奥州ばなし かつは神
かつは神
在所中《うち》、新田といふ所に、合羽神《かつぱがみ》とせうする社《やしろ》有《あり》。みたらしめきて、池の如くなるもの有、いかなる晴天つゞきても、かるゝこと、なし。それより、用水の堀、つゞきて有し。
此家人なる、細產甚之丞と云しもの、十七、八の時分、下まちの若き者兩人と、同じく水をあみて、用水堀をくくゞりくらして有しに、三人、おなじくくゞりしが、いつのほどにや、水無《みづなき》所に出《いで》たりしに、きれいなる家居有て、内に、はた織《おる》音の聞へしかば、いぶかり思ひて、
「爰は、いづくぞ。」
と、うちなる人に問ひしかば、
「爰は、人の來る所、ならず。早く歸れ。」
と、こたへし故、驚《おどろき》、さらんとせしかば、よびとゞめて、
「こゝに來りしといふことを、三年《みとせ》過《すぎ》ぬうちは、人に語るべからず。身に、わざはひあらん。」
と敎《をしえ》たり。
いよいよおそれて去しが、また、もとの用水堀に出たりき。
その往來の間、いつも、心おぼえず成て有し、とぞ。
さるを、町のもの、壱人、そのとしの内に、酒に醉《ゑひ》て語出《かたりだし》たりしが、ほどなく、死《しし》たりしかば、是に、みごりや、したりけん、甚之丞は、一生、かたらざりし。
[やぶちゃん注:この話、河童伝承としては類がない龍宮伝承と語りを禁忌する異類異界型の混淆が感じられる非常に変わったものである。
「新田といふ所に、合羽神とせうする社有」これは仙台からはかなり北に離れるが、現在の宮城県大崎市岩出山上真山街道上(いわでやまかみまやまかいどうかみ)にある磯良(いそら)神社は「カッパ明神」と通称する(グーグル・マップ・データ)のことではあるまいか。そのサイド・パネルにある岩出山町の説明版画像によれば、
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この西方にある[やぶちゃん注:この説明板は本殿から東南に離れた鳥居脇にある(ストリート・ビューで確認済み)。]磯良神社は、カッパの虎吉を祀ったものと言伝えられています。
虎吉は、陸奥の豪族、藤原秀郷の馬屋に仕え、主人に大変気にいられていましたが、ふとしたことからカッパの正体がばれ、暇をもらって主家を出ました。主人から持仏の十一面観音をもらい平泉をあとにした虎吉は、諸方を転々とし、ここを永住の地と定めました。その後、ここを通る酒売商人がお堂をつくって祀ったと伝えられています。
例祭は、旧暦の6月15日です。 宮城県 岩出山町
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とある。河童が人に化けて、しかもかの秀郷に仕えていたというのは、河童伝承の中では稀に見る話といえよう。言ってみたい。拡大して見ると(サイド・パネルにも画像有り)、祭殿の前に有意に大きな池(沼)がある。
「細產甚之丞」不詳。この姓も検索に掛からない特異な姓である。仮に「ほそうみじんのじょう」(現代仮名遣)と読んでおく。
「いつも」現実世界に戻る、その間中、ずっと。
「町のもの」甚之丞と一緒に泳いでいて、堀端で待っていた残りの二人には、甚之丞は少しだけ話たものであろうから、その両人に孰れかであろう。
「みごり」「身懲り」であろう。]