怪談登志男 十四、江州の孝子
十四、江州の孝子
近江國分部(わけべ)といふ所に、年月(としつき)、修行したる僧の物語せしは、分部より、少(すこし)隔(へだて)たる村に、傳四郞と云(いふ)男あり。年の程、廿一、二斗[やぶちゃん注:「ばかり」。]の時、父にはなれ、日ごろ、貧しかりけれど、父母の心に、露(つゆ)違(たが)ふ事のなかりしが、今日(けふ)、別れて、二たび、つかふること、あたはざるを、深くうれひ、身のまづしくて、孝(かう)のたらざる事を悔歎(くいなげき)て、夜晝(よるひる)となく、啼沈(なきしづみ)て、其聲、隣家(りんか)にも、もれ聞へ、袂(たもと)をしぼらずといふもの、なし。
母は、若き時、高所より落(おち)て、腰をいたみけるが、年たけ、よはひ、おとるふるに隨(したがい)て、立居も心に任(まか)せざりしかば、門の外へ出る事もせざりしを、かなしく思ひ、手を引て、庭のせんざいへ、つれゆき、心を慰め、
「遠く、あそばん。」
といふ時は、せなかにおふて、つれゆきぬ。
耕作の時には、母のいねたる後(のち)に、田畑(たはた)へ出で、闇(やみ)にも月夜にも、終夜(よもすがら)、すきさぐりて、草を引など、しけり。
其村の人に、つかはるゝ、こゝろなき、しもべ・わらはまで、傅四郞が田に行て、ともにたがやし、たすけぬ。
爰(こゝ)に、となりの貧家(ひんか)の子、同國の内、「八まん」と云所へ、したしき者をたよりに、住居[やぶちゃん注:「すまゐ」。]しける。此所には、福裕なる者、多く有所なり。
其地の風俗として、子共に、家(か)とくを讓る時は、かならず、一族・親類を呼集(よびあつめ)て、美々敷(びゞしく)、饗應し、扨、たくはへ置る[やぶちゃん注:「おける」。]、金銀を始(はじめ)、諸々(もろもろ)の財寶をとり出し、祖父よりの讓狀(ゆすりじやう)・證文抔(など)、取出し、
「ゆづり得たる所の金銀何萬兩・幾千萬貫目、其後、我等、たゞ今迄、もふけけためたる所、何萬兩と、新古(しんこ)の金銀、いか程、今日、是を讓りあたふ。其方、相續(つゝい)て仕合(しあはせ)、能(よく)、金銀・財賓、增倍(そうばい)して、また、かくのごとく、子孫に、しらべ、あたへられよ。」
と、言渡して、隱居するを、此地のふうぞくとす。
其中に、すぐれて、「有德(うとく)人」と、もてはやさるゝ者ありしが、子、なきを憂へ、親族の中にも、似合敷(にあいしき)も、なく、又、此男の心、世上の人に替り、持參金などに心をよせぬ氣性(きしやう)なれば、常にいふ樣、
「我、養ふて子とすべき者は、早速(さつそく)には、ありがたし。京・田舍にもあれ、其人の貧賤(ひんせん)をも、嫌ふまじ。唯、人倫の道をさへ、わきまへたる者ならば、水吞(のみ)百姓の子にても、ゑりぎらいは、夢々(ゆめゆめ)、せじ。其子の親、道(みち)に志(こゝろざし)たる者は、かならず、其子も、あしくは、そだてず、養ひても、純熟(じゆんじゆく)する者なり。とかく、互(たかい)に、人の心のよしあしこそ、第一なれ。財寶の有無は、たのまれぬものなり。」
と、いひしが、金銀第一の人心なれぱ、彼(かの)ものが望は、かなひがたく見へける所に、天のめぐみにや有けん、傳四郞が隣(となり)より、此所へ引こしたる男、ある時、
「我故鄕(ふるさと)の隣なる傳四郞と申者こそ、足下(そこ)の御心には、かなひ侍らん。常(つね)の行(おこない)、斯々(かくかく)。」
と、つぶさに語りければ、
『其事、誠ならば、心よせなり。』
と思ひて、又、ひそかに、傅四郞があたりの者を近付て聞に、はじめ聞たるは巨海(こかい)の一滴(てき)なりける有難き人なり。
いそぎ、隣家の者を賴て[やぶちゃん注:「たのみて」。]、金銀をつかはし、傅四郞親子、ともに、呼(よび)むかへ、先、かたはらに置て、男女の召仕(めしつかい)を附(つけ)、金銀・財寶、有べき程あたへて、其心ばへを見聞するに、其意(こゝろざし)、廉直(れんちよく)にして、まめやかに、智惠、ふかふして、慈悲あり、言葉、すくなにして、しかも、辯舌、さはやかなり。元より、母につかふる事、夜晝、とこしなへに、はゝ親もまた、片時も、傅四郞が見へざれば、憂ふる色あり。
爰におひて、一族共をあつめ、
「我、天の惠に依(よつ)て、此人を得たり。」
と、家督、不ㇾ殘(のこらず)讓りあたへければ、一門中も、違論に、およばず、皆々、悅び賀して、歸りける。
此後、彌[やぶちゃん注:「いよいよ」。]、家門、はんじやうして、子孫、ながく相續しけり。
世中の習(ならい)、養子も、嫁入も、先だつものは、先(まづ)、金銀にて、親もとの財寶を、たがひにはかり合せて、其人の行跡(かうせき)には、かまはず。それゆへにこそ、末を、とげず、出入も出來[やぶちゃん注:「しゆつたい」。]、他人迄の厄介(やつかい)となる中に[やぶちゃん注:「なかに」。]、此富人(ふじん)が、財用を不ㇾ論(ろんぜず)、人のよしあしを見るに、常人(つねひと)より見れば、「怪(あやし)」とこそ見ゆれ。又、傳四郞が隣家の男の、其孝行をほめて、富人にすゝめしも、世俗の人の、よきをねたみ、あしきをあぐるならいよりみれば、怪しく、これを怪談の中に書とも、無理とはいはじと、爰に、しるしぬ。
[やぶちゃん注:最後に確かに言われてみれば、その通りだ。
「近江國分部(わけべ)」この地名は現存しないが、江戸時代に近江国高嶋郡大溝地方を領有した大溝藩があり、この藩は元和五(一六一九)年に京極氏の後に、分部(わけべ)光信が伊勢上野から移って、二万石を領して以来、廃藩置県まで十代に亙って在封している(外様・江戸城柳間詰)。現在の滋賀県高島市のここ(グーグル・マップ・データ)に大溝城跡や近くに陣屋跡がある。この附近であろう。
「今日(けふ)、別れて、二たび、つかふること、あたはざる」言わずもがなであるが、対象は亡くなった父である。
「せんざい」「前栽」。
「すきさぐりて」「鋤き探りて」。夜でよく見えぬから「探りて」とあるのである。
、草を引などしけり。
「しもべ・わらは」身分の低い、下部や未成年の若僧。
「八まん」現在の滋賀県近江八幡市(グーグル・マップ・データ)ととっておく。大溝とは琵琶湖対岸の南東に当たる。
「しらべ」「調べ」。先祖から受け継いだ土地・金銀・財宝及び自分の代で儲けたそれらを逐一明らかに調べ上げて。
と、言渡して、隱居するを、此地のふうぞくとす。
「似合敷(にあいしき)も」譲るに満足出来るような人物も。
「持參金」対象人物がどれくらいの財産を持っている相応の経済人かということ。
「純熟(きゆんじゆく)」相応の為人(ひととなり)と成る機が熟すること。
「互(たかい)に」「たがいに」は、この場合、「お互いに」の意ではなく、観察・判定する対象物があることを言っている。漢文でよくみられる「相對」と同じである。
「心よせ」期待出来ること。頼りにし得ること。
「とこしなへに」「常(長)しなえ」「永久へに」。いかなる時もずっと。
「一門中も、違論に、およばず、皆々、悅び賀して、歸りける」これは永いこの地での家督相続のシステムを正統に行使している点で、誰の文句も言わぬばかりか、言祝いでいるのである。民俗社会の共同体の典型的理想像の一つと言える。
「行跡(かうせき)」その人が行ってきた経歴。その人の過去の行状・身持ち。この本文では人倫の良きを採る話だが、筆者の言うここでは一般論であって善悪を問わないことは注意が必要である。であるから、しばしば、或いはその方が圧倒的に多い悪しき場合の、「それゆへにこそ」以下の展開があるからである。
「末を、とげず」行く末までの繁栄を遂げることが出来ず。
「出入も出來」土地・金・財宝がどんどん失われていってしまう事態が起こって。
「あしきをあぐる」本質に於いて経済をのみ優先して結果として悪い方を支持する。]
« 只野真葛 むかしばなし (5) | トップページ | 南方熊楠 西曆九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語 (異れる民族間に存する類似古話の比較硏究) 4 »