奥州ばなし てんま町
てんま町
仙臺新てんま町といふ所に、小鳥をかひ、鉢植《はちうゑ》のつぎ木などして、世をわたる人、有し。文化十年[やぶちゃん注:一八一三年。]の頃、四十ばかりと見えたり。何方《いづかた》の生《うまれ》といふことを、しらず。武藝は何にてもたづさはらぬこと、なし。分《わけ》て、
「馬をよくせし。」
とて、
「のりて見たし。」と、常に云しとぞ。【武藝にたづさはりしをもて思へば、武士の末なるべし。】
はじめは、妻をも具したりしが、久々《ひさびさ》、病氣にて、終に、むなしくなりしを、
「人の生死《しやうじ》は天より給はるもの。」
とて、さらに、藥用も、くはへず、貧、極りて、食事さへ、心にまかせずして終《をは》らせしが、いづくよりとり出《いだし》けん、金三兩を布施にして、院號をこひうけしを、近邊の人、とがめていはく、
「三兩の金、たくはへあらば、妻女、存世中、藥用をもくはへ、食事をもこゝろよくさせて、看病せよかし。死《しし》て後、名のみ高くつきたりとて、何の益かあらん。」
と、もどき云《いふ》[やぶちゃん注:逆らって非難して言う。]を、此人、かしらをふりて、
「いや、さにあらず。虎は死て皮をのこし、人は死て名を殘《のこす》。藥用・食事についえをかけしとて、死《しす》べき命の、とゞまること、なし。是は、上なき、あつかひなり。」
と、そこ淸く思ひとりしていにて、いさゝかも悔《くい》の色なかりしとぞ。
獨身《ひとりみ》となりては、一衣《いちえ》の外、たくはへなく、冬になれば、家の内、一面に土穴《つちのあな》をふかくほり、あたりに段をつけて、鉢植をならべ、其中に琴をひきてたのしみ、寒をしのぎゐしとぞ。
詩歌俳諧などのたぐひ、遊藝、すベて、勝《すぐれ》たり。「いやしからぬ人の、なり下りたるならん」と察しられたり。【記者の思へらく、かゝる人には、添《そひ》たくなし。】
[やぶちゃん注:「仙臺新てんま町」現在の宮城県仙台市青葉区中央(仙台駅及びその西方)附近(グーグル・マップ・データ)の旧町名。公園(ドットした)名やビル名に今も残る。
「そこ淸く思ひとりしていにて」「底淸く思ひ取りし體(てい)にて」。心中深く清貧の思いを強く守っている様子で。
「記者の思へらく、かゝる人には、添たくなし」真葛の半生の経験や個人の女としての痛烈な述懐が、ガツンとくる。]