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2021/02/21

譚海 卷之三 月の輪

 

○月の輪は愛宕山の北谷に有、愛宕より一里餘下る所也とぞ。月輪(つきのわ)關白殿隱棲の地にして、今も其跡に草庵を結びて僧徒住せり。庵前に時雨の櫻と云有、いつも時雨ふるといひ傳ふ。深山なるゆゑ雲の陰晴さだめがたく、雨も常にふる事なるべし。愛宕より坂を下りに行程(ゆくほど)、谷水流れて道をさへぎり、人跡まれなる所なるよし。

[やぶちゃん注:現在の京都市右京区嵯峨清滝月ノ輪町(さがきよたきつきのわちょう)にある天台宗鎌倉山(かまくらやま/けんそうざん)月輪寺(つきのわでら/がつりんじ)(グーグル・マップ・データ)の北か。月輪寺自体は、御覧の通り、愛宕山の東方直近にある。

「月輪關白殿」鎌倉前期の公卿九条兼実(久安五(一一四九)年~承元元(一二〇七)年)。摂政・関白。従一位。藤原忠通の三男。京都九条殿に住み、九条家を創設し、月輪殿・法性寺(ほっしょうじ)殿と呼ばれる。源頼朝の信任を得て、摂政・関白となり、後白河法皇没後の朝勢を掌握し、頼朝の征夷大将軍宣下を実現させた。後に失脚し、浄土宗に帰依して出家し、法名を円証(えんしょう)と称した。但し、九条兼実が造営した山荘は、失脚から三年ほど経った正治元(一一九九)年頃、現在の東福寺の東から泉涌寺(せんにゅうじ)にかけての山谷に造営されたもので、妻が没した後に、この地に居住し始め、その後、兼実の呼称として用いられるようになったとされ、そこはご覧の通り(グーグル・マップ・データ)、愛宕山からは十五キロメートル以上離れた場所である。

「時雨の櫻」月輪寺に現存する。サイト「京都旅屋」の気象予報士吉村晋弥氏の書かれた「月輪寺 雫を落とす不思議な時雨桜」(二〇一二年五月十四日記事)に写真とともに解説が載る。『。月輪寺には、時雨桜という不思議な桜があり、ちょうど今の時期、涙を流すように葉から輝く雫を落としています』。『月輪寺は空也上人・法然上人・親鸞聖人などの宗教者とも関わりを持ち、鎌倉時代初期の公卿・九条兼実はこのお寺に隠棲したともいわれます』。『境内はシャクナゲ(石楠花)が知られ』、四『月下旬から美しい花を咲かせます。石楠花は花の見ごろの期間が一週間ほどと比較的短く、山中にあって気軽には来れないこのお寺で、満開の石楠花に出逢えるのはラッキーなことでしょう』。この『石楠花は明智光秀が植えたともいわれ、京都市の天然記念物に指定されています』。『もう一つ明智光秀といえば、本能寺の変の前におみくじを引いた話が伝わります。一般的には愛宕神社(白雲寺)と言われますが、この月輪寺との伝承もあり、月輪寺ではおみくじを引くことができます。光秀は』二『回凶を引いて』三『回目に大吉を引いてから出立したと言われます』(私は光秀ファンなので以上は省略出来なかった)。『さて、時雨桜は』四月から五月に『かけて』、『葉から雫を落とす不思議な桜です。この桜は親鸞聖人が植えたと伝わり、法然上人との別れを惜しんで、桜を通して涙を流しているのだといわれます。私が訪れた日は晴れた日でしたが、葉にはたくさんの雫が光り、風が吹く度にまさに時雨れのように涙を落していました。実際にその場で見ると、本当に不思議な光景。時雨れの時期は決まっていて、毎年春の』同時期『のみで秋には落とさないとのことでした。仏心というままにしておくのがよいのだとは思いつつも、科学的な理由が気になってしまいます』。『他のブログでは、空也滝のしぶきが飛んできているとの説がありました。しかし、空也滝にも行って実際に見た感想からすれば、それはあり得ないでしょう。まず、空也滝から月輪寺の距離が離れすぎていて、標高は』三百メートル『も違っています』。『加えて空也滝の目の前に立っても、さほどしぶきは飛んできませんでした。水が落ちる方向も月輪寺のほうを向いてはいません。仮に空也滝から飛んできているとしても、境内の他の木々は雫を垂らしておらず、この時雨桜だけが雫を落とすのは不自然です。以上のことから、空也滝説はないだろうと私は考えています』。『気象的な理由も考えてみましたが、湿気の多い日に雫を落とすことや特定の風向きで起こりえることはあるにしても、晴れて乾燥した日に、しかも』、この『特定の時期に、この木だけ雫を落とす理由は気象現象からは思い浮かびません。とすると、何が理由か?』 『全国には時雨○○という木が他にもあります。京都では出水の七不思議で「華光寺の時雨松(枯死)」がありましたし、広島県の宮島にはかつて「しぐれ桜」があったそうで、近年愛媛の満願寺にあるしぐれ桜から株分けされて復活しました。他にも、兵庫の福海寺には清盛遺愛の時雨松の碑が、大分県別府市の天然記念物には海門禅寺のしぐれ松が、和歌山の大光寺にもしぐれ松があります。いずれも葉から雫を落とす不思議な木と伝わるもの。とすると、松や桜にはごく稀に雫を落とす木があると考えるのが自然でしょう』。『ここからは私の想像ですが、根から過剰に吸い上げた水を、気孔ならぬ「水孔」という部分から出しているのではないでしょうか。春は植物の蒸散機能が活発になり、春の空が白っぽくなる一因ともなっています。つまり、根から吸い上げる水の量も他の時期よりは多いはず。加えて地面が湿っている環境下では、植物は気孔を使った蒸散が抑えられ、水孔を使って直接水を出しやすくなるそうです。考えてみると、月輪寺の境内にも湧き水があり、根の辺りにも水分は多そうです。また、水孔の機能は新しい葉ほど活性化しやすいそう。桜が散ったあとの』この時期は、『まさに新しい葉が繁ります。そのよう環境の中で、過剰に水を吸い上げるようになった木が「時雨○○」として、葉から雫を垂らす不思議な木としてあがめられるようになったのではないでしょうか。月輪寺の時雨桜も、雫はどこかから飛んでくるものというよりも、木が自ら生み出しているものという印象を持ちました。ただ、以上のことは私の勝手な想像で確証は全くありません。もちろん、奇跡としておくのもよいとは思います。しかし、やはり理由が気になる(笑)植物に詳しい方がいましたら、是非原理を教えて頂きたいと思います!』とある。とても素敵な文章と考証である。

「愛宕より坂を下りに行程、谷水流れて道をさへぎり、人跡まれなる所なるよし」先の吉村氏の月輪寺へのアプローチの解説を見ると、現在も『月輪寺は』『険しい愛宕山の山中に、古くからあるお寺です。かつては中国の五台山を模してそれぞれの峰に五つのお寺があり、朝日峯の白雲寺が現在の愛宕神社。他には大鷲峯の月輪寺と高雄山の神護寺が今も残ります。無くなってしまったお寺は滝上山の日輪寺と鎌倉山の伝法寺で、今やその場所もよくわからないそうです。山中で法灯を伝えるのは本当に大変なこと。実は月輪寺はその不便さもあって、近年存続の危機に立ってます。険しい山中で道路はなく、水道やガスもありません。現在は物資運搬用のリフトも壊れ、買い物は往復』三『時間。時には強力(ごうりき)を頼むこともあるのだとか。檀家も無く、資金不足も深刻だそうです。屋根は老朽化しており、時雨桜の手入れもままならないそう。しかしそれでも』千『年以上も続くこの場所で存続をさせたいと』、『お寺の方は考えておられます。京都を愛する皆様。月輪寺を通る際には少しばかりの志納金を入れて行って下されば幸いです』と記しておられる。]

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