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« 南方熊楠 小兒と魔除 (1) | トップページ | 怪談登志男 始動 序・目録・卷之一 一 蝦蟇の怨敵 »

2021/01/03

只野真葛 奥州ばなし 始動 / 狐とり彌左衞門が事幷鬼一管

 

[やぶちゃん注:本書は文政元(一八一八)年成立した、怪奇談集である。考えてみると、私が初めて手掛ける女性の書いた怪奇談集である。私がこれを高く評価するのは、男性作家の怪奇談の有意な多くが、確信犯の創作性を基本として、それを何ら、自己批判なく成しているのに対して、これは後の民俗学的な意味での採話としての語りを崩していないからである。

 底本は天保三年から翌年にかけて曲亭馬琴によって成された写本を親本とした所持する一九九四年国書刊行会刊の「江戸文庫 只野真葛集」(鈴木よね子校訂)を用いたが、恣意的に漢字を概ね正字に直して示す。

 読みは殆んど振られていないので、私が丸括弧で推定読みを歴史的仮名遣で附した。元の真葛が振ったルビは《 》で示した。私の判断で段落を成形し、改行も行った。句読点や記号も追加してある。【 】で示したのは底本にある原本の割注・傍注・頭注である。]

 

     狐とり彌左衞門が事幷ニ鬼一管

 

 

此宮城郡なる大城の、本川内にすむ小身者に、勝又彌左衞門といふもの有き。天生、狐をとることを得手にて、若きより、あまたとりしほどに、取樣(とりざま)も巧者に成(なり)て、この彌左衞門が爲に、數百(すひやく)の狐、命をうしなひしとぞ。狐はとらるゝことをうれひ歎(なげき)て、あるは、をぢの僧に【狐の、をぢ坊主に化るは、得手とみへたり。[やぶちゃん注:原割注。]】」化て來り、

「物の命を、とること、なかれ。」

と、いさめしをも、やがて、とり、又、何の明神とあふがるゝ白狐(びやくこ)をもとりしとぞ。

 其狐の、淨衣を着て、

「明神のつげ給ふ。」

とて、

「狐とること、やめよ。」

と、しめされしをも、きかで、わな、懸しかば、白狐、かゝりて有しとぞ。

 奇妙ふしぎの上手にて有しかば、世の人「狐とり彌左衞門」とよびしとぞ。

 其とりやうは、鼠を油上(あぶらあげ)にして、味をつけ【此の味(あぢ)付(つく)るは口傳《くでん》なり。[やぶちゃん注:原割注。]】、其油なべにて、さくづをいりて、袋にいれ、懷中して、狐の住(すむ)野にいたりて、鼠をふり𢌞して、歸りくる道へ、いりさくづを、一つまみづゝふりて、堀有(ある)所へは、いさゝかなる橋をかけなどして、家に歸入(かへりいり)て、我やしきの内へわなをかけおくに、狐のより來らぬことなし。[やぶちゃん注:「さくづ」は宮城方言で「米糠(こめぬか)」を指す。]

 ある人、

「目にもみえぬきつねの有所(ありどころ)を、いかにして知(しる)。」

と問ひしかば、彌左衞門、答(こたへて)、

「狐といふものは、目にみえずとも、そのあたりへ近よれば、必(かならず)、身の毛、たつものなり。されば、野を分(わけ)めぐりて、おのづから、身の毛、たつことの有(あれ)ば、狐と、しるなり。」

と、こたへしとぞ。

 勝又彌左衞門と書(かき)し自筆の札をはれば、狐、あだすること、なかりしとぞ。【解(かい)[やぶちゃん注:馬琴の本名。]、云(いはく)、相模の厚木より、甲州のかたへ五里ばかりなる山里、丹澤といふ處に、平某(なにがし/ぼう)といふものあり。これも狐を捕るに妙を得たり。土人、彼を呼(よび)て「丹平」といふ、といふ。その術、大抵、この書にしるす所と相似たり。享和年間[やぶちゃん注:一八〇一年~一八〇四年。]、予、相豆[やぶちゃん注:相模と伊豆。]を遊歷せし折、是を厚木人(あつぎのひと)に聞(きき)にき。[やぶちゃん注:原頭注。]】

 又、其ころ、鯰江六大夫[やぶちゃん注:「なまづえろくだいふ」か。この話とこの本文は、実は「柴田宵曲 妖異博物館 命數」で既に電子化している。参照されたい。]といふ笛吹(ふゑふき)の有(あり)し。國主の御寶物に、「鬼一管(きいちくわん)」といふ名(な)有(ある)笛、有けり。是は、昔、鬼一といひし人のふきし笛にて、餘人、吹こと、あたはざりしとぞ。さるを、六大夫は吹(ふき)し故、かれがものゝごとく、あづかりて有しとぞ。【世の常の笛と替りたることは、うた口(ぐち)の節(ふし)、なし。もし、常人、ふく時は、かたき油にてふさげば、ふかるゝとぞ。[やぶちゃん注:原割注。]】

[やぶちゃん注:本冒頭の長めのこの一篇は、実は後に続くものと異なり、標題を持たない。但し、冒頭に配された目録に以下の標題が掲げられてあるので、それを配した。また、かなり長いので、注を段落の後に挟み込んだ。注の後は一行空けた。

「鯰江六大夫」「まなづえろくだいふ(なまずえろくだゆう)」か。この話と、この本文は、実は「柴田宵曲 妖異博物館 命數」で既に電子化している。参照されたいが、そこで私は以下のように注している。

   *

「鯰江」「なまなづえ(なまずえ)」列記とした姓氏(及び地名)である。ウィキの「鯰江」によれば、『藤原姓三井家流、のち宇多源氏佐々木六角氏流』。『荘園時代には興福寺の荘官であったという。室町年間、六角満綱の子高久が三井乗定の養子となり、近江愛知郡鯰江荘に鯰江城を築き』、『鯰江を称して以降、代々近江守護六角氏に仕え、諸豪と婚姻を重ね勢力を蓄えた』。永禄一一(一五六八)年に『鯰江貞景・定春が観音寺城を追われた六角義賢父子を居城に迎えたことから織田信長の攻撃を受けて』、天正元(一五七三)年九月に『鯰江城は落城、以後一族は各地に分散した。一部は同郡内の森に移住して森を姓とし』、『毛利氏となった』。『なお』、『定春は豊臣秀吉に仕えて大坂に所領を与えられ、同地は定春の苗字を取って鯰江と地名がついたという地名起源を今日に残している』。このほかにも、『豊臣秀次の側室に鯰江権佐の娘が上がっていたという』とある。

「六太夫」この通称と「笛吹き」から見て能の囃子笛方か。

「鬼一管」「きいちかん」と読んでおく。原典にもルビはないが、「鬼一」を前の持ち主の名とし、これは通称としては「きいち」が一般的である。

   *]

 

 故(ゆゑ)有(あり)て、六大夫、「網地二《あせふた》わたし」といふ遠島(ゑんたう)へ流されしに、笛のことは、御沙汰なかりし故、わたくしに、もちて行しとぞ。

[やぶちゃん注:「網地二わたし」現在の宮城県石巻市の沖合にある網地島(あじしま)か。ウィキの「網地島」によれば、『隣の田代島とともに流刑地でもあった。重罪人が流された江島に対し、網地島と田代島は近流に処せられたものが流された。気候が温暖で地形がなだらか、農業にも漁業にも適した土地であったので、罪人の中には、仙台から妻子を呼び寄せて、そのまま土着した者もいたという』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

 島にいたりては、笛をのみ、わざとして吹たりしに、いつの頃よりともしらず、夕方になれば、十四、五歲ばかりなる童(わらは)の、笆(たけがき)の外に立(たち)て聞(きき)ゐたりしを、風ふき、雨降(あめふり)などする頃は、

「入(いり)て、きけ。」

と、いひしかば、後は、いつも入(いり)て聞ゐたりしとぞ。

 かくて、數日(すじつ)を經しに、ある夜、この童、笛、聞終りて、なげきつゝ、

「笛の音のおもしろきを聞(きく)も、こよひぞ、御なごりなる。」

と、いひしかば、六大夫、いぶかりて、その故をとふに、童のいはく、

「我、まことは人間にあらず、千年を經し狐なり。爰に『年經し狐有(あり)』と、しりて、勝又彌左衞門、下りたれば、命、のがるべからず。」

と云。

 六大夫曰(いはく)、

「しらで命をうしなふは、世の常なれば、是非もなし。さほどまさしう知(しり)ながら、いかでか、死にのぞまん。彌左衞門がをらん限りは、我、かくまふべし。この家にひしとこもりて、のがれよかし。」

と、いひしかば、

「いや、さにあらず。家にこもりてあらるゝほどの義ならば、おのが穴にこもりても、しのぐべし。彌左衞門がおこなひには、神通をうしなふこと故、『命なし』と、しるしるも、よらねば、ならず。いまゝで心をなぐさめし御禮に、何にても御のぞみにまかせて、めづらしきものをみせ申(まうす)べし。いざいざ、望(のぞみ)給へ。」[やぶちゃん注:「しるしるも」底本は「しるしる」の後半は踊り字「〱」であるが、思うにこれは「しるく知るも」(はっきりと判っていたけれども)の謂いではあるまいか?]

といひしかば、

「『一の谷さかおとし』より、源平合戰のていを、みたし。」

と、いひしかば、

「いとやすきことなり。」

と、いふかと思へば、座中、たちまち、びやうびやうたる山とへんじ、ぎゞ、どうどうと、よそほひなしたる合戰の躰(てい)、人馬のはたらき、矢のとびちがふさま、大海の軍船に追付く、のりうつるてい、おもしろきこと、いふばかりなしとぞ。

[やぶちゃん注:この狐が自身が捕獲されて命を失うことが判っていながら、それを避けることが出来ないことを奇異に感ずる御仁もおられようが、これは私などには極めて腑に落ちるところの、彼らの宿命的システムなのである。私の「怪奇談集」の中にも実は枚挙に暇がないほどあるのである。中でも私が偏愛する一篇が「想山著聞奇集 卷の四 古狸、人に化て來る事 幷、非業の死を知て遁れ避ざる事」である。是非、読まれたい。

「びやうびやうたる」「渺渺たる」。但し、その場合は歴史的仮名遣は「べうべうたる」が正しい。「果てしなく広く、遠く遙かなさま」を謂う。

「ぎゞ」「巍々」原義は「山の高く大きいさま」で前を形容するものと思うが、同時にこの語は「徳が高く尊いさま」の意があり、武将の決然たる振舞いを名指して、以下に続く。

「どうどうと」「堂々(だうだう)と」だが、馬を馭(ぎょ)し、特に制止する際のかけ声の感動詞「どうどう」(歴史的仮名遣はこのままでよい)を掛けてもいよう。]

 

 ことはてゝ消(きゆ)ると思へば、もとの家とぞ、成たりける。

 さて、童のいふ。

「何月幾日には、國主、松が濱[やぶちゃん注:現在の宮城県宮城郡七ヶ浜町(しちがはままち)松ヶ浜(グーグル・マップ・データ)。]へ御出馬有べし。そのをりから、鬼一管をふき給ふべし。必(かならず)吉(よき)事、あらん。我なき跡のことながら、數日(すじつ)、御情(おんなさけ)の御禮に、敎(をしへ)奉るなり。」

とて、さりしとぞ。

 扨、彌左衞門、わなをかけしに、七度までははずしてにげしが、八度目に懸りて、とられたりき。

 六大夫、是を聞(きき)て、

「いと哀(あはれ)。」

と、おもひつゝ、敎の如く、其日に笛を吹しに、松が濱には、空、晴(はれ)て、のどかなる海づらを見給ひつゝ、國主、御晝休(おんひるやすみ)のをりしも、いづくともなく、笛の音(ね)の、浦風につれて聞えしかば、

「誰(たれ)ならん、今日しも笛をふくは。」

と、御あたりなる人に問はせ給ひしに、こゝろ得る人なかりしかば、浦人をよびてとふに、

「是は、網地二わたしの流人、鯰江六大夫が吹(ふき)候(さふらふ)笛なり。風のまにまに、聞ゆること、常なり。」

と申(まうし)たりしかば、君(くん)、聞しめして、

「あな、けしからずや。是より、かの島までは、凡《およそ》海上三百里と聞くを、【小道なり。[やぶちゃん注:原割注。「小道」とは「坂東道(ばんどうみち)」などと呼ばれる短い里程単位。一里を六町とする。しかしそれでも百九十六キロメートル相当になってしまうので謂いはおかしい。網地島と松ヶ浜は三十五キロメートル弱ほどであるから、「三十里」の誤りか、遠島の島としての誇張表現であろう。]】

「ふきとほしける六大夫は、實に笛の名人ぞや。」

と、しきりに御感有しが、ほどなく、めしかへされしとぞ。

[やぶちゃん注:以下、底本ではポイント落ちで、全体が本文二字下げ。一行空けて示す。]

 

 狐の笛をこのみて、後《のち》、化(け)をあらはし、源平の戰のていをしてみせしといふこと、兩三度、聞しことなり。其内、是は、誠に證據も有て、語(かたり)つたへしおもむきもたゞしければ、是をもとゝして、外(ほか)を今のうつりとせんか。又、是も狐の得手(えて)ものにて、をぢの僧に化(ばけ)るたぐひならんか。笛吹は猿樂のもの故、さるがくの中に、「やしま」・「一の谷」などのたゝかひを、おもしろく作りなして、はやす故、笛吹の心、みな、『このたゝかひを見たし』と、願(ねがふ)ことも同じからんか。かの笛、いまは、上(かみ)の寶物(ほうもつ)と成(なり)て有(あり)。金泥にて、ありしことどもを、蒔繪にしたるといふ。

 

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