只野真葛 むかしばなし (8)
八に成し年の夏、桑原へ行て、養しゆんとあそび居(をり)しに、十六、七の弟子若黨有しが、下におちたる物をとらんとするとき、養しゆん、むかふよりかけてくるはづみに、したゝか、鼻をけたりしが、血、はしりてやまず。
「足を、ひやせ。」
「それ、ぼんのくぼの毛を、ぬけ。」
と。ひしめきしを、長庵、聞て、
「のぼせなどにて、おのづから出でたるにこそ。さやうのことはせめ。怪我にて、出でたるには無用なり。」
と、いひしとぞ。
二、三日過て、常八、工藤へ來りしが、
「此程、桑原にて若だんなの被ㇾ仰しこと、感心なり。かやうかやうのこと有しに、〆が、そばから世話せしを、かやうに被ㇾ遊しが、誠に、『せんだんはふた葉よりかぐはし』とは、是ならん。」
と、ほめて、母樣へかたりしを、長庵、聞ゐて[やぶちゃん注:ママ。]、
「いや、〆が仕(し)たことなら、そふは、いひません。養けんが、うろたた[やぶちゃん注:底本に編者のママ注記あり。「仙台叢書」では『うろたひた』であるから、「うろたへた」の誤記であろう。]ことをするから、それで、そふ、いひました。」
と、いひし故、
「一きわ、まさりて、おとなしきこと。」
と、御賞(よろこ)び有しなり。其時の養けんといひしは、すでにひとりばみをもする程の男、年も三十のうへにて有しなり。早く死(し)したり。
一、二、覺(おもえ)たるも、かくのごとし。朝夕の間、上下(うへした)・男女(なんいよ)、かんぜしこと、たへず。ワを御ひぞうのばゞ樣は、
「子供のやうでない。隱居ぢゞのやうだ。」
とて、御きらいなりし。うきうきとは、せぬ生(しやう)なり。
[やぶちゃん注:先の聰明譚に続く真葛の弟で長男の長庵の追想。小学校二年生レベルで、かく処方を言うというのは、舌を巻く限りである。父を継いで優れた医師になったであろうに。本当に二十二の早逝が惜しい。
「ひやせ」鼻からの出血を止める処置として、眉間や首の後ろを冷やすというのは、現在、誰もが正しい処方と考えるかも知れぬが、救急医の見解によれば、大量出血している患者に対して最初に行う処置の大切な一つが、「保温」(体を温めること)である。身体が冷えていると血液の凝固機能が低下し、出血が止まらなくなってしまうからである。国際医療福祉大学医学部救急医学講座教授・国際医療福祉大学病院救急医療部・「日本救急医学会」救急科専門医・指導医の志賀隆氏もこちらで、『体温が下がると血は止まりにくくなる』『と覚えていただき、鼻血が出たときも』、『冷やすことなく』、『正面を向いて圧迫止血してください』と記しておられる。
「うきうきとは、せぬ生(しやう)なり」桑原の婆さまが主語。(6)の記載で腑に落ちる。]
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