奥州ばなし 大熊
大 熊
熊とりといふものは、身のあやうきものなり。頭《かしら》壱人、組する者二人、みたり組にて熊とるもの有しが、ある年の暮に、不仕合《ふしあはせ》つゞきて、うゑにのぞむこと有しかば、雪中、山に入《いり》て、
「もし、穴に入そこねたる熊や有《ある》。」
と、【熊といふものは、穴に入て冬ごもりすれども、堀[やぶちゃん注:ママ。]て入ものにはあらず。おのづから岩穴の明《あき》て有に入なり。身、大きく成て、入べき穴なければ、熊笹などにかこみて、背のかくるゝ程につみし中に入て、上にさと木の枝などを、雪よけの爲ばかりに、引《ひき》かけて有ものなるとぞ。[やぶちゃん注:原割注。]】ひらおしに尋《たづね》もとめたるに、折よく、見あたりしかば、頭立《かしらだつ》ものは、
「ほそきかはをへだてゝ、二ツ玉をこめてひかへゐて、壱人の組子をやりて、後《うしろ》より鑓《やり》にて、したゝかに、つくべし。手おひに成しを、爰にて、うちとめん。」
と云合《いひあひ》て有しに、つきにゆきしもの、心おくれして、ふるふ、ふるふ、そと、尻をつきしかば、すぐに、はね出《いで》たり。熊とり、逃るとすれど、すでに頭をくらはれんとせしほどに、鐵砲を持《もち》し男、
「それそれ、熊にくはるゝぞ。」
と、今壱人につげんため、さけびしかば、其聲を聞《きき》て、その者のをるかたへよぢもどりて、一かみにせんとかゝりしが、河をとびこえんと、少しためらひし所を、打とめたりき。
さて、めでたく春をむかへしと聞《きく》。
この時、打そんじてかまれなば、それきりのことなるべし。あやうし、あやうし。
[やぶちゃん注:「不仕合」上手く行かないこと。ここは熊の捕獲が例年に比して有意に低かったことを謂うのであろう。無論、それ以外に凶作も重なったものであろう。
「うゑにのぞむ」「飢に臨む」。すっかり飢餓に陥ったことを謂う。
「さと木」「里木」。自然の樹木。
「ひらおし」「平押」。しゃにむに押し進むこと。
「其聲を聞て」主語は熊。]