ブログ・アクセス1,480,000アクセス突破記念 梅崎春生 服
[やぶちゃん注:本篇は昭和二七(一九五二)年十二月号『文芸』に発表されたもので、後、昭和三十二年一月に刊行した作品集「馬のあくび」(現代社)に収録された。
底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第三巻」を用いた。
冒頭に出る「汽車」の「阿比留だったか江比留だったか」「名前はちょっと忘れた」「小さな駅」とあるが、「阿比留」・「江比留」・「あびる」・「えびる」の文字列の駅名は現存しない。旧駅名でも検索に片鱗も掛かってこない。
なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが昨夜、1,480,000アクセスを突破した記念として公開する。精神的にやや疲弊しているので、短いもので悪しからず。【2021年1月7日 藪野直史】]
服
夜汽車だった。汽車は夜風を切って、海沿いの線路をぐんぐん走っていた。海には月が照っていた。やがて、阿比留だったか江比留だったかな、名前はちょっと忘れたが、その小さな駅に汽車がガタンと停ると、僕が乗っている客車に、そいつがトランク一つぶら下げて、乗り込んできたのだ。そいつは僕の前に腰をおろした。
僕はそいつの顔を見た。それからそいつの着ている服を見た。そいつは僕の顔を見た。それから僕の着ている服を見た。そしてイヤな顔をした。おそらく僕もイヤな顔をしていたのだろうと思う。
そいつの着ている洋服の柄が、僕のとそっくり、いや、全然同じだったのだ。
洋服地のことはよく知らないが、鼠色の地に、こまかい縞がちりちりと走っている。見かけはちょっと厚味があり、どっしりしているが、どういうものか、すぐ皺になる傾向がある。純毛らしく見せかけながら、インチキな繊維が相当に混入されているらしい。僕はこの服地を、家にやってきた行商人から、七千円というのを、五千円に負けさせて買ったのだ。あとで仕立屋に見せたら、五千円なんかとんでもない、三千円止りのしろものだと聞かされて、大へんしゃくに障ったんだが。――でも捨てるわけにも行かず、とにかく仕立てさせ、こうして着て歩いている。それと同じ地の服を、そいつが着ていたのだ。
そいつは厭な顔をして、僕の方をちらちらと横目で見ていた。それから、急に立ち上ると、網棚のトランクから週刊雑誌を取出して、眼の前にひろげて読み始めた。そいつは三十五六の、顎の角ばった男で、どこか会社員らしい風体の男だった。顔はかくれて見えないが、週刊雑誌のむこうで、そいつの癖ででもあるのか、しきりにチュッチュッと歯をすする音が聞える。僕は何となくじりじりしてきた。汽車の速度が、急にのろくなってきたような気がする。オシッコが出たくなってきた。(マヌケめ!)と僕は胸の中でつぶやいた。(お前も行商人か何かから、インチキな服地を摑まされたんだろう!)
汽車がトンネルに入ったらしい。音が突然車内にこもった。僕はふと窓ガラスを見た。窓ガラスにうつったそいつの顔が、じっと僕を横目使いに見ている。僕はあわてて視線を外らした。と同時に、そいつも視線を外らしたらしい。そしてかざしていた週刊雑誌を、乱暴な動作で網棚の上にほうり上げた。僕の方を見ないようにしながら、ぐいと立ち上った。
そいつは座席の背をつかみ、よろよろしながら、通路を向うに歩いてゆく。便所に行くのらしい。と思ったら、僕の尿意も急に激しくなった。(畜生!)と僕は心の中で呪いの声をあげた。先手を打たれたみたいで、しごく業腹だった。(あいつが便所に行っている間に、席を変えちまおうかな?)もうそれは僕の自尊心が許さなかった。ボウコウが破裂しそうになって来た。
「よし!」
僕もはずみをつけて立ち上った。とたんに車体がごとりと揺れて、網棚からさっきの週刊雑誌がすべり落ち、僕の頰を叩いたのだ。僕はそれを拾い上げ、そいつの座席にたたきつけてやった。そして憤然と座席を離れ、通路に出た。
大急ぎで通路をあるき、二車輛向うのトイレットにころがり込んでやっと用を果たした。手を洗って出てくると、その隣りの車輛が、食堂車になっているではないか。そうだ、あいつと面つき合わしてるより、食堂車でビールでも飲んだ方が、よっぽどましだ。そうだ、あいつと面(つら)つき合わしてるより、食堂車でビールでも飲んだ方はよっぽどましだ。そう思って、バターやカレーやラードの匂いのするその明るい車輛に、僕は胸をそらして足を踏み入れたのだ。
とっつきの卓に腰をおろすと、給仕女が来た。僕はビールとオムレツを注文しながら、ふと見ると、僕の直ぐ前に、そいつがちゃんと腰掛けているのだ。僕はギョッとした。そいつの眼が、ぎりぎりと吊り上って、僕をにらんでいる。とっさに僕は悟った。こいつも僕から逃げるつもりで、食堂車にやってきたに違いないのだ。
そいつの顔がコチコチに硬ばって、肩をいからしている。僕だって対面の客と同じ服を着てるのが、もう居ても立ってもいられない。時間の動きののろさ加減といったら、生涯にこんなウンザリしたことはないよ。新聞か雑誌でもあれば、それを読むふりも出来るんだが、それも手もとにない。向うだって同じだから、コチコチになっているんだ。
給仕女が、そいつの注文を運んできた。再び僕は飛び上りたくなった。だって、そいつの注文品も、ビールとオムレツではないか。
給仕女はとってかえすと、つづいて僕の注文品を運んで来た。真白い卓布の上に、ビールが二本、オムレツが二皿、シンメトリカルな構図をつくって並んだのだ。給仕女がそれぞれのビールの栓をシュッとあけ、それぞれのコップにビールを満たした。その液体の色や泡の形までが、双生児のようにそっくりだったよ。そいつは、嫌悪に満ちた表情で、コップに手を出した。僕も同じ表情で、同じことをした。そいつはヒマシ油でも飲むような恰好で、コップを唇にもって行った。同じく僕も。
生れて今まで、僕は数知れぬほどビールを飲み、数知れぬオムレツを食べた。しかし、この時ほど不味(まず)いビールとオムレツは、初めてだったね。思い出してもうんざりする。死にたくなるぐらいだ。――この旅行以来、僕はその服を着ないのだ。あれを着るぐらいなら、ハダカで歩いた方がいい。欲しけりゃ君に上げようか。
[やぶちゃん注:梅崎春生好きなら、直ちに思い出す《鏡像》の主題である。最高傑作の「鏡」(二篇構成のオムニバス小説「破片」で「三角帽子」と「鏡」から成る(ブログ版。他にPDF縦書版もある)、その後者)は、既にこの前年の昭和二六(一九五一)年一月号『文学界』に発表されている(後の単行本「春日尾行」(昭和三〇(一九五五)年十一月近代生活社刊)に所収)。但し、この「服」は、「鏡」のような日常へ鏡像関係の反日常的事実が侵犯してくる戦慄性が全くなく、至ってコミカルな展開に終始している。「鏡」を未読の方は、この機会に、是非、読まれんことを強くお薦めしておく。]