譚海 卷之四 肥前國溫泉ケ嶽の事
○肥前溫泉ケ嶽(うんぜんがだけ)の湯は、わきあがる事數丈にいたる、嶽上(がくじやう)より望めば、深(ふかき)谷の底より沸騰して、はしらの如く數丈立のぼり、たふるゝ音雷(いかづち)のごとく、恐しき事云ばかりなし、溫泉(おんせん)皆黑水(こくすい)の如しとぞ。入湯の所は別村にありて、湯も澄(すん)であつからずと云。
[やぶちゃん注:【2021年2月24日改稿】何時も情報を戴くT氏より、これは「和漢三才図会」の巻第八十の「肥前」の「溫泉嶽(ウンゼンガダケ)」の記載に基づくものであろうという御指摘を頂いた。以下に所持する同書原本から訓読して電子化する。〔 〕は私が推定で附した読みで、句読点や記号も私が附した。原文の一部は略字・異体字を使用しているが、通用の正字に改めて統一した。
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溫泉嶽(うんぜんがだけ) 髙木郡[やぶちゃん注:現在の長崎県雲仙市小浜町雲仙にある雲仙岳。グーグル・マップ・データ航空写真。標高九百十一メートル。]に在り【五十町[やぶちゃん注:約五キロメートル半。これは山尾根伝いの実測距離と思われる。]上に普賢嶽[やぶちゃん注:「国土地理院図」で示す。そこでは標高を千三百五十九・三メートルとする。]に在り。】。
往昔(そのかみ)、大伽藍有り、日本山[やぶちゃん注:ママ。「溫泉山(うんぜんさん)」が正しい。]大乘院滿明蜜寺と號す。文武帝大寶元年[やぶちゃん注:七〇一年。]、行基、建立。三千八百坊、塔、十九基りと云ふ。天正年中[やぶちゃん注:一五七三年~一五九二年。])耶蘇(やそ)の宗門、盛んに行はれ、僧俗、邪法に陷いる者、多し。當寺の僧侶、亦、然り。故に破却せられ、正法〔しやうぼふ〕に歸せざる者は、生-身(いきながら)、當山「地獄池」の中に陷いる。礎石或いは石佛のみ、今、唯〔ただ〕、僅〔わづか〕に一箇寺及び大佛有り[やぶちゃん注:「る」の誤記。]のみ。方一里許〔ばかり〕の中〔うち〕、「地獄」と稱す。穴、數十箇處、兩處、相並〔あひなら〕び、髙さ五、六尺、黑泥の煙、湧(わ)き起〔た〕つ。之れを「兄弟〔はらから〕の地獄」と名づく。黃白に靑色を帶びて、沫滓〔あはかす〕、麹(かうじ)に似る者、之れを「麹造屋(かうじや)地獄」と名づく。靑綠色、藍汁に似たる者、之れを「藍染家〔あをや〕の地獄」と名づく。濁白色、稍〔やや〕冷えて、米泔(しろみづ)に似たる者、之れを「酒造家(さかや)の地獄」と名づくるの類〔たぐひ〕の名目、亦、可笑(をか)し。猛火〔みやうくわ〕、出〔いで〕て、「等活大焦熱」[やぶちゃん注:等活大焦熱地獄のこと。]と謂つべし。流水、稍、熱くして、湯のごとくなるの小川の中に、每〔つね〕に、小魚、多く游行〔ゆぎやう〕するも奇なり。凡そ、一山の地、皆、熱濕。鞋〔わらぢ〕を透(とを)す。跣足〔はだし〕の者は、行き難し。麓に溫泉多く有りて、浴湯、人、絕へず。
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「日本山大乘院滿明蜜寺」真言宗雲仙山(うんぜんさん)大乗院満明寺(まんみょうじ)は雲仙温泉(「入湯の所」。雲仙岳南で普賢岳の南西のここ(グーグル・マップ・データ航空写真))のここ(同前)にある。]
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