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2021/01/20

芥川龍之介書簡抄3 / 明治四三(一九一〇)年書簡より(2) 山本喜譽司宛(龍之介描画(模写)ドストエフスキイ肖像附)

Akudosstoe0
Akudosstoe

明治四三(一九一〇)年八月五日・神奈川縣相州高座郡鵠沼村加賀本樣別莊方 山本喜穏譽宛・自筆繪葉書)

 

今日官報ニテ發表君ノ夢ノ如ク4番ニ候ヒキ西川ハ一番中原ハズーツト下ニ候上瀧ハ試驗ヲウケタ方ノ二番ニ候ヒキ

七日六時ノ汽車ニテ參ルベク悉細ハ拜晤ノ時ヲ期シ候

   匆々

5日 竜生

 

[やぶちゃん注:描画下のキャプションは「A TH DOSTOEIWSKI」。フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキイ(Фёдор Миха́йлович Достое́вский)のラテン文字転写は「Fyodor Mikhailovich Dostoevsky」であるが、フランス語表記では「Dostoïevski」となる。さても、これは芥川龍之介のオリジナル画と勘違いしている人も多いようだが、実は、龍之介が、スイスの画家で現代木版画発展に貢献したフェリックス・エドゥアール・ヴァロットンFélix Edouard Vallotton 一八六五年~一九二五年:彼はジュール・ルナールJules Renard)の「にんじん」POIL DE CAROTTE1894の挿絵でもよく知られる。リンク先は私の全挿絵入りの岸田国士訳である。因みに龍之介はルナールを偏愛しており、彼の幾つかの作品がルナールの「博物誌」(リンク先は私の岸田訳の原文附きの私の電子化注である)をインスパイアしたものであることはよく知られているが一八九五年に描いたドストエフスキイの肖像版画の模写であり、キャプションも最後の署名「FV」を除いて、そのまま写したものなのである。フランス語サイト「The Centre Pompidou」のこちらで原画を見ることが出来る。頭の「A TH.」(原画ではコンマが打たれてある)はいろいろ調べてみたが、判らずじまいであった。悪しからず。識者の御教授を乞う。「5日」は画像で判る通り、原葉書では横書。最初の画像は底本の岩波旧全集のものを、二番目のものは、所持する「もうひとりの芥川龍之介展」の冊子「もうひとりの芥川龍之介」(一九九二年産經新聞社発行)のものをトリミングした。後者の方が地塗りのタッチがよく判る(なお、同冊子は末尾に「禁無断転載」とするが、パブリック・ドメインの作品を単に平面的に撮影したものに著作権は発生しないというのが文化庁の正式見解である)代わりに、下部の書信の下方が切れているので、双方を掲げた。

 既に述べたが、この日、芥川龍之介は官報で一高に無試験合格したことを知った。一方、山本喜誉司の方は、この時、同じく一高を試験受験したのだが、不合格となり、翌年に一高を再受験し、第二部乙類(農科)に合格している(その後の事蹟は既注。但し、不合格後の山本の敬意は後に述べることとする)。

「西川」親友の西川英次郎。「芥川龍之介 書簡抄1 明治四一(一九〇八)年から四二(一九〇九)年の書簡より」で既注。

「中原」中原安太郎(生没年未詳)。三中時代、明治四二(一九〇九)年八月の槍ヶ岳登攀に龍之介らと同行している(私の「槍ヶ岳紀行 芥川龍之介」を参照)。芥川とともに一高第一部甲類に入学した。芥川の「學校友だち」(大正一四(一九二五)年二月発行『中央公論』)によると、『これも中學以來の友だちなり。諢名[やぶちゃん注:「あだな」]は狸、されども顏は狸に似ず。性格にも狸と言ふ所なし。西川に伯仲する秀才なれども、世故には西川よりも通ぜるかも知れず。菊池寬の作品の――殊に「父歸る」の愛讀者。東京の法科大學を出、三井物產に入り、今は獨立の商賣人なり。實生活上にも適度のリアリズムを加へたる人道主義者。大金儲したる時には僕に別莊を買つてくれる約束なれど、未だに買つてくれぬ所を見れば、大した收入もなきものと知るべし』とある。

「上瀧」「かうたき(こうたき)」と読む。上瀧嵬(こうたきたかし 明治二四(一八九一)年~?)龍之介の江東小学校及び府立三中時代の同級生。一高の第三部(医学)に入り、東京帝国大学医学部を卒業後、医師となって、後に厦門(アモイ)に赴いた。詳しくは「芥川龍之介手帳 1-4」の私の注を参照されたい。

「七日六時ノ汽車ニテ參ルベク」この葉書を出した二日後の八月七日に午後六時の列車で鵠沼に滞在中の山本喜誉司を訪ねた後、二人で静岡方面の旅行に出かけている。この旅には不合格となった山本への龍之介の気遣いが強く感じられる。なお、龍之介は十四日に帰宅したが、帰宅してみると、九日からの豪雨によって隅田川が氾濫しており、龍之介は旅行姿のままで三中に向かい、十八日・二十日・二十二日には、三中卒業者(卒業式は三月)及び在校生による洪水罹災の救済活動に参加している。この時の様子は「水の三日」(三中『学友会雑誌』明治四十三年十一月発行に所収)に記されてある(リンク先は「青空文庫」のもの。新字新仮名)。

「悉細」「しつさい」。あまり見たことのない熟語であるが、「細かな謂いたいこと」の意。絵で書信の余白がないことからの使用であろう。

「拜晤」親しく互いに向き合って挨拶する時。孰れもちょっとした言い添えであるが、やはり不合格であった山本への労りが感じられる。ドストエフスキイの絵も、具体的にはよくは判らないが、何かそうした彼への、ともにロシア文学を愛読した龍之介流の励ましのメッセージのつもりであるように私には思われる。

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