譚海 卷之三 京師にて天氣を考る
○京都の天氣、比叡山に雲の起るを見て、雨の候とする事也。雲(くも)麓より立のぼりて、再々に半腹に及び、既に山の頂までおほひ隱せば、京都のうち四面雲ちかくなりたる樣におぼへ[やぶちゃん注:ママ。]、やがて雨は降出(ふりいづ)る也。叡山雲おほへども山のいたゞき少しも見ゆる程は、いまだ雨ふりいでずとさだむる事なり、京都は江戶の冬月より凌(しのぎ)がたし、寒氣底より冷(ひゆ)る樣に身にしみて覺ゆるは、山の内につゝまれたる所なるべしといへり。又ある人の云(いはく)、京都は暴風なきゆゑ、江戶よりは寒氣は凌ぎやすき樣なれ共、暑氣は殊にたへがたし。四面の山にさへられて、江戶の樣にひやゝか成(なる)風ふく事なし、其故は終日(ひねもす)炎氣にてらされて、山々蒸し薰ずる其山より吹てくる風なれば、すゞしき風はなき事なり。夏月暑氣甚しき日は、暮はつるころより洛外の山々黃金の色になり、初夜すぐる此までは暗夜といへども、山の色それと見分るゝほどの事也。やうやう初夜すぐる此より炎氣醒(さめ)ぬれば、山のいろ消(きえ)て見えず、さる間(あひだ)暑中には哺時(ほじ)の飯(めし)も宿にてくふ事は堪がたければ、過半河原に行て涼しき方を求め、露席してものくふ事を興とする事也。豪富のものは河原にて飯を焚(たき)こしきへうちあけ、河原の流水に冷し洗ひあげて、茶をせんじ食する事を第一のおもむきとする事也。大てい京都の人家は停水なきゆゑ蚊はすくなけれども、蟻は家ごとに多きゆゑ、座敷をも度々掃ひ、蟻をはきあつめて捨(すつ)るなり、うるさき程の事也。人家のある地はみな牢(かた)き赤砂なり、家をつくるに土臺木をかまへて建(たつ)る事なし、みな掘たての家なり、蟻は此沙土より生ずる事とて、みなおほきなる山蟻なりとぞ。
[やぶちゃん注:「考る」「かんがふる」ではなく、「はかる」か。
「初夜」夜の初め頃。戌の刻(午後八時からの二時間)。
「哺時の飯」日の入り前の早い夕食。古代中国人の食事の時間帯に由来する。それは「食時」(じきじ)と「晡時」で、古くは一日二度の食事を、日の出後と日の入り前にとったとされることによる謂い。
「露席」「ろせき」か。露天の食席。
「こしき」「甑」。米や豆などを蒸すのに用いる器。鉢形の瓦製で、底に湯気を通す幾つもの小穴をあけ、湯釜にのせて蒸した。後、方形又は丸形の木製と成し、底に簀子(すのこ)を敷いたものを「蒸籠」(せいろう)と称する。ここは後者。
「停水」溜り水。
「牢(かた)き」「堅き」に同じい。
「山蟻」膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科アリ科ヤマアリ亜科ヤマアリ属クロヤマアリ亜属クロヤマアリ Formica japonica 。或いはヤマアリ属 Formica 。]