ウミホタル亜目ウミホタル科ウミホタル属ウミホタル Vargula hilgendorfii )やヤコウチュウ(アルベオラータ Alveolata 上門渦鞭毛植物門ヤコウチュウ綱ヤコウチュウ目ヤコウチュウ科ヤコウチュウ属ヤコウチュウ Noctiluca scintillans )の発光様態と親和性を持つ内容ではある。最後に辛気臭い因果教訓を垂れたり、糞のような怪奇談種明かしもどきをして天狗になっている凡百の浮世草子怪談作家連なんぞに比べたら、真葛は遙かに優れた立派な民俗学者であるとさえ言える。]
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