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2021/02/04

只野真葛 むかしばなし (4)

 

○大町りうてつが壱人むす子に、春長といひしは、御おぼへ有べし。をぢ樣に二、三、としをとりて有し。

 それを、をぢ樣は不代の才人、春長はすぐれたる不器用もの、ならべておなじく物をならわせやうとは、無理の一番なることを、りうてつ、覺らず、何をさせても、歲は、をとるに、智惠は、をとるを、氣の毒がり、ひどく折檻して有し故、後々、父子の中(なか)あしく、他人よりも、そばそばしかりしなり。

[やぶちゃん注:「大町りうてつ」「(3)」に既出。

「そばそばしかりし」「稜稜しかりし」。よそよそしかった。]

 

 母樣、手習は、玉手八郞左衞門といふ、御家中の手書(しゆしよ)の弟子なりし。手本、あまた有し。瀧本流にて、見事の手なりしが、父樣、手ふう、御氣にいらず、

「よし。」

や、

「あし。」

とて、母樣と御あらそひ被ㇾ遊しを、子ども時分、おぼえたり。

 母樣には、朝ばん、後仕舞(あとじまひ)できれば、すぐに、手習、厚一寸ばかりの奉書のそうし、五册ヅヽ、御ならい被ㇾ成(なられし)ことなり。少しもゆるぎ無(なく)、御二親(おんふたおや)の鼻の先にて、御習(おならひ)のこと故、折々、氣(き)すゝみなきとき、又、たいくつの時などは、

『世の中には、ぢゞ・ばゞといふもの有て、孫、あいす、と聞(きく)ぞ、うらやましき。物陰にて習へば、水など、草子にかけておくことも有といふを、少しもゆるぎなきぞ、くるしき。』

と、おぼしめして、淚ぐまるゝこと、おほかりし、と被ㇾ仰し。

[やぶちゃん注:「玉手八郞左衞門」岸本良信氏の公式サイト内の「仙台藩(伊達藩)3」に「玉手次左衛門」と「玉手八兵衛」の名を見出せる。

「手書」「てかき」と訓じてよい。ここは右筆のことであろう。

「瀧本流」書道の一派。江戸前期に石清水八幡宮の別当滝本坊昭乗(「寛永の三筆」の一人)が始めた書道の一流派。松花堂流とも呼ぶ。

「朝ばん、後仕舞(あとじまひ)できれば、すぐに」朝餉と夕餉の後片付けをやっと終わったと思うやいなや。

「水など、草子にかけておくことも有」何度も考えたが、意味が今一つ、よく判らない。爺婆が可哀そうに思って、こっそり手習いの正書(草子本)に水を掛けてやり、「覗いてみたら、大泣きして手本が涙でぐっしょりになっておったぞ!」と父母に告げにゆくこともある、という謂いであろうか。手本が濡れたままでは困るので、乾さねばならぬから、手習いは中止となるからである。しかし、遊の場合は、目と鼻の先に父母がよろしく監視しているので、厭になっても、身じろぎ一つ出来ないというのであろうか? もっと別な意味だというのであれば、御教授願いたい。]

 

 「古今集」・「新こきん」・「伊勢物がたり」などは素讀にて御おぼえ、自讃歌、其外、「大和物がたり」などの類(たぐひ)、すべて、物がたりを、くりかへし、くりかへし、御よませられ被ㇾ成しとなり。

「今日は雨がふる。さみしいから、物がたりでも、よめ。」

と被ㇾ仰るゝ。夜(よ)に入(いり)て、「むだ書(がき)」とて、文(ふみ)のぶんを、こしらへて書(かき)、其外は「貝覆(かひおほひ)」・「哥(か)せんたけ」・「きさごはぢき」などなり。いづれも、おもしろからず、氣ばかりつまることなり。

[やぶちゃん注:『「むだ書」とて、文のぶんを、こしらへて書』これは、誰に出すというあてもない手紙文を拵えて書く故の「無駄書き」なのであろう。

「貝覆(かひおほひ)」平安時代から主に貴族の間で遊ばれた室内遊戯。実は同一のものと思われている傾向が強い「貝合」(かいあわせ:「物合せ」の一種で、左右に分かれ、持ち寄った珍しい貝を示してその形状や色彩などの優劣を競う遊戯。平安貴族の間で流行った。時に貝にそれに因んだ和歌が詠み添えられたり、海浜の風景などを貝を散りばめて作り成した洲浜(すはま)を設えるなどの風流な遊戯であった)とは本来は別のものであったが、後世、混用されて使われるようになり、区別が出来なくなってしまった。「貝覆」は蛤(はまぐり)の貝殻が、一対だけしか嵌り合う相手がないという特性(これが暗に「まぐわい」のメタファーとなって「貝覆」のセットが嫁入道具となることになったのである)を利用した遊びで、通常百八十対又は三百六十対の蛤を左右の貝片、則ち、「地貝(じがい)」と「出貝(だしがい)」に分けておき、その遊戯の場には地貝を同心円状に伏せて並べる。次に、場の中央に出貝を一つずつ伏せて出し、その外側の地模様に合う「地貝」で「出貝」を掬い取り、多く取った者を勝ちとするが、その際の合せ方には儀礼的な作法が決められている。

「哥(か)せんたけ」「歌仙竹」。今の「知恵の輪」。「お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ」の「教育資料」の「歌仙竹」を見られたい。

「きさごはぢき」「細螺(きさご)彈(はじ)き」。「おはじき」の原型。巻き貝のキサゴの貝殻を散らして、指で弾き当てる子供の遊び。「きしゃごはじき」とも呼ぶ。「キサゴ」は、現在の標準和名としては、

腹足綱前鰓亜綱古腹足目ニシキウズガイ上科ニシキウズガイ科キサゴ亜科キサゴ属キサゴ Umbonium costatum

を指すが、

キサゴ属イボキサゴ Umbonium moniliferum

サラサキサゴ属ダンベイキサゴ Umbonium giganteum

なども流通では「キサゴ」として扱われる。されば、広義の、

キサゴ亜科Umboniinae

の種群も「キサゴ」に含まれると考えねばならない。例えば、

キサゴ亜科 Monilea 属ヘソワゴマ Monilea belcheri

キサゴ亜科Ethalia 属キサゴモドキ Ethalia guamensis

などは非常によく似ていて、一緒に並べたら、正直、素人には全く区別がつかないと思われるからである。但し、キサゴ類は他にも「シタダミ」「ゼゼガイ」などの異名が多いが、その分だけ、上記以外の、巻き方に扁平性が有意にあり、同一域に棲息する似たような他種も多いことから、それらをも広く包含して称していた/いる可能性は現在でも非常に高いので、これらだけに限定するのは考えものではある。なお、「チシャゴ」は「小さき子(かひ)」の意ととるよりは、「キサゴ」の転訛とするのが良いと思うし、通汎の「きさ」とは古語に「橒(きさ)」があり、これは「樹の木目(もくめ)」の意であるから、これらの貝類の表面の模様から見ても、それが語源の可能性が高いように私には思われる。ダンベイキサゴ(本集中部以南に分布)の成貝は殻幅四・五センチメートルを越える個体も珍しくない、日本産キサゴ類の最大種であるが、漢字では「団平喜佐古」と書き、この「団平(團平)」は、昔、荷を運んんだ頑丈な川船を指す名であるから、腑に落ちる。キサゴ類は、古く(縄文時代)から食用とされ、また、その殻が子どもの「おはじき」の原材料とされたことでも知られるが、特に私の住む三浦・湘南や関東地区では「シタダミ」という呼称は、明らかに現在も普通に食用とするダンベイキサゴを専ら指す。より詳しくは、私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 チシヤコ(キサゴ)」を参照されたい。また、万一、どんな貝か判らない方は、私の『毛利梅園「梅園介譜」 ダンベイキサゴ』及びその博物画を見られたい。]

 

 夏の夕がた稽古をも仕𢌞(しまはし)、ぎやう水、つかいて後、湯殿のわきに、隣(となり)長屋と、さかゐの日あわひ、一間(いつけん)ばかりの所、人のゆかぬ所故、くものすみかにて、色々のくも共、おもひおもひに巢をかけて、暮がたは、殊に、いそがしげにふるまひて、蟲のかゝるをまちて、壱、蟲がかゝれば、あまたのくも、いでゝあらそふを、いつも、をぢ樣と、ふたり、くらくなる迄御らん被ㇾ成しが、一年中の氣ばらしなりし、と被ㇾ仰し。

[やぶちゃん注:「一間」一メートル八二センチメートルほど。]

 

 錢金(ぜにかね)などいふ名は、たかく人のいふもきかず、見ふれもせず、まして手などにとらせられしことはなかりし故、この家にきてより、不自由せしほどに、子供、餘り、行儀高にそだつれば、のち、あしゝ、とは被ㇾ仰しが、やはり、私共兄弟、世間なみよりは、さることに、うとし。

[やぶちゃん注:「名は」「事は」の意。

「たかく人のいふもきかず」声高に意味あり気に言う人も家内にはおらず。

「私共兄弟」真葛の兄弟姉妹のこと。]

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