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2021/02/27

明恵上人夢記 89

89

一、同廿日の夜、夢に云はく、十藏房、一つの香爐【茶埦(ちやわん)也。】[やぶちゃん注:これは底本では割注ではなく、本文で、ポイント落ち。]を持てり。心に思はく、『崎山三郞【貞重。】、唐(から)より之を渡して十藏房に奉る』。之を見るに、其の中に隔(へだ)て有りて、種々の唐物(からもの)有り。廿餘種許り、之(これ)在り。兩(ふたつ)の龜、交合(かふがふ)せる形等(など)あり。心に、『此(こ)は、世間之祝物(いはひもの)也』と思ふ。其の中に、五寸許りの唐女(からむすめ)の形、有り。同じく是(これ)、茶埦也。人有りて云はく、「此の女の形、大きに、唐より渡れる事を歎く也。」。卽ち、予、問ひて曰はく、「此の朝(てう)に來(きた)れる事を歎くか、如何(いかん)。」。答へて、うなづく。又、問ふ、「糸惜(いとほし)くすべし。歎くべからず。」。卽ち、頭を振る。其の後(のち)、暫時ありて、取り出(いだ)して見れば、淚を流して、泣く。其の淚、眼に湛(たた)ふ。又、肩を濕(うる)ふ。此(これ)、日本に來れる事を歎く也。卽ち、語(ことば)を出(いだ)して云はく、「曲問(ごくもん)之(の)人にてやおはしますらむに、其の事、無益(むやく)に候。」と云ふ。予、答へて云はく、「何(いか)に。僧と申す許(ばか)りにては然(しか)るべき、思ひ寄らざる事也。此の國には、隨分に、大聖人(だいしやうにん)之(の)思(おぼ)え有りて、諸人、我を崇(あが)むる也。然れば、糸惜くせむ。」と云ふ。女の形、之を聞き、甚だ快心(くわいしん)之(の)氣色ありて、うなづきて、「然れば、御糸惜み有るべし。」と云ふ。予、之を領掌(りやうじやう)す。忽ちに變じて、生身(しやうしん)の女人(によにん)と成る。卽ち、心に思はく、『明日、他所(たしよ)に往きて、佛事、有るべし。結緣(けちえん)の爲(ため)に彼(か)の所に往かむと欲す。彼(か)の所に相具(あひぐ)すべし。』。女人、悅びを爲(な)して、「相朋(あひともな)はむ」と欲す。予、語りて云はく、「彼(かしこ)に公(こう)之(の)有緣之人(うえんのひと)、有り。」【心に、崎山の尼公、彼の所に在り。聽聞の爲に至れる也。三郞之(の)母の故(こと)なり。此の女(むすめ)の形は、三郞、渡れる故に此の說を作(な)す。】。卽ち、具(とも)に此の所に至る。十藏房、有りて云はく、「此の女、蛇と通ぜる也。」。予、此の語(こと)を聞きて、『蛇と婚(ま)ぎ合ふに非ず。只、此の女人、又、蛇身(じやしん)、有る也』。此の思ひを作(な)す間(あひだ)、十藏房、相(あひ)次ぎて云はく、「此の女人は蛇を兼(けん)したる也。」と云々。覺め了んぬ。

  案じて曰はく、此(これ)、善妙也。
  云はく、善妙は、龍人にて、又、
  蛇身、有り。又、茶埦なるは、
  石身(せきしん)也。

[やぶちゃん注:何年かは不詳。「84」夢の私の注の冒頭を参照されたい。河合隼雄氏が「明惠 夢に生きる」(京都松柏社一九八七年刊)で一章を立てて分析し、特に「善妙の夢」と名づけておられる、明恵の意識+無意識内の女性像の一つ頂点を成すものである。注を附す前に、河合氏の分析を引用する。かなり長くなるが、梗概を記したのでは、河合氏の意とするところが枉がってしまう可能性があるので、途中を中略させながら、引く。「第六章 明恵と女性」の「3 善妙」パートである。

   《引用開始》

明恵の夢に現われた善妙は、明恵が編纂した『華厳宗祖師絵伝』(華厳縁起)に登場する女性である。『華厳宗祖師絵伝』は幸いにも、一部の欠損と錯簡はあるが、今日まで高山寺に伝えられている。これによって、われわれは善妙がどのような女性であり、明恵が彼女にどのようなイメージを託していたかをよく伺い知ることができる。この絵巻は、『宋高僧伝』に語られる新羅の華厳宗の祖師、元暁と義湘に関する物語を絵巻としたもので、詞書の原文は明恵によって作られたと推定されている。明恵の善妙に対する思い入れの深かったことは、貞応二年(一二二三)、彼が承久の乱による戦争未亡人たちの救済のために建てた尼寺を、善妙寺と名づけている事実によっても知ることができる。[やぶちゃん注:以下、「善妙の夢」と名づけて、本文が引かれるが、略す。既に述べたが、河合氏はここまでの一連の夢を総て承久二(一二二〇)年と設定している。]

 この夢は、明恵にとっても重要な夢であることが意識されていたのであろう、最後のところに「案じて曰はく、此善妙也。……」と彼自身の解釈を書き記している。それに原文を見ると、この陶器の人形が泣くところ、「其の後、暫時ありて取り出して見れば、……此、日本に来れる事を歎く也」の文は、上欄の余白に書き足してあり、彼がいかにこの夢を大切に考え、少しの書き落としもないように努めたかが了解されるのである。[やぶちゃん注:河合氏は原本(高山寺蔵本十六篇。岩波文庫はこれをのみ底本としている)を確認されている点に注意されたい。]

 この夢では、明恵が十蔵房から唐より渡来の香炉を受けとる。そのなかには仕切りがあっていろいろな唐物がはいっており、亀が交合している形のもある。五寸ばかりの女性の形をした焼き物があり、唐から日本に来たことを嘆いているということなので、明恵が問いただすと、人形がうなずく。そこで明恵は「糸惜(いとほし)くすべし。歎くべからず」と言うが、人形は頭を振って拒否。そんなことは無用のことと言う(ここの曲問之人という表現の意昧は不明)。これに対して明恵は自分は単に僧侶というだけではなく、この国では大聖人として諸人にあがめられているのだと言う。人形はこれを聞いて嬉しく思ったようで、「それならおいとしみ下さい」と答え、明恵が了承すると、たちまち生身の女になった。この突然の変容が、この夢における重要な点と思われる。明恵はそこで明日他所で仏事があるから、そこへこの女性を連れて行こうと考える。実際に行ってみると十蔵房が居て、この女性は蛇と通じたと言う。明恵は、そうではなくてこの女性は蛇身を持ち合わせているのだと思う。そう思っている間に、十蔵房は、この女は蛇を兼ねているのだと言った。

 この夢を見て、明恵のような聖人でも性的な夢を見るのだとか、やっぱり性欲は抑え切れぬものだ、などと思う人もあろう。しかし、性欲はあって当然で、それに対してどのように感じ、どのように生きたかが問題なのである。既に述べたように、性の意味は極めて多様で深い。先に紹介した「性夢」は相当に直接的なものであったが[やぶちゃん注:ここと同じ「第六章 明恵と女性」の「2 女性の夢」の「性夢」パートである。実は河合氏の「明惠 夢に生きる」が「夢記」の底本としているのは私の底本としている岩波文庫を主とするのであるが、一部で京都国立博物館蔵の「夢記」が用いられてあり、これがそれで、岩波文庫には残念乍ら、含まれていない。底本を終わった後に同書からそうした箇所を総て引こうとは考えている。簡略に述べると、建暦元(一二一一)年十二月二十四日の夢で――ある大きな堂で異様に太った貴女と対面し、明恵は心の内でこの女性は香象大師(「12」の私の注を参照)の持つ諸特徴と似ていると思う。そして、ダイレクトに『此人と合宿、交接す。人、皆、菩提の因と成るべき儀と云々。卽ち互ひに相抱き馴れ親しむ。哀憐深し』(本文の漢字は恣意的に正字化した)とある夢を指す。]、それに比してこの夢は、はるかに物語性をもち感情がこめられている。意識と無意識との相譲らぬ対決のなかから、物語は生み出されてくるのである。

 この夢のなかで、明恵が自分のことを「大聖人として諸人にあがめられている」と言うところがある。これだけを見ると、明恵という人が大変に思い上がっているように思えるが、この点については、『伝記』のなかの次のようなエピソードを紹介しておきたい。ある時、建礼門院[やぶちゃん注:建礼門院平徳子(久寿二(一一五五)年~建保元(一二一四)年)は元暦二(一一八五)年三月二十四日の壇ノ浦での平家滅亡から凡そ一ヶ月後の五月一日に出家して直如覚と名乗っているが、本話は事実とすれば、ちょっと私はおかしい気がしている。]が明恵に戒を受けることになった。そのとき、院は寝殿の中央の間の御簾(みす)の内に居て、手だけを御簾から差し出して合掌し、明恵を下段に坐らせて戒を受けようとした。これに討して明恵は、自分は地位の低い者だが、仏門にはいったからには、国王・人臣にも臣下としての礼をとることはできない。授戒・説法のためには僧は常に上座につくべきであると経典にも明記されている。自分は釈尊の教示に背いて、院の気に入るようにはできないので、自分以外の誰か他の僧に受戒されるとよろしいでしょうと言い、そのまま帰ろうとした。建礼門院は非を悟って詑び、明恵を上座に坐らせて戒を受けた。この場合でも、明恵はまったく個人的なことではなく、仏教者としての誇りを明確に示したと言うべきである[やぶちゃん注:私の「栂尾明恵上人伝記 57 明恵、建礼門院徳子に受戒す」(本文は正字)を参照されたい。]。先述の夢に対して、奥田勲も「夢記の中の自負は、それだけみるとそのあまりの誇りの高さは異様だが、このような明恵の思考体系に位置づけを求めれば決して不思議ではない」と述べている。

 この点については、この人形が唐から来たものだということも関連しているように思われる。仏教は中国を経由して日本に渡ってきた。その間に、既に述べたように中国化、日本化の波をかぶってきたのであるが、明恵はひたすら釈尊の教えとしての仏教に心を惹かれ、当時の日本の仏僧たちとは異なる生き方をしていた。明恵は言うならば、仏教の魂が日本に移ってくる間に、生気を失って石化してしまったことを嘆いていたのではなかろうか。この人形が「日本に来た」ことを嘆いているのは、それと関連しているように思われる。明恵が日本における聖人としてあがめられている者だ、などと言うとき、彼は日本における仏教の在り方について責任をもたねばならぬものとして、日本に渡来した「石化した魂」の問題に直面しなくてはならぬという自覚を示しているようにも思われる。女性像を魂の像としても考えるべきことは、ユングの主張しているところである。

 生身のものが石化するとか、石化していたものが生きた姿に還るとかいうテーマは、古来から多くの神話や昔話に生じてきたものである。石化しているものを活性化することは、困難ではあるが大切なことである。われわれはこのテーマを、既に「石眼の夢」において見てきた[やぶちゃん注:これも陽明文庫本「夢記」に載るもので岩波文庫には所収しない。建保二(一二一四)・三年辺りに見たと推定されるも夢。「一つの石を得た。『長さ一寸許り、廣さ七八分、厚さ二三分許り』で、その石の中に『當(まさ)に眼あり。長さ五分許り、廣さ二三分許りなり。其の石、白色なり。而して純白ならず、少(やや)鈍色(にびいろ)なり。此の眼あるに依りて、甚だ大靈驗あり。手を放ちて之を置くに、動躍すること、魚の陸地に在るが如し』とあって、随喜している上師に対し、明恵がこの魚の名を「石眼」と伝える。さてその時、屋根の下に腸(はらわた)などを失った魚がぶら下げられており、片眼が飛び出しているような感じである。ところが、その眼が少し動く(以下、少し錯文が疑われる)。その傍らに獣の革のような物もある。その奇体な魚を明恵は上師に見せたく思う。さて、今度は、そこに一人の女房が来て、ぶらさがった魚を取って行ってしまう。一方、革は小鹿のような生きたものであって、四足を持っているが、その背の部分には多数の穴が穿(宇賀)たれている。女房が言う。『我、ただならぬに、此(かく)の如き物を手をかくる、何ぞあるべきやらん』と。明恵は心の内で『姬子なり』(姫の子)と思う。この獣を可哀そうに思い、労(いた)わる。すると、この獣は軒先から地に降ろされるや、『只、本(もと)の如く釣り懸けられよ』と人語を操る。明恵は心の中で『久しく釣り習はされて、此の如く云ふなり』と思う。その獣は恐ろしく苦痛な様子であり、片手は切れていた。仕方なく、言うに任せてこれをもと通りに釣った」という夢。明恵の解釈が附されてあり、この「上師」は釈迦、「女房」は文殊菩薩、「姫」は覚母殿(これは文殊菩薩の異名とも、「現図胎蔵界曼荼羅」の持明院の中尊で知恵の象徴にして総ての仏陀の母ともされる)とし、『石眼の眼は此の生類の眼に勝(まさ)るべきなり』(本文の漢字は恣意的に正字化した)と記している、難解な夢である。私はシュールレアリスム映画の傑作「アンダルシアの犬」(Un Chien Andalou:ルイス・ブニュエルLuis Buñuel)とサルバドール・ダリ(Salvador Dalí)による一九二八年に製作され、一九二九年に公開されたフランス映画)を見ているような気になった。]。それがここに継承されていることに気づかされる。[やぶちゃん注:以下略。]

   《引用終了》

以下、本夢を解釈するには「華厳宗祖師絵伝」の善妙を知らねばならないとされ、「華厳縁起」のパートを立てておられる。そこから引く。

   《引用開始》

その話の要約を次に示すが、もともとこれは「足暁絵」二巻と「義湘絵」四巻に分けられていたものである。善妙は「義湘絵」に現われるのであるが、この物語はどららも明恵を理解するために大切なので、両者を紹介することにする。

 まず「義湘絵」から述べる。義湘と元暁は二人一緒に唐に行き、仏教を学ぼうとする。たまたま旅の途中で雨に会い、そこにあった洞穴で雨宿りをする。ところが翌日になってみると、ただの穴だと思っていたところは墓場で、骸骨などが散らばっているので、二人はぞっとする。しかし、その日も雨で出発できずにそこに宿ることにした。すると夢に恐ろしい鬼が出てきて、二人を襲おうとする。これは二人が同時に恐ろしい夢を見たことになるわけだが、目覚めた途端、元暁の方は悟るところがあった。前日、何も知らないで安心して寝ていた場所も、墓と知ったときには鬼に襲われた。つまり、一切のことは皆自分の心から生じるので、心のほかに師を尋ねてみても意味がないと悟り、元暁は志をひるがえして、新羅に留まることを決意する。義湘はこれまでの志を変えなかったので、旅が始まってすぐ二人は別れ、義湘一人が唐に渡ることになる。元暁の翻意を知ったとき、義湘はそれに同意をするのでもなく、また反対をするのでもなく、二人は別々にあっさりと異なる道を選ぶところが、なかなか印象的である。

 義湘は船で唐に着き、里へ出て物乞いをはしめる。そのうち善妙という美しい娘と出会うが、容姿端麗な義湘を見て、善妙は一目ぼれをしてしまう。そこで善妙は巧みな声で、「法師、高く欲境を出て、広く法界を利す。清くその功徳を渇仰し奉るに、尚、色欲の執着抑へ難し。法師の貌を見奉るに、我が心、忽ちに動く。願はくは、慈悲を垂れて、我が妄情を遂げしめ給へ」と言う。義湘はこれに対しても「心堅きこと石の如し」で、「我は仏戒を守りて、身命を次にせり。浄法を授けて、衆生を利す。色欲不浄の境界、久しくこれを捨てたり。汝、我が功徳を信して、長く我を恨むること勿れ」と答える。

 これを聞いた善妙はたちまちに道心を発して、義湘の功徳を仰ぎ、義湘が衆生のためにつくすのを「影の如くに添ひ奉りて」助けようと述べる。その後、義湘は長安に行き、至相大師のもとで仏法の奥儀を極め、帰国することになる。義湘の帰国を知った善妙は贈り物を整え港に駈けつけるが、船は出た後であった。彼女は歎き悲しむが、贈り物のはいった箱を、義湘のところに届けと祈って海中に投げ入れる。すると、その箱は奇跡的にも義湘の船に届いたのである。善妙はそれに勇気づけられて、義湘を守ろうとする大願を起こし、波のなかに飛びこんでゆく。このとき善妙は龍に変身し、義湘の乗った船を背中に乗せ、無事に新羅まで到達する。

 この次に続く義湘絵は戦火によって夫われているが、詞書は錯簡によって現存の「元暁絵」の方に入っている。それによって話を続けると、義湘は新羅に帰り、自分の教えを広める場所を求め、一つの山寺を適当なところと考える。しかし、そこには「小乗雑学」の僧が五百人も居るので困ってしまう。そのとき、善妙は「方一里の大盤石」に変身して、寺の上で上がった下がったりしたので、僧たちは恐がって逃げてしまう。そこで、義湘はその寺で華厳宗を興隆することになり、浮石大師と呼ばれるようになった。これが「義湘絵」の物語である。

 次に「元暁絵」の物語を紹介するが、こちらは義湘の物語ほどには話に起伏がないように思われる。最初の部分は「義湘絵」と同じであり、元暁は義湘と別れて新羅に留まることになる。元暁はそこで内外のすべての経典に通じることになるが、一方では「或時は巷間に留まりて歌を歌ひ、琴を弾きて、僧の律儀を忘れたるが如し」という生き方をする。義湘が戒を守る厳しい態度をとり続けたのに対して、元暁は極めて自由奔放な生活態度をとったのである。絵巻には明確に言われていないが、この話の元となった『宋高憎伝』によると、「居士に同じく酒肆・倡家[やぶちゃん注:「しょうか」。]に入り」と述べられているので、酒屋や遊女屋に出入りしていたことがわかるのである。元暁はこのような行為の反面、「経論の疏(そ)を作りて、大会[やぶちゃん注:「だいえ」。]の中にして講讃するに、聴衆皆涙を流す」有様であり、「或時は山水の辺に坐禅す。禽鳥虎狼、自ら屈伏す」というほどの徳の高さがあった。

 ある日、国王が「百坐の仁王会[やぶちゃん注:「にんのうえ」。]」に元暁を招こうとする。しかし、「愚昧の人」が居て、「元暁法師、その行儀狂人の如し」というわけで、何もそんな僧を招く必要がないと申し入れ、国王は元暁を招くのをあきらめる。

 その頃、国王の最愛の后が重病となり、祈禱や医術をつくすが効果がない。そこで救いを求めて勅使を唐に派遣する。ところが勅使の一行は船で海を渡ろうとするとき、海上で不思議な老人に会い、老人の案内で海底の龍宮に導かれる。そこで龍王から一巻の経を授けられ、新羅に帰ってまず大安聖者という人にその経の整理をさせ、元暁に注釈を頼めば、后の病いは直ちに治るであろうと言われる。勅使は帰国して以上のことを国王につげ、国王は早速に大安聖者を召して、経の整理にあたらせる。続いて、元暁に対して、経のために注釈をつくり講義をすることが求められる。元暁は早速その仕事にかかるが、それを嫉む人に注釈を盗まれ、三日の日延べをして貰って完成する。

 元暁は法座に臨んで経を講ずるときに、「一個の微僧無徳に依りて、先の百坐の会に洩れにき。今日に当たりて、独り講匠の床に上る。甚だ恐れ、甚だ戦く」と言ったので、それを聞いた列席の僧たちは皆顔を伏せて、大いに恥じいったという。元暁は無事に講義を終え、后の病いも快癒する。元暁のその経に対する注釈は、金剛三味論と名づけられ、世間に広く流布するところとなった。以上が「元暁絵」の話の大略である。

 これらの物語における義湘と元暁の性格は、極めて対照的である。そして、これまで論じてきたことからも明らかなように、この二人は、明恵の内面に存在する対立的要素を際立てて表現しているように思われる。先学が指摘するように、絵巻に描かれた元暁の顔が、しばしば樹上坐禅像の明恵の顔に似ているのが印象的である。「島への手紙」[やぶちゃん注:私の『尾明恵上人伝記 20 「おしま殿」への恋文』を参照されたい。何も言わずに読まれると面白い。だから何も言わない。]にも自ら記していたように、「物狂おしい」ところがあるのをよく自覚していた明恵は、「その行儀狂人の如し」と言われた元暁の行ないに、強い親近感を抱いたことと思われる。

 「義湘絵」の方には理論的とも言えるような長い説明文がついており、そのなかで、善妙が龍に化して義湘を追ったのは「執着の咎」に値しないか、という問いに答えるところがある。確かに男女の愛欲による執着から、女が蛇や龍に化身して男を追いかける話はよくあるところだ。それと善妙の場合とはどう違うのか、というのである。義湘と善妙の物語を読んでただ感心してしまうのではなく、このような疑問を発し、それに答える形で思索を深めてゆくのが明恵の特徴の一つである。

 ここで明恵は、善妙の最初の義湘に対する気持ちは確かに煩悩のなす業には違いないが、善妙は単に龍になったのみでなく、大盤石と化して仏法を護った。これを見ると、単なる執着などというものではなく、高められた菩提心となっていると主張している。そして、愛には親愛と法愛があり、前者は人間の煩悩にもかかわるものであるが、法愛は清らかなものである、と注目すべき意見を述べている。ところが、『華厳縁起』の詞書には、校注者の小松茂美によれば、二か所の書き損じがあるとされる。それをそのまま次に示す。書き損じの所は、小松による推定を( )内に記す。

[やぶちゃん注:以下の引用は底本では全体が一字下げ。]

「愛に親愛・法愛有り。法愛は一向に潔(きよ)し、親愛は染浄(「汚」か)に近せり。信位の凡夫は、親愛は優れ、法愛は劣なり。三賢十地は、法愛は優れ、親愛は劣なり。或は、十地にはただ法愛のみ有り。若し愛心の事識地を所依(しよい)として、染汗(「汚」か)の行相に起こるをば、乖道の愛と名づく」

 ここに述べられた「三賢十地」の三賢は、華厳における菩薩の五十二位の階位のうち、十住、十行、十回向の階位の総称であり、十地は最高の十階位を指している。つまり、凡夫は親愛が多く法愛が少ないが、菩薩となって階位が高くなるにつれ、法愛のみになるというのである。この文において、極めて興昧深いのは、親愛は染汚と書くべきところを誤って、「浄」とまったく逆の字を書いてしまっていることである(染汗の「汗」は、原文おそらく「汗」〈「汚」と同字〉であって、こちらは問題はないのではなかろうか)。原文を書いた明恵が既に書き損じていたのか、その文を書写した人物が間違ったのか、今では確かめようがないが、ともかく興味深いことである。[やぶちゃん注:私はこの「書き間違い」にフロイトの当該理論も当て嵌めたくなる。ユング派は旧主フロイトをテツテ的に無視する傾向が強い。どうも気に入らないね。]

 愛を親愛と法愛に分けることは、頭では納得できるとしても、そんなことが本当に可能であろうか。法愛のみの世界など存在するのであろうか。親愛は、果たして単純に「染汚」と決めつけられるのであろうか。ここには、簡単には答え難い問題が多く内包されているのである。事実、明恵もこの段に続いて、「彼の十住の菩薩、如来の微妙の色身を愛して、菩提心を発す。これ即ち、親愛の菩提心なり。況や、軽毛退位[やぶちゃん注:風に吹かれて飛ぶ軽い毛のように信心が薄いことと、凡そ正法の菩薩の位階に進むことは出来ない存在であることの意であろう。]の凡夫有徳の人に於て、愛心無きは、即ち法器に非ざる人なり」と明言している。親愛が生してこそ、そこから深い信仰が生まれてくるのである。

 愛の問題には、永遠の謎を含んでいると言ってもいいほどのものがある。明恵が親愛と法愛という言葉でこれを割り切り、親愛に「汚」の字を当てようとしたとき、彼の無意識は、はっきりとそれに抵抗を示した、と見ることができるようである。

   《引用終了》

以下で続く「女性像の結実」では、「華厳縁起」の極めて対照的な元暁と義湘の対応関係を分析されておられるが、それは当該本を読んで戴こう(私は全部引用したいが、著作権に触れそうになるので、敢えて部分引用に留める。そこで河合氏は、『義湘の物語を見ると、義湘と善妙の関係こそ』、『アニマの軸において生じていると思われ』、『善妙の義湘に対する情念は強い拒否に遭うが、それによって彼女の愛は浄化され、宗教的なものへと高められる。海の底を泳ぐような龍から空に浮かぶ石への変身は、その高さへの昇華を示しており、物語はその宗教的な価値に重点をおいて語られる』と述べておられる。

   《引用開始》

 しかし、龍が最後に石化したことは、何を意昧しているだろうか。石化はその永続性を示すものである一方、そこに生じた情念が生命力を失うことを意味する。義湘と善妙が成した偉人な仕事は、アニマ軸上における情念の石化という犠牲の上に立ってなされたと言えないであろうか。石化された善妙は、いつの日か再活性化され救済されることを待って、そこに立ちつくすことになったと思われる。『華厳縁起』は兵火のなかをくぐって奇跡的に現在まで残ったのであるが、善妙の龍が石化する部分のみは、そのとき失われてしまったのである。筆者にはこれは単なる偶然とは思われない。石のなかに閉じこめられていた情念の火が、ある時に突如として燃えあがり、自らを焼きつくしてしまったのだとさえ思われるのである。

 このように考えてくると、明恵の「善妙の夢」が成就した仕事の意義が、はっきりと認められてくる。夢のなかで、明恵は石化していた善妙を活性化することに成功したのである。このような課題の遂行に結びついていたので、明恵も夢のなかで、自分は大聖人として諸人にあがめられているのだ、などと言明する必要を感じたのであろう。よほどの態度でもって臨まないかぎり、陶器に生命力を賦活することは不可能であっただろう。

[やぶちゃん注:以下、元暁・義湘及び明恵の夢に於ける女性像を明恵の内界における女性像として図示して分析が行われるが、図がないと判りにくいので大幅にカットする。]

 石化した善妙に生気を与えた明恵は、言うならば、「九相詩絵」に示されていたようなアニマの死に対して、それを再生せしむる仕事を、日本文化のなかで行なったとも言うことができる。ただ明恵の仕事は、あまりにも他の日本の人々とスケールが異なっていたので、その真の後継者は一人もなかったと言えるだろう。明恵自身も、後継者をつくる意志がなかった。しかし、彼の成し遂げたことは、わが国が西洋の文化と接触し、本当の意味でのそれとの対決がはじまろうとしている現在、意義をもつのではないか、と筆者は考えている。

   《引用終了》

 以下、私の語注に入る。

「十藏房」不詳。「52」に初出し、明恵の夢の登場人物としては、出が多い。また、本夢では明恵にある種の開明を示す立場にあるように私には読めるから、弟子とは思えない。

「崎山三郞【貞重。】」底本注に、『咲山良貞男。のちの記述には崎山の尼公の子とある』とある。「崎山の尼公」は「73」を参照。

「曲問(ごくもん)」河合氏もおっしゃった通り、意味不明である。そのままで訳に用いた。

「糸惜く」「愛おしく」。可愛がって。

「快心」よい気持ち。

「領掌(りやうじやう)す」了承・諒承・領承に同じい。相手の申し出や事情などを納得して承知するの意。

「生身」河合氏は「なまみ」と読んでいるようだが、私は納得出来ない。私は仏・菩薩が、衆生済度のため、父母の体内に宿ってこの世に生まれ出ること。また、その身、仏の化身の意で「しょうしん」(「しょうじん」でもよい)と読む。

「結緣(けちえん)」「仏・菩薩が世の人を救うために手をさしのべて縁を結ぶこと」が原義。他に、「世の人が仏法と縁を結ぶこと。仏法に触れることによって未来の成仏・得道の可能性を得ること」の意があり、ここはハイブリッドでよい。

「彼(かしこ)に公(こう)之(の)有緣之人(うえんのひと)、有り。【心に、崎山の尼公、彼の所に在り。聽聞の爲に至れる也。三郞之(の)母の故なり。此の女(むすめ)の形は、三郞、渡れる故に此の說を作(な)す。】」「公」は割注によって、「崎山の尼公」を指すことは明らかである。「有緣」は仏・菩薩などに逢って、教えを聞くところの縁があることを言う。

「善妙」河合氏の引用で尽きているが、底本の注に、『明恵は貞応』(じょうおう)『二年(一二二三)に善妙寺を建て、この女性を祀ったと』「華厳縁起」にあるとある。この寺は高山寺別院として建立したものであるが、現存しない模様で、善妙大明神として高山寺の南にあるのがそれらしい(グーグル・マップ・データ)。

「石身」石化(ここは陶器)して示現・垂迹(すいじゃく)したもの。]

 

□やぶちゃん現代語訳

89

同じく二十日の夜、こんな夢を見た――

 十蔵房が、一つの「香爐」【実際には茶碗である。】を持って来た。

 心の内で思うたことには、

『崎山三郞[明恵注:咲山貞重のこと。]が、中国から、これを手に入れて、十蔵房に進上したものである。』

と、見た。

 これを閲(けみ)したところ、その中には区分けされた隔てがあって、いろいろな唐物(からもの)が入っている。二十あまりの品物がこの中に納めてある。例えば、二匹の亀が交接している形に象(かたど)った物などがある。

 さてもまた、心の内で、

『これは、中国の世俗の祝い物だな。』

と、思うた。

 その中に、五寸ばかりの「唐娘(からむすめ)」を象(かたど)った人形(ひとがた)があった。

 同じく、これも、茶碗、則ち、陶器製であった。

 そこに、別な人がおり、その人が言うには、

「この娘の人形(にんぎょう)は、ひどく、中国から渡ってきてしまったことを、嘆いておる。」

と断じた。

 そこで、私が、その人に問うて言った。

「この日本に来てしまったことを、嘆いているのか? どうだ?」

と。

 その人は答えて、頷(うなず)く。

 そこで、また、私は、その人形に問うた。

「可愛がってやろうぞ。嘆いては、いけないよ。」

と。

 ところが、即座に人形は、頭を振って、それを拒んだ。

 その後(のち)、暫くしてから、その人形を取り出して見たところが、涙を流して、泣いているのだった。

 その涙は、眼に満々と湛(たた)えられている。

 また、そこから、零(こぼ)れ落ち、彼女の肩をさえ、湿らせているのであった。

 これは、疑いもなく、日本に来てしまったことを嘆いているのであった。

 そして、人形は、即座に言葉を発して、言うた。

「曲問(ごくもん)の人にてあられると、お見受け致しますが、その御配慮は、全く益のないことにて、御座います。」

と答えた。

 私は、それに答えて、

「なんと! ただの僧と申すばかりの凡僧にては、さにあらず! そなたには思いよらざることであろう。が、しかし、この国においては、我れ、これ、随分、大聖人(だいしょうにん)の評判の覚えあって、諸人(もろびと)が我れを崇(あが)めておるのじゃ! さればこそ、可愛がってやろうぞ!」

と、言うた。

 娘の人形は、これを聞くと、甚だ、快心の気色(けしき)を浮かべ、

「こつくり」

と、頷いて、

「されば、可愛がって下さいませ。」

と、言うた。

 私は、それを、心から了承した。

すると――

忽ち――

その陶器の人形は――

変じて――

――生身(しょうしん)の女人(にょにん)となった。

 その瞬間、私は心に思うた。

『明日(あす)、寺から他所(よそ)へ行き、仏事を修することになっている。結縁(けちえん)のために、かの所に往くことになっている。さすれば、この女人を、かの所にあい具して、行こう!』

と。

 女人は、即座に、その私の内心の思いを知り得て、悦びの体(てい)を示し、

「あい伴のうて! 参りましょう!」

と、自(おのずか)ら告げた。

 私は、語って言うた。

「そこには私の知れる尼公(にこう)の有縁(うえん)の人がおるのだ。」[明恵注:夢にあっても、私の覚醒していた意識の中で、『崎山の尼公がそこに居られる。聴聞のために至るのである。尼公は三郎の母のことである。この娘の姿は、三郞が中国から手に入れたことにその怨言がある』と、この解釈をしっかりと意識していたことを言い添えておく。]。

 その通りに、ともに、翌日、その所へと、彼女を連れて至った。

 すると、そこに、十蔵房がいて、私に言うことには、

「この女は、蛇と通じておるぞ!」

と。

 しかし、私はこの言葉を聞いて、

『蛇とまぐわったのでは、ない。ただ、この女人は、また、蛇身をも、一つの垂迹(すいじゃく)の姿として、持っているのである。』

と、思うた。

 この思いを心に抱いた、その直後、十蔵房は、忽ち、次いで、言うたのだった。

「うむ! この女人は、確かに! 蛇身をも、兼ねて持っておるの!」

と……

 この瞬間、覚醒した。

[明恵注:この夢を勘案して解釈するならば、これは、かの「善妙」のことである。そうさ! 謂おう! 「善妙は龍人(りゅうじん)にて、また、蛇身を持つ! また、茶碗=陶器であるというのは、これ、言わずもがな、「石身(せきしん)」であるからに他ならない!」と。]

[やぶちゃん注追記:私も島や絵の中の善妙を愛そうと思う。生身(なまみ)の女は、これ、「こりごり」だ。]

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