譚海 卷之三 禁裏御能 (二条)
禁裏御能
○禁裏にて御能叡覽ある時は、紫宸殿の前に能舞臺を臨時に構へ興行する也。能終りぬれば卽刻舞臺を取はらひて、其跡へ砂利を敷て石ずへ[やぶちゃん注:ママ。「いしずゑ」が正しい。]の穴などみえぬやうにかくす也。舞臺はとり放ちのなるやうに拵らへ置て、又重ねての能に用るやうしけるもの也。仙洞御所には能舞臺常に建つゞけて有。能を仕(つかまつ)るものは四座の猿樂のものにはあらず、町人の其道に堪(たへ)たるものに仰付らるゝ也。嶋屋又助など云者年來(としごろ)勤來(つとめきた)る也。いつも御能の時は町人も拜見ゆるさるゝ事也。
[やぶちゃん注:「嶋屋又助」不詳。後に示す次の条では「嶋屋又介」と出る。
以下、目録に標題がなく、内容が続くので、一緒に出す。]
○仙洞御所にて一年(ひととせ)御能ありし時、町人拜見ゆるされざりしかば、其時の落首に、町人に見せぬ能ならせんとおけ一二番して嶋屋又介といへりし也。又仙洞御所の御庭には田を作られたる所ありて、春より秋の取納めまで、稻のうへ付の事ありのまゝにして叡覽に入て、御なぐさめにするやうにかまひたり。その人は禁裏御領の百姓、御庭にいほりを結びて、住居し耕作する事也。
[やぶちゃん注:「嶋屋又介」「しまや」で、一、二番舞ったら、それで「仕舞うてしまえ」という意に掛けている。]