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2021/01/14

奥州ばなし めいしん

 

     めいしん

 

 「めいしん」といふ法《ほふ》、有《あり》とぞ。

 是は、出家の災難に逢し時、身をのがるゝ爲の心がけにして、一生一度とおもふ時、おこなふ法なり。

 ある和尙、「この法をしりたる」といふことを、橋本正左衞門といふ人、聞《きき》つけて、若きほどのことなりしが、奇なることをこのめる本性なりしかば、【正左衞門は、近親の内、伊賀三弟《さんてい》に八弥《はちや》と云《いふ》人、養子にせしかば、正左衞門の傳は八弥が語《かたり》しなり。】一しきりに習得《ならひえ》たく思《おもひ》て、和尙にしたしみて、常に行《ゆき》つゝ、夜ばなしのゝち、とまりなどせしことも多かりき。ことにふれつゝ、

「其法を傳へ給はらん。」

と、こひけり。

 和尙の曰《いはく》、

「やすきことながら、今、少し、心さだまらば、つたへ申べし。」

とて、ゆるさず。

 其寺に、幼年よりつとめし小性《こしやう》の有しが、是も正左衞門に先立《さきだち》て、

「我、ならはゞや。」

と、いどむ心有しが、正左衞門、其執心によりて、和尙にしたしむを、

『もし、先《せん/さき》こされなば、くやしからん。』

と思《おもひ》て、しきりに、

「法を習はん。」

と、ねがひしかば、和尙も、もだしがたくや有けん、

「さほど深切に願《ねがふ》ことならば、つたふべし。さりながら、正左衞門も、あの如く願《ねがひ》をるを、『そこにばかり傳へし』と聞かば、うらむべし。必《かならず》、他言無用なり。」

とて、ひそかに傳へたりしとぞ。

 正左衞門は、例の如く、夜ばなしして、とまりゐしに、十月末のことなりしが、宵はさしもなくて、夜(よ)の間に、雪の降つもりしを、音なければ、誰《たれ》もしらざりしを、丑(うし)みつともおぼゆる頃、

「ばつたり」

と、大きなる音のせしかば、和尙はもちろん、正左衞門も、とびおきて行《ゆき》てみしに、和尙のはだつきゞぬを、晝、洗《あらひ》て、棹に懸て置たりしを、宵には雪のふらざりし故、とりも入《いれ》ざりしに、おほく雪のかゝりしかば、物有《ものあり》げに見えしを、かの小性、目もろくにさめずに小用たしにおきて、ふと、見つけ、

『大入道《おほにふだう》の立《たち》て有《あり》。』

と思ひて、

『是や、一世一度の難ならん。』

と、このほどならひし法をかけしに、あたらしき木綿肌着をかけたるが、棹共《とも》に、切物《きれもの》にて、きりたるごとく、眞二《まつふた》つにさけたる音にて、有《あり》しとぞ。

 小性は、おもてもあげず、ひれふしながら、

「眞平御めん被ㇾ下《まつぴらごめんくだされ》。」

と、わびゐたり。

 和尙、大《おほい》に立腹して、

「それみよ。『心の定まらぬうちは、ゆるしがたし』といひしは、爰《ここ》ぞや。にくきやつかな。多年、目かけて召仕《めしつかひ》しも、是切《これきり》ぞ。明朝、早々、立《たち》され。」

と暇《いとま》申渡し、正左衞門にむかひ、

「そのもとには、たゞ愚僧が法をゝしむとのみ、思はれつらんが、あれぞ、手本《てほん》なる。心定まらぬ人にゆるせば、けが有《ある》のみならず、法もかろく成行《なりゆく》なり。かならず、うらみ給《たまふ》べからず。是は、幼年より召つかひしもの、他事なく願《ねがふ》故、『心もとなし』とは思ひつれど、ゆるしたりき。かくの如くの、けが、有《ある》ことにては、我さへ、こりて、さらに人には、つたへがたし。」

と云《いひ》しとぞ。

 其小性には、二度おこなひても、しるしなき、「けし法《ほふ》」をかけて、早々、追出《おひいだ》されしとぞ。

 正左衞門も、

『實《げ/まこと》に、おそろし。』

と、思《おもひ》て、ならはざりし。

「法といふものは、不思議のものぞ。たゞ、となへごとせしばかりにて、棹と、ひとへぎぬのさけたるは、あやしとも、あやしかりき。」

と、常に語《かたり》し、とぞ。

 

[やぶちゃん注:本篇では「法」は「はふ」ではなく、総てを「ほふ」で読むこととした。通常一般の「法」の歴史的仮名遣は「はふ」であるが、仏教用語に於いては有意に「はふ」と読むからである。ここは密法中の秘中の秘術なればこそ、かく読んでおいた。

「めいしん」「めいしんといふ法」中国由来の「禅密気功」なるものが現存し、それを伝えるサークルも実際にあり、そこに「明心法」なるハイ・レベルの気功法があり、ある当該サークルの解説には、遠隔を含む「以心伝心」が可能となるように「三位一体」の精神状態に貫入し、「心」を悟ることが出来る気功法という解説がなされてあったが、それと同じとも思われない。但し、「めいしん」に当てる漢字としては腑には落ちるし、小姓(しばしば「小性」とも書く)の成した、その鎌鼬的斬法にもマッチするようには思われる。

「橋本正左衞門」不詳。

「正左衞門は、近親の内、伊賀三弟に八弥と云人、養子にせしかば、正左衞門の傳は八弥が語しなり」この真葛の割注は、「私の近親のうちに、夫只野行義(つらよし)伊賀を長兄とする三兄弟おり、その内の八弥と通称する人が正左衛門を養子に迎えたので、この正左衛門直話のこの話は、私自身は、その八弥から直接に又聴きして書き取ったものである」の意であると採る(「弥」の通称漢字は、当時の通行作品や地下文書などでも、「彌」ではなく「弥」と表記されることが多いので、敢えて正字にはしなかった)。真葛の怪奇談集が非常に優れている点は、徹頭徹尾、実話譚であることを、本篇内の表現でも、また、こうしたわざわざ添えた割注でも、注意深く、しかもわざとらしくなく、ごく自然に配慮されて叙述してある点にある。これは、糞のように見え見えな、確信犯の創作怪奇談が蔓延していた(現代のそれも九十九%がそうだ。だから、少しも怖くない)当時にあっても、特異的に真実味を細かな部分にまで施してあることにある。これは、近世怪奇談集の中でも飛び抜けていると言ってよく、しかもそれが数少ない女性作家によって成されている点でも、もっと広く知られてよいと私は思っている。

「切物」名物の太刀・刀。

「となへごとせしばかりにて、棹と、ひとへぎぬのさけたるは、あやしとも、あやしかりき」竿と下着は雪の中で氷に近い温度まで下がっているとはいえ、有意に降り積もって大入道の影に見えるほどになった柔らかな雪の被ったそれを、例えば大太刀であっても、一太刀で、「ばらりずん!」と、一刀両断に成すことは、当時の人を斬ったこともない多くの武士にも到底、出来まいという気がする。「めいしんの法」、恐るべし!]

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