怪談登志男 三、屠所の陰鬼
三、屠所(としよ)の陰鬼(いんき)
[やぶちゃん注:ずっと後の離れた位置にある本篇の挿絵を、国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングして示した。]
今はむかし、越後の國の名高き城下の侍町(さむらいまち)に、不思議の屋敷有りける。門戶、かたぶき壞(やぶ)れ、蓬生(よもぎふ)の露、打はらひて、誰(たれ)尋入る人もなければ、蜘蛛の網に日の光さへ照(てら)さず。
ある時、其頃の城主、追烏狩(おいとりがり)の歸るさに、此躰(てい)を見咎め給ひ、
「何とてか樣に荒たるや。うち見たる所、能(よき)屋敷なり。修理して何者にても相應の輩(ともから)にあたへよ。」
と仰ければ、近習(きんじふ)の人々も、委しき事をしらず、早速、返答申あぐる人もなかりける。
さすが、大家(たいけ)の大樣(おうやう)、漸(やうやく)、當所町改(まちあらため)岩本某(それがし)を召出して、樣子を尋られけるに、
「此屋敷、いか成怪(あやしみ)や、さふらふらん、むかしより、二日と住居いたすものなく、立退(たちのき)候ゆへ、古城主、幾人か、御代々、『化もの屋敷』と名附、其儘に差(さし)置給ひ候。當御領に罷成、いまだ、幾(いく)程も無二御座一候間、御存なき[やぶちゃん注:「ごぞんじなき」。]段、御尤に候。」
と申あげければ、近習の人、此由を言上(ごんじやう)せらる。
城主、聞給ひて、屋形(やかた)へ歸らせ給ひ、其後、程經て、霖雨(りんう)[やぶちゃん注:幾日も降り続く長雨。]打續たる徒然(つれつれ)に、近習(じゆ)・外(と)樣のへだてなく、みなみな、御前に出て、酒を給り、城主、手づから肴を給はり、其樣子、何とやらん、常にかはりぬ。
『いかなる御意にや。』
と、いぶかしけれども、各、數盃(すはい)をかたぶけたるに、御小姓・諸士の姓名を𤲿て[やぶちゃん注:「かきて」。]、玉としたる鬮(くじ)を持出て、座中に轉(ころば)し出し、
「誰も皆、其玉を一つ宛(づゝ)取りて、披(ひら)き見給へ。もし、我名を、我と、とりあたりたる者あらば、申上らるべし[やぶちゃん注:謙譲の自敬表現。]。其段、是にて着到(ちやうくとう)すべし。御用の儀、あり。」
と云(いゝ)わたせば、
『さればこそ。』
と、おもひながら、手に手にとりて、披き見るに、大かた、他人の名ぞ、取あたるに、御前伺公(しこう)[やぶちゃん注:「伺候」。]の數、四十三人、各、歷々の侍の中にて、わけて武勇すぐれたる者、九人まで、我名に取りたるぞ、ふしぎなる。
此由、披露しければ、一々、御前の帳にしるされ、又、前のごとく、玉を投(なげ)て取せ給ふに、此度は、四人あり。三度めの鬮に、七人、何れも、すぐれし勇士なり。
城主、甚、喜悅あり、
「いつぞや見たる化物屋敷へ、まづ、一番手の人數九人、今宵、彼地に罷[やぶちゃん注:「まかり」。]むかひ、夜中の樣子、つぶさに申上ベし。二番は明夜、三番は明後日の夜、發向(はつかう)すべし。」
と仰出され、警固のため、足輕・中間、高提灯・突棒(つくぼう)・鋏子俣(さすまた)を備へ、立走り向ひ、荒(あれ)屋敷の門内へ亂れ入り、暮六ツ[やぶちゃん注:不定時法。先の「霖雨」を梅雨とするならば、初夏ともとれ、だとすると、午後八時前ぐらいとなる。]過る比より、夜の明るを待居たるに、初夜[やぶちゃん注:夜の初め。戌の刻。午後八時時から二時間相当。]過、後夜(ごや)[やぶちゃん注:これは通常は寅の刻で、夜半から夜明け前の午前四時頃を指すが、以下の「丑みつ」(午前二時から四時)と合わないので、ややおかしな用法であるが、午前零時を過ぎたことを言っているものととる。]も告(つげ)、丑みつばかりの頃より、並居たる者共、何とやらん、しきりに心凄く、闇(くら)き後(うしろ)の覺束なく、淋(さみ)しさ限りなきに、
「すは。怪物(ばけもの)の出るならん。」[やぶちゃん注:「出る」は「いづる」と読みたい。]
と、各、互(たがい)にこぶしを握り、勇氣をはげまし、居たる所に、床(ゆか)の下にて、數十人、泣聲高く、太刀音(おと)、響(ひゞき)きこへけるが、其後は音もなし。
わづかに、板敷一重(ひとへ)なれば、
「いかなる仔細のあらん。」
と、刀の柄(つか)に手を懸(かけ)、白眼(まなこ)あいて居たるに、此度は、梁(うつばり)のうヘに、瘦たる男の首、百ばかり、並(ならび)出て、上になり、下になり、互に打當(うちあて)、
「どう」
と、座中へ、落たりし。
おそろしさ、たとヘがたし。
然ども、名ある侍共なれば、落たる首ども、かき集(あつめ)て、一所に積(つみ)置、夜あけ迄、守(まもり)居たるに、すでに、しのゝめの、ひたと、しらめる頃、一度に消(きへ)、あとかたも、なかりける。
皆々、立歸りて、此ありさま、つぶさに言上におよびければ、
「怪(あやし)き事かな。今宵も左あるか、急ぎ、支度(したく)して、むかふべし。」
との、仰にまかせ、二番手の四人の勇士、はせむかふ。
其夜、また八ツ過におよび、年の頃、三歲斗(ばかり)の小兒(しやうに)、奧より出て、臺所へ逃まよひ、泣叫(なきさけぶ)。
跡より、數十の瘦(やせ)首ども、轉(ころび)出て、小兒(ちご)を追行しが、頓(やが)て、小兒に、
「ひし」
と取付、喰盡(くいつく)して、消(きへ)うせたり。
又、跡より十歲ばかりの男子(のこ)[やぶちゃん注:「をのこ」。「を」は振られていない。]、小脇指(きわきざし)を橫たへ、振(ふり)かへり、振かへり、是も、さきのごとく、臺所へ逃出たるを、首ども、あまた取付て、わらべを喰ひ盡して、首ども、皆、庭へ轉行(こけゆき)しが、
「ぱつ」
と消(きへ)て、夜は、ほのぼのと明にけり。
此旨、つぶさに訴ヘければ、人々、皆、奇異のおもひをなす。
次に、三番の七人組(ぐみ)のむかいし第三の夜にあたりて、れいの頃、小兒(ちご)を抱(いだ)きたる女一人、泣悲(なきかな)しみて、逃まよふ。
數百の首、顯はれ出、喰ひ盡して消(きへ)る事、先の人々の注進のおもむきに違(たが)ふ事、なし。
此後、しばらく、何事もなく、最(いと)しんしんと更闌(こうふけ)て、鷄(とり)のこゑ、遠里(ゑんり)に聞ゆる頃、大の男が、髮をし、みだし、血刀(ちがたな)提(さげ)て、板敷を荒らかに踏鳴(ふみなら)して、人々並居たる中を、ちと、會釋して通りけるを、各、一同に、言葉をかけて、拔打(ぬきうち)に切懸(きりかけ)しが、手ごたへもなく、消うせて、薄(うす)紙を切ごとくなりしに、又、大の男、顯れ出て、刀を捨(すて)、近く居寄(いより)、むね、苦げに、坐したるさま、おそろしなんども、おろかなり。
各、詞(ことば)をそろへ、
「汝、何者ぞ。我君の下に住(すみ)ながら、狐狸(きつね・たぬき)にもせよ、かゝる妖怪(ようくわい)をなして、人をおどし、あたら、屋敷を、かく、荒地となすを、其儘にすておかんや。疾(とく)、去べしや。左なくば、此土を掘(ほり)かへしても、狩出す[やぶちゃん注:「かりいだす」。]。」
と、あらゝかに罵りければ、大男、泪(なみだ)を流し、
「此間よりのありさまを御覽じ、狐狸の妖怪と思召も、尤ながら、某(それがし)、まつたく、左樣の類(るい)にあらず。我は、往古(わうご[やぶちゃん注:原本のママ。])、此城の舊主に仕へし藥師寺外記(やくしゞげき)と申者、他國迄、沙汰におよびし、多年の惡行(あくぎやう)、超過(てうくは)し、人を伐(きる)事、甚、面白く覺え、役儀にあらぬ斬罪の事を業(わざ)とし、五日とも人を殺伐(さつばつ)せざれば、心うき事におもひ、男女の罪人、手にかけし所、千人に餘る。此惡因、積(つもり)、死せる時、種々の惡想(あくさう)を現じ、幾年(いくとし)か、此屋敷に住人に、此ありさまを見せて、追善をも請度(うけたく)、人さへ入來れば、まみゆれど、まづ、我苦痛の想(さう)を顯はし後ならでは、我、至る事を得ざれば、是まで、終に、我姿を見たる人なく、初のあやしみを、人々、見はてもやらず、逃出る故、年月を、ふる。我苦(くるし)みを『あはれ』と思召て、此事、上に申て給べ[やぶちゃん注:「たべ」。]。」
と、言下(ごんか)に、消(きへ)うせて、跡かた、なし。
人々、つぶさに此事を注進しけれぱ、急、其屋敷を打崩(うちくづ)し、臺所の庭一ケ所、中の間一ケ所、奧の座敷とおぼしき所、板敷の下、掘穿(ほりうがち)、各、四、五尺づつ、掘て見るに、枯骨(ここつ)、山のごとく重り、年久しき血に染替(そみかへ)て、濃紫(こきむらさき)の岩となり、淺ましげなる髑髏(どくろ)の、累々たるを、一つ所につみ重ね、寺院に仰(おゝせ)て、追善の法事、一七日[やぶちゃん注:「ひとなぬか」と読んでおく。]が程、修行(しゆぎやう)し、骸骨を厚く葬(ほうむり)給へば、其後、其屋敷、普請ありて、名ある侍に下し置れしに、いさゝかの妖怪もなく、靜(しづま)りける。
これも、ひとへに、國の守(かみ)の惠(めぐみ)ならずや。恩澤、枯骨におよぶ、民、いづくんぞ、歸服(きぶく)せざらむ。
[やぶちゃん注:この手の、亡者が怪異の正体で供養を求める展開の怪談は、枚挙に暇がないが、本篇は怪異出来のシークエンスがこれでもかという感じに波状的で、なかなかヴィジュアルとしても迫ってきて、非常に優れていると思う。
「屠所」本来は食肉用の家畜を殺して処理する所を指すが、ここはシリアル・キラーとなった薬師寺外記が正規の咎人の斬首とは別に、秘かに私的に、無理矢理、無垢の民草を罪人扱いにしては捕縛し、その人々を屋敷内で斬り殺しており、その血塗られた外記の元屋敷こそが「屠所」なのである。しかも、彼はその惨殺した遺体を、ばれぬように自身の屋敷内に埋めていたということが最後に明かされる点でも真正の「屠所」というわけなのである。
「追鳥狩(おいとりがり)」歴史的仮名遣は「おひとりがり」が正しい。山野で雉子(きじ)などを勢子(せこ)に追い立てさせて狩ることを言う。
「大樣(おうやう)」歴史的仮名遣は「おほやう」が正しい。落ち着きがあって、小さなことにこせこせしないさま。ここは、事態が一向に明らかにならず、重臣らもまるで情報を持たないにも拘らず、城主がそれに苛立たなかったことを指す。
「町改(まちあらため)」江戸時代の町奉行相当か。この話柄、場所も時制も特定出来ない。
「無二御座一候間」「御座無く候ふ間(あひだ)」。
「鬮(くじ)を持出て」実は底本では以下、「出て」とした部分は、総て「出で」となっている。しかし、原本は皆、「出て」である。私はこれは「出(い)で」ではなく、「出(いで)て」と読むべきと考える。されば、総てを清音にした。
「御前伺公(しこう)の數、四十三人、各、歷々の侍の中にて、わけて武勇すぐれたる者、九人まで、我名に取りたるぞ、ふしぎなる」筆者は、この籖(くじ)の仕儀が、既にして神霊の力の領域に入っていることを示している。妖怪か悪霊か判らぬ対象を退治するために必要な人物を託宣に任せることで、本篇のゴースト・バスターの選択が神意に適(かな)ったものであることを示し、以下の展開に於いても、彼らが恐懼するシークエンスはあっても、読者の期待通り、大団円に進むことが、この呪的システムの発動によって伏線化されているわけである。
「突棒(つくぼう)」江戸時代に使用された捕物道具の一つ。頭部は鉄製で、形はT字型を成し、撞木(しゅもく)に酷似する。この鉄製部分には多くの歯(棘)がついており、長柄(ながえ)は凡そ二~三メートルほどである。
「鋏子俣(さすまた)」同前。「刺股」「指叉」「刺又」とも表記する。頭部は同じく鉄製であるが、こちらはU字形の金具がつけられているが、狭義のU字部分には齒はなく、平たくなっており、長柄に差し込む部分には歯を持つものが多い(長柄の長さは前と同じ)。先端部分で相手の首や腕などを壁や地面に押しつけて動きを封ずる。また、先端金具の両端には外側に反った返しがあり、これを対象者の衣服の袖などに絡め、引き倒す際にも利用される。
「わづかに、板敷一重(ひとへ)なれば」荒れ屋敷であるから、薄い床板だけで畳や上にさらに打った敷板なども既にないのである。
「三歲斗(ばかり)の小兒」「小兒(ちご)を抱(いだ)きたる女一人」この子供は私は再登場ではないと考える。後の子は女に抱かれているところから、三歲より小さい。それと筆者は語っていないが、まず、これは明らかに亡き薬師寺外記の亡き妻と亡き二人の子なのではなかろうか。則ち、この二つのシークエンスは、実は外記の長子と次子と妻が外記への怨念を持った亡者によって食い尽くされるという、亡者たる外記の心内に繰り返し展開される地獄絵としての悪業の生み出す恐るべき凄惨な幻想(外記本人の言う「惡想」である)なのだろうと思うのである。そう読み込んでみて、初めて、これらのキャラクターの登場の意味が私には腑に落ちるからである。但し、幻想であるからして、輪廻の中で反復されるのあってみれば、別に、この小児は同一人の外記の子であっても構わない(それは寧ろ残酷な印象となるが、筆者はそこをも狙っているのかも知れない)。
「藥師寺外記(やくしゞげき)」不詳。ネット検索を掛けると、伊豆国の薬師寺外記と掛かってくるが、これは後の怪談絵巻「模文畫今怪談」(ももんぐわこんくわいだん:唐来参和作・細田栄之(鳥文斎栄之)画。板行は天明八(一七八八)年)での設定変更で、本書の載る怪談本集成も持っているものの、電子化する気も起らないもので、本篇を恐ろしく短縮した(キャプションの話はたった十七行である)話にならない剽窃物である。国立国会図書館デジタルコレクションの合本の当該画像(左頁)を見られたい(見て失望されても私の責任ではない)。まあ、詞書だけ、翻刻しておこう(斜線は改行部。「起」は本篇で判る通り、「超」の誤字)
*
伊豆のくにゝ/たくし寺外記と/いへるもの多ねん/あく行起過して/人をきる事を/このみやくぎに/あらぬさんざいの/事をわざとし/てにかけしざい人/千人にあまれり/此あくいんつもり/しせるときかづの/くび家ぢうに/むらかり出て/くるしめし/となり
*
「まづ、我苦痛の想(さう)を顯はし後ならでは、我、至る事を得ざれば」やや表現に不足がある気がする。ここは、
「まづ、我が苦痛の想を顯はして後(のち)ならでは、我、至る事を得ざれば」
とあって落ち着くように思われる。]