怪談登志男卷第四 十七、科澤の强盗
怪談登志男卷第四
十七、科澤(しなさは)の强盗(とう)
むかしむかし、麻生の松若、三國(くに)の九郞が強盗の張本となりて、往家の人を惱せしと聞へしは、越前國「科澤の岡」とて、人家稀に、荊棘(けいきよく)茂りたる間道、獵人(かりうど)の外、徃通ふ人も絕(たへ)て、最(いと)淋しき所なり。敦賀への近路(みち)なれど、旅人(りよじん)、怖れて、さらに此道に出る事なし。
爰に、此近鄕、貫(ぬき)手村といへる在家に、綜田道喜とて、隱なき福醫ありけり。家(いへ)、富、財寶、藏に滿て、近國迄、その聞へありける。
或夜、門に、人音して、
「福井領小發知村の富民田松彌十郞。」
とかや、名高き者の許より、
「今宵、世忰彌七郞、食傷仕、難儀至極に候へば夜中、御太儀千萬に候得共、御見舞賴入。」
との口上。則、駕龍を持せ、拙者、『御供申せ』との事。」
と、臺所に入、挑灯[やぶちゃん注:ママ。提灯(てうちん)。]の火で、たばこ、吞ながら、道喜が下部と、
「宵より、急病の難儀。」
彼是と、つぶやく様子、聞とどけ、道喜も、夜中、迷惑なれども、
「彌十郞殿の病用、捨置がたし。」
と、迎の駕籠に打乘、藥箱、打入て、出たる。
頃は亥の刻の半[やぶちゃん注:「なかば」。]なりし。
いつも半時斗[やぶちゃん注:「ばかり」。]には、發知村ヘ至るに、
「今夜はいかゞ遲かるらん、九ツ時にも過ぬベからん。」
と、思ふに心付て見れば、廿六夜の月、後にひかりて、山の端にさへわたりぬ。不審におもふ時、駕籠、卸せば、道喜、心得ず覺えて、
爰は、そも、いづく。」
と尋ねければ、駕籠舁も、供の男も、詞をそろへ、
「爰は、我等が家業の祖師、三國の九郞殿の奮跡『科澤の細美知』よ。誠は發知村の彌十が方には、病氣も、寸白も、おこらず。今比は鼻に矢倉あげて、よい夢見て居るなるらん。我々が酒手を設けん爲ばかりなり。」
と、無二無三に引出しければ、道喜、肝(きも)を消して、しばらく、物もゑいはで居たりしが、
『今は。遁れぬ所。』
と、
「是は、おもひもよらぬ難儀にて候。それがし、元來、在鄕醫者にて、貯へとても、なし。我宅へ連(つれ)行給はゞ、家財を傾ても、まいらすべけれど、爰には一錢の所持も、なし。只、ゆるし歸させ給へ。」
と詫けれども、盗人共、笑(わらひ)て、
「汝が言葉に乘(のり)て、うかうかと、貫手(ぬきて)村へ金取に行樣な[やぶちゃん注:「ゆくやうな」。]、靑い盗人と、おもふか。己(おのれ)、慥に身にも金銀は着てあるらん。命に及ぶぞ、いつはるな。」
と、駕籠に仕込し棒・息杖(いきづへ)より、刀を取出して、橫たへ、道喜を捕へ、赤裸にして、松の梢に縛り上、衣類・藥箱・合口ともに、引さらへ、大笑して、立さりける。
道喜は、梢にいましめられ、人倫絕たる山中に、初(はつ)秋の風、ひやゝかに、物凄(すご)き狐の鳴聲、淋しさ、いふばかりなく、苦しさに、神佛を祈り、明わたる空を待間[やぶちゃん注:「まつあひだ」。]、千歲を過る心地にて、漸[やぶちゃん注:「やうやう」或いは「やうやく」。]、東の峯もしらみわたり、木立のあやめも見わくる斗、ほのぼのと成にける。
「あはれ、獵人(かりうど)、炭燒なんど、通れかし。」
と待處に、麓の道に、鉦の音、聞へて、殊勝なる念佛のこゑ、次第に近く聞へながら、此道には、かゝらずして、一段、下なる岨道[やぶちゃん注:「そばみち」。崖道。]を行人[やぶちゃん注:「ゆくひとの」。]聲(こへ)、道喜、聲をあげて呼ども、松柏、生茂り[やぶちゃん注:「おいしげり」。]ぬれば、隔たりて聞へず、過行を[やぶちゃん注:「すぎゆくを」。]、猶、聲をはげまして、よべば、六十六部のしゆ行者二人、立とゞまり、
「まさしく此尾の上に呼なり。」
と、茨(いはら)、搔分(かきわけ)、攀登れば[やぶちゃん注:「よぢのぼれば」。]、道喜、うれしく、心の内に、
『佛神の守らせ給ふ事の難有さよ。』
と、兩人にむかい、はじめ・おはりを語り、
「あはれ、此繩を、ときて助(たすけ)給はれ。」
と、最(いと)苦しげに賴けるを、在所・家名を委しく尋聞て、
「痛はしき事なり。」
と、甲斐甲斐しく、木の枝に傳ひあがり、繩を切ほどき、抱をろし、笈(おひ)の中より着替の衣服、取出し、打着せて、道喜が宿ヘ、つれ行ける。
道喜が家内は、此由(よし)を聞て、手を合せ、修行者を拜(おがみ)、
「御禮申べき樣なし。偏に佛神の御道引(みちひき)か。」
と淚を流し、隣(りん)家の者迄、來り集(つとい)て、
「蘇生も同然の事なり。」
と、悅あへり。
宿にては、
「心許(こゝろもと)なさに迎(むかい)を遣したるに、發知(ほつち)村には、おはせざれば、北川(きたがは)・上瀨(かみのせ)・額田(ぬかだ)・羽川(はねがは)の邊、聞及びたる療治塲(りやうじば)を尋させ、途方に暮れたり。」
と語るに付ても、
「御僧の御恩、いかゞして報ずべき。」
と、一家(け)、打寄、尊(たつと)びける。
二人の僧は、
「行先、とほく候へば、又こそ、尋ね申すべき。」
と旅用意するを、夫婦、衣の袖に取付、
「今迄の御厚恩、せめて、三、四日も滯留(とうりう)し給へ。麤飯(そはん)ながら、一日も緩々(ゆるゆる)と供養し奉りたし。」
と、ひたすらにとゞめて、一、二日、留り、諸國の咄(わ)、さまざまの珍說、夜すがら、語り慰み、六、七日が程、休息せしが、あめ風、暴(あらき)夜の紛(まきれ)に、何處(いづく)へか消失(きへうせ)けん、跡かたもなく、家内、周章(あはて)騷ぎ、
「扨は。佛・菩薩の化(け)現なるべし。あな、たふとや。」
と、信心、肝に銘じながら、心を付て見れば、數年(すねん)貯(たくはへ)たる金箱(かねはこ)をはじめとして、衣類・小道具、下部等が一衣(ゑ)の木綿(もめん)物迄、眼(め)にさはるもの、のこらず、さらへて、塵(ちり)もなく、かさねがさねの損をせし、とぞ。
是、正眞(しやうしん)の盗人(ぬすひと)に笈(おい)なるべし。
[やぶちゃん注:「科澤(しなさは)」不詳。
「麻生の松若、三國(くに)の九郞」能「熊坂」には、美濃赤坂の青野が原で、「金売り吉次」を襲うも、同行していた牛若丸(後の義経)に返り討ちに遇って命を落としたという盗賊熊坂長範の霊が出るが、その配下の盗賊の名を挙げる中に「麻生の松若、三國の九郞」とあり、この二人の盗賊の名は、それを元にしたと思われる浄瑠璃・歌舞伎「熊坂長範物見松」にも見出せ、それに基づくらしき浮世絵やその役者物を見るに、「麻生の松若」には「越前」と記すのが見出せる。例えばサイト「浮世絵検索」の歌川国芳のこれ。
「貫(ぬき)手村」不詳。
「粽田道喜」不詳。「ちまきだだうき」と読んでおく。
「隱なき」「かくれなき」。知られた。
「福醫」「七、老醫妖古狸」に既出既注。
「福井領小發知村」不詳。こんなに地名が全く判らない話も珍しい。「小發知」は後からの読みで「こほつち(こほっち)」らしい。
「田松彌十郞」不詳。無論、後の展開から、道喜の普段から上客の金蔓である「富民」である。
「世忰」「せがれ」。倅。
「食傷仕」「食傷(しよくしやう)仕(つかまつ)り」。「食傷」は食中(しょくあた)り・食中毒。
「御太儀千萬に候得共」「ごたいぎ、せんばんに、さふらえども」。
「御見舞賴入」「おみまひ、たのみいる」。
「亥の刻の半」午後十時頃。
「半時」現在の約一時間。
「九ツ時」午前零時頃。
「廿六夜の月」「有明の月」とも呼ぶことで判る通り、月の出は午前三時を過ぎる。
「鼻に矢倉あげて」「矢倉」は「櫓」で、「鼻提灯を揚げて、高鼾(たかいびき)でおネンねしてる」の謂いであろう。歌舞伎の台詞っぽい。
「我々が酒手を設けん爲ばかりなり」「そう、弥十郎が安眠してるってえことはだな、即ち! 曰はく! おいらたちが、お前さんから、酒手(さかて)をまんまと儲けるためって、いうだけのことだわな!」。
「引出しければ」「ひきいだしければ」。道を駕籠から乱暴に引き出したので。
「駕籠に仕込」(しこみ)「し棒・息杖(いきづへ)より、刀を取出して」駕籠の天秤棒に打擲するための棒を隠し入れ、それぞれの舁子の杖には刀を仕込んであったのを取り出して。小道具がバレないように巧妙に作られてある。
「橫たへ」棒を振るために横に構えたり、刀を横ざまに抜き身にすることを指している。
「合口」護身用の装飾を施した「合口(あひくち)」。鍔のない短刀。よく「九寸五分(くすんごぶ)とも呼ぶ。
「六十六部」私の「北原白秋 邪宗門 正規表現版 驟雨前」の「六部(ろくぶ)」の注を見られたい。
「まさしく此尾の上に呼なり。」「確かに! この尾根の上から呼んでいる!」。
「宿にては」道喜の留守宅では。
「北川(きたがは)・上瀨(かみのせ)・額田(ぬかだ)・羽川(はねがは)」北川は川の名で福井県小浜にあったり、上瀬の地名は若狭湾岸に二箇所はあったりするが、それらが簡単に調べ得る近距離には存在しない。「額田」「羽川」は判らぬ。そもそもが先行する地名が判らぬ以上、調べても意味がないと思い、深く調べるのは馬鹿々々しいからやめた。
「聞及びたる療治塲(りやうじば)」「常より伺っております患者のいるところ」の謂いであろう。
「滯留(とうりう)」「逗留」の当て訓。
「麤飯(そはん)」粗末な食事。謙譲語。
「盗人(ぬすひと)に笈(おい)」(歴史的仮名遣は「おひ」が正しい)「なるべし」「盜人(ぬすびと)に追(お)ひ錢(ぜに)」に洒落たもの。盗人に物を盗まれた上にお目出度いことに更に金銭を与えることで、「損を重ねること」の喩えであるが、ここは何故「正眞の」となるかと言えば、「六十六部」が奉納する書写する法華経と仏像を入れた厨子を背負うに「笈(おひ)」を背負っているケースが殆んどで、そこでも洒落になるからである。この最初の駕籠舁と供の男と、この二人の六十六部は同じ盗賊団の一党であり、この騙しの二件が最初から連携された「ダマシの手口」であることは論を俟たない。後半は誰も騙されていると気づかない劇場型詐欺で、こちらが盗賊団の本番だったのである。読者も「六十六部」が辛くも道喜を見つけるリアルなシークエンスでまんまと騙されるのである。私? 私は疑り深いからね、吊り下げられた男のそれを木を「するするっつ」と登って、「あっ」という間に繩を解くところで、すぐ疑ったわ。]