譚海 卷之三 大津走井
○大津に走井(はしりゐ)ある所は、今は茶屋の庭に成(なり)てあり。庭は傳教大師造らせ給ふよし、殊に見るべきもの也しを、先年地震に崩れて其跡纔(わづか)に殘れりと云、惜むべき事也。
[やぶちゃん注:「東京富士美術館」のサイト内に歌川広重の「東海道五拾三次之内 大津 走井茶店」(錦絵・天保(一八三三)四~五年)の画像とともに以下の解説が載る。『大津宿から離れ』、『京へ向かう山間に走井の里があった。走井とは溢れ湧き出る清水との意味があり、良質な水の水量豊かな所である。この図に描かれた茶店の軒端には清水が湧き出る走井が描かれているが、この水を使って作られた走井餅は旅人の土産物として人気があった。街道には米俵や薪を積んだ牛車が三台並んで行く。画中遠景にシルエットで見える山が逢坂山。逢坂山は絶えず湧き水で道がぬかるみ、牛車での運搬は大変に苦労したという。現在の滋賀県大津市』とある。また、「株式会社 走り井餅本家」の公式サイト内のこちらに、『「走井は下の大谷町にあり、石を畳みて一小の円池とす。其の水甚だ清涼にして、冷気凛々たり。今は茶店の庭とし、旅人憩いの便とす。茶店の主、築山泉水を設け、且つ薬を売る。誠に此の水の如きは、清うしてなめらかなり。右より名を得しもことわりかな、湧き出づる水の勢走井の名もうべなり』。「枕草子」に『走井は逢坂なるがおかし』と」(「近江与地志略」享保一九(一七三四)年)とあるとし、『走井茶屋は、明治初期まで賑わいました。その後、茶屋は姿を消したものの、茶屋旧跡は大正四年』(一九一五年)に『日本画家の橋本関雪』『が別荘として購入』し、『関雪没後の現在は臨済宗系の単立寺院「月心寺」となって、京津線追分駅と大谷駅の中間あたり、往来激しい国道沿いにひなびた門灯を掲げています』。『山門をくぐると、こけむした石組の庭が別世界のように広がっています。滝のある美しい庭は室町時代、相阿弥作とも伝わるもの。滝の水は、いまもこんこんと湧く走井に発します。「水神諸霊」を祭る石碑が立つ本井戸の一角は、木立と岩に囲まれ』、『「神域」の雰囲気を感じさせます。岩が濡れ、冷気漂う様は、通過車両の騒音をしばし忘れさせます』。『この月心寺では、村瀬庵主手作りの胡麻豆腐をはじめとする精進料理がつとに名高』いそうである。『茶屋は姿を消したものの、「走り井餅」の製法は走井市郎右衛門の末裔である片岡家に伝承され「走り井餅本家」において商標とともにその味と技術を今日まで守り続けています』とある。]