譚海 卷之四 上杉家士志津田孫兵衞まむし守札の事
上杉家士志津田孫兵衞まむし守札の事
○上杉家の士に志津田孫兵衞といふ人有。此家よりまむしよけの守札を出す、まむしをよくる事甚(はなはだ)奇妙なり。每年正月十六日・七月十六日兩度、此守札を百ふくづつ出す。禮物(れいもつ)鳥目(てうもく)百文にて受(うく)る事也。平常懇望すれば金子百疋禮物に出(いだ)す事也。相州三浦の專福寺奥州旅行に持參し、甚效驗に逢しよし物語也。
[やぶちゃん注:「上杉家士志津田孫兵衞」不詳。「志津田」は「しづた・しつた」と読める。上杉氏家臣で似た名前では、上杉謙信・景勝・定勝に仕え、「上杉二十五将」に数えられた志駄(しだ)義秀がいるが。
「百ふく」百服。「服」は「帯びる・持っている」の意があるので守札の数詞としては腑に落ちる。
「百文」現在の二千五百円前後か。
「百疋」一千文。ぼったくり!
「專福寺」神奈川県横須賀市佐島に浄土真宗本願寺派のそれがあり、別に神奈川県横須賀市東浦賀にも同名の浄土宗の寺がある。孰れもこの時代にはあったが、そこを「三浦」と呼ぶとなら、私は前者がしっくりくる。]