怪談登志男 廿六、天狗誘童子
廿六、天狗誘二童子一(てんぐ、だふじを、さそふ)
過し寶永年中[やぶちゃん注:一七〇四年~一七一一年。]の事とぞ。
讃岐國羽床(はゆか)の近所の百姓、父にはなれ、母ばかりありしが、ある時、隣(となり)村に用事ありて、立出しに、あるべき路(みち)をゆかで、麥畑の中をはしり行。
見る者、怪しび、
「いかに、左は[やぶちゃん注:「さは」。]猥(みだ)りなる事をするぞ。人の畑も、己(おのれ)が畑も、皆、荒して、何事をか、なすぞや。」
と口々に呵(しか)りけれど、真直(まつすく)に分入しが[やぶちゃん注:「わけいりしが」。]、終(つゐ)に、形を見うしなひぬ。
皆々、驚き、此由、母に告ければ、大に悲しび、走り𢌞、泣さけべど、甲斐なし。
せんかたなけれども、
「せめても、母が心を慰めん。」
と、村中の者共、每夜、鉦(かね)・太鼓をならして、
「返せ。返せ。」
と、よばはりあるけど、いたづらに日をつゐやし、村中、これが爲に、つかれたり。
ある時、國分寺の觀音堂の後拜(ごはい)の上に、彼(かの)わらは、忽然として、立居たり。
人々、あはてさはぎて、漸々(やうやう)として、抱下たれど[やぶちゃん注:「いだきくだりたれど」。]、四、五日が程は、物もいはで、正氣、さらに、なかりけり。
やゝ、程經て、人心つきぬ。
人々、取かこみて、
「はじめ、麥畑に走り入し時は、いかに。」
と問へば、
「山臥[やぶちゃん注:「やまぶし」。]二人、來りて、我手を取て、息つかせず、走りしなり。其後、あなたこなたと𢌞りて、近き頃は、『八栗(くり)が嶽(たけ)』に住し事もあり。又、觀音堂の破風(はふ)に居たりし。ある時、山臥、三人にて、一人は歌を諷(うた)ひ、一人は三味線を彈き、一人は我を手玉にとりて遊ぶを、鼠色の衣(ころも)着たる老僧あらはれ、
「さなせそ。其童子を、我に得させよ。さのごとくせば、命、あらじ。」
と、のたまふ。
山臥、聞入ざるを、ひたすら乞給て、放給ふ迄は覺えて、其後は、しらず。」
と答たり。
これ、まさに、近き世の事にて、其時の人、皆、現存せり。うたがふべからず。
[やぶちゃん注:ずるいね。これも前の篇で出た蓮体の「役行者靈驗記」に載っているのを、小手指でふくらましただけのものだね。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらにある同書原本の下巻(PDF)の「22」コマ目の右頁の後ろから二行目以降。そこでは最後が、童子の命が危ういことを言ったの対して、天狗らしき僧(本篇の山伏)が、『此程(コレホド)面白(ヲモシロ)キ事(コト)ヲ何(ナニ)ト宣(ノ玉)フゾトテ聞不入(キヽイレズ)。然(シカ)ルヲ老僧(ラウソウ)强(シイ)テ乞(コヒ)玉ヘバ。赦(ユルサ)レテ歸(カヘ)リケリト云。此男(コノヲトコ)子懷中(クワイチウ)ニ觀音經(クワンヲンギヤウ)アリ。然(シカ)レバ彼(カノ)老僧(ラウソウ)ハ觀音(クワンヲン)ノ化身(ケシン)ニテ救(スク)ヒ玉フナルベシト。近處(キンジヨ)ノ僧面會(マノアタリ)予(ヨ)ニ語レリ』とあるんだ。元は蓮体が直接に採取した話なんだぜ? きたないね、やり口が。気に入らないね。
「讃岐國羽床(はゆか)」現在の香川県綾歌(あやうた)郡綾川町(あやがわちょう)羽床(はゆか)地区(グーグル・マップ・データ航空写真)。
「父にはなれ」亡くなったととる。
「村中の者共、每夜、鉦(かね)・太鼓をならして」「返せ。返せ。」「と、よばはりあるけど」子どもの行方不明は「神隠し」或いは「天狗」・「妖狐」・「夜道怪(やどうかい)」・「隠し婆さん」・「隠れ座頭」の仕業などされて、村中、総出で、鉦・太鼓を叩いては「もどせ、かえせ」と叫んで捜したものであった。
「國分寺の觀音堂」香川県高松市国分寺町国分にある讃岐國分寺(グーグル・マップ・データ)。直線で羽床の北北東凡そ十キロメートル前後に当たる。
「後拜(ごはい)」神社や仏殿に於いて、前後に向拝 (こうはい:屋根を正面の階段上に張り出した部分。参拝者の礼拝する所。階隠 (はしがく) し) がある場合の後ろの方のものを指す。
「八栗(くり)が嶽(たけ)」「八栗山(やくりさん)」は香川県高松市牟礼町牟礼にある五剣山(ごけんざん)の別名。(グーグル・マップ・データ航空写真)。中将坊大権現(讃岐三代天狗)が祀られている。山名は国土地理院図を見られたい。
「觀音堂」香川県内では複数あるので特定困難(グーグル・マップ・データ)。]
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