譚海 卷之三 將軍家堂上方對談 附日光御門主の事
將軍家堂上方對談 附日光御門主の事
○關白殿或は大臣家など、關東へ下向御對顏の節は、公方樣の御しとね正面に有、關白殿御しとねは左によりて橫座に有。仰上(おほせあげ)らるゝ御用ある時は、關白殿座を立(たち)て、公方樣の御膝の許にすりよりて、直(ぢき)に御演說あり。公方樣其時御手を疊に少し突(つき)て御會釋(おんゑしやく)有。事終り御退座のとき、公方樣御座をたゝせ玉はんと被ㇾ遊る時、關白殿御手をもちて御膝をおさへてそのままと仰らるゝ、公方樣しからばと上意ありて、其まゝに御座におはします、是極(きはめ)たる御式也。又公方樣紅葉山へ御拜禮の時は、樂人相詰(あひつめ)音樂を奏す。東叡大王樣の板の間にをはしまして入御をまたせ給ふ。公方樣階を昇りましまして緣に上らせ給ふとき、東叡大王兩手をつき稽首(けいしゆ)有。公方樣神前に向ひ坐し拜し給ふ時、東叡大王御幣を取て奉らせ給ふ。御拜終りて又大王神前の御酒かわらけを三寶にのせてすゝめ給ふ。公方樣御酒まいる時、東叡大王瓶子(へいし)をとりてつがせ給ふ。さて還御の時大王はじめの如く緣に着て稽首して送り給ふとぞ。是皆兩院の別當の御あへしらひなるもの也。
[やぶちゃん注:「東叡大王」三山管領宮(原則として東叡山・日光山・比叡山の三山を管掌する輪王寺宮のこと)の敬称の一つ。総て宮家出身者又は皇子が就任したことから「東叡山寛永寺にまします大いなる親王殿下」の意で、かく呼んだ。既出既注。
「紅葉山」江戸城の西丸の東北にある丘。本丸と西丸のほぼ中間に当たり、古くは「鷲の森」とも呼ばれた。徳川家康の廟所(東照宮)が置かれ、家康の命日である四月十七日には将軍が紅葉山の東照宮を参詣する「紅葉山御社参」は幕府の公式行事の一つであった。ここには秀忠以後の歴代将軍の廟所も置かれており、ここにも出る通り、「紅葉山御社参」などの重要な行事に備え、音楽を掌る「楽所」も設置されてあった。
「瓶子」酒壺の一種。口縁部が細く窄(すぼ)まった形の、比較的、小型のものを指す。]

