奥州ばなし 猫にとられし盜人
猫にとられし盜人
奧の正ほう寺、消失のこと有《あり》しのち、諸國の末寺へ、納物《をさめもの》の事、沙汰有しに、江戶なる德安寺は末寺につきて、半鐘と雙盤(そうばん)をわりつけられしに、其品、出來《しゆつたい》せしかば、和尙、
「持參して、奧へ旅立《たびだつ》。」
とて、曉天に立《たち》て、千手《せんじゆ》[やぶちゃん注:千住のことであろう。]に小休《しやうきふ》して有し時、
「希代の珍事、出來《しゆつたい》せし。」
とて、寺より、飛脚、追付《おひつき》たり。
その故は、
「和尙、立後《たちしのち》、人、少《すくな》なるを見込《みこみ》て、盜人《ぬすびと》の、『内をうかゞふ』とて、障子の紙を、舌にてぬらし、穴を明《あけ》んとせしを、かねがね、和尙のひぞうせし猫の、其所《そのところ》にふしゐたりしが、舌の先へ、とび付《つき》て、かたくゝはへて、はなさず。盜人は、思ひよらぬこと故、もだへ、くるしみ、障子ごしに、猫をつよくひきしかば、いよいよ、猫も强く食《くひ》たりしほどに、人々、音を聞《きき》つけて、見しに、猫もころされしが、盜人も死《しし》たりき。」
と告《つげ》たりける。
和尙、つぶさに、ことのよしを聞て、猫を哀《あはれ》とかんじ、又々、もとの寺に歸りて、猫と盜人のあとをとぶらひ、しるしの石をたてゝのち、奧には下りしとぞ。
此僧、最上《もがみ》、出生《しゆつしやう》なり。幼年より、出家のこゝろざし、深切なりしが、勝《すぐれ》たる美僧にて有しかば、十八、九のころ、娘子共(むすめごども)のしたふこと、さわがしかりしを、自《おのづと》うれひて、廿一、二の頃なりしに、寺に、談義有て、人、多くつどひし時、諸人のみる前にて、羅切《らせつ》したりき。
生國《しやうごく》のもの共《ども》は、感じ、たふとみし、とぞ。
最上より來りし、はしたばゝの、ことのよしをよくしりて、語《かたり》し、まにまに、しるす。
出家の道に忠《ちゆう》有し故、手ならせし猫も、信《しん》有て、主《あるじ》の爲に命をすてしなるべし。
[やぶちゃん注:「正ほう寺」奥州にこの名の寺は幾つかあるが、恐らくは最も知られた、東北地方で最初に開創された曹洞宗古刹で仙台藩主伊達氏の帰依を受けていた、岩手県奥州市水沢黒石町字正法寺にある大梅拈華山圓通正法寺(しょうぼうじ)のことではないかと思われる。南北朝時代の貞和四(一三四八)年に無底良韶禪師によって開山された寺である。
「消失」回禄による焼失。
「德安寺」不詳。この名の寺は現存せず、「江戸名所図会」にも載らない。名前が違う可能性が高いが、所在地の片鱗も真葛は記していないのを恨みとする。なお、先の正法寺の公式サイトによれば、現在も七十三ヶ寺の末寺を有するとし、宗門において特別の格式を保持する古刹として広く知られているとある。正法寺に直接聞けば、答えは出るかも知れぬが、そこまでやる気はない。悪しからず。
「雙盤(そうばん)」底本表記は『双盤』。仏具としての金属製の打楽器。台に伏せ置きに据えるか、木製の吊り台に吊って槌状の木製の桴(ばち)で打ち鳴らすもの。「鉦」「鉦鼓」とも呼ぶ。「双盤」の名称は、本来、二つ一組で用いたことに由来するものの、現在は一つだけで用いられることが多いようである(参考にしたサイト「浅野太鼓楽器店」のこちらで画像が見られる)。
「最上」山形県最上郡附近(グーグル・マップ・データ)。
「羅切《らせつ》」男根(陰茎)を切除すること(睾丸も含めて切除する場合もかく呼ぶ)。本邦の仏教では修行の妨げになるという意味で、インドの悪魔「マーラ」に由来する「魔羅」という隠語で男性器を呼んだことから、その「魔羅」を「切断」するという意で「羅切」と呼ばれるようになった、とウィキの「羅切」にある。]