怪談登志男 十二、干鮭の靈社
怪談登志男卷第三
十二、干鮭の靈社(からさけのれいしや)
「近江路や美濃・飛驒・信濃・甲變の國」と讀(よみ)て、童子(わらべ)も知りたる海魚(かいきよ)の拂底(ふつてい)、山中に「もち繩(つな)[やぶちゃん注:原本の当て読み。]」と云(いふ)物、引わたして、鳥をとる、れうし、おほき。飛驒山の奧にて、例の「もち繩」に、鴈(がん)一羽、かゝりてありし所へ、越後より通ふあき人、四、五人、通りかゝり、此つなに鴈のかゝりたるを、
「幸の事や。」
と思ひ、綱(つな)より、放(はなち)て取て去りしが、一人がいはく、
「其かはり、なくしてとらんは、盜賊の仕業なり。價(あたい)を置べし。」
といふ。
「げに。尤。」
と、馬に付たる、から鮭(さけ)壱本、取出し、鴈のかゝりたる綱にかけ置て、通り過ぬ。
其後へ、獵師(れうし)、來りて、此躰(てい)を見て、大に驚き、
「ふしぎや。此山中に、から鮭の來りて、綱にかゝるべき樣こそ、なけれ。」
と、いそぎ、所のおとなしきものゝ方に持行(もちゆき)、
「かうかう。」
と語る。
村の長(おさ)も不審はれず、遠近(おちこち)、打寄、せんぎするに、誰(た)が了簡にも、ふしん、さらに、はれやらず。
「たゞことには有べからず。いかなる怪しき事あらんか。まつたく、生土(うふすな)の告(つげ)成べし。」
と、
「巫女(みこ)をよびて、生土の宮居にて神樂(かぐら)を奏し、御託宣を聞べし。」
と、頓(やが)て、巫女・神主をまねき集め、神をすゞしめ奉れば、きねがつゞみの音、御子(みこ)が袖ふる鈴のこゑに、
「めでたや、たくせんし給ふ。」
とて、みこ、
「わなわな」
と、ふるい、聲を上て、
「我は是、『天(あま)のからざけの尊(みこと)』とて、當社一躰、分神(ふんしん)の神なり。むかし、天孫、あま降(くだ)り給ふ時、さはり有て、天上に、とゞまりぬ。今年、時、至りて、此所に降臨(かうりん)して、蒼生(あをひとくさ)を守るなり。はやく、やしろを建(たて)て、當所に祭り、『からざけ大明神』と、あがむべし。七福を卽生(そくしやう)し、七難をめつし、氏子、はんじやうと、まもるべし。」
と。
神は、あがらせ給ひけり見えて、ねぎが肩へ、引かけて這入(はいる)が、御託宣の定格(しやうかく)、百姓ども、皆々、手を合せて、
「南無からざけ大明神。」
と三拜して、いぞぎ、やしろを造營し、朱(あけ)の玉垣、てりかゞやき、參詣の老若(らうにやく)、ひきもきらず。
かゝりしかば、近里遠境(きんりゑんきやう)の土民、聞傅(きゝつた)へて、詣(まふで)來り、さまざまの願望(くわんほう)、おもひおもひに、ねぎ祈りけるに、金(かね)こそ、埓(らち)あかね、其餘(よ)の願は成就せずといふことなければ、日々に、宮居、はんじやうしける。
其年も暮て、立かへる春の頃、彼(かの)越後の商人共、
「故鄕へ歸る。」
とて、又、此所へ差(さし)かゝりしが、
「不思議や、去年、通りし時、かゝる宮居はあらざりけるが。いかなる神にておはしますらん、まづ、何にもせよ、おがみ奉れ。」
と、一同に拜して、傍(かたはら)に居たる人に、
「そもそも、當社はいか成神にて、かく參詣もおほく、社頭もあらたに見えさせ給ふらん。過し年、我々、爰を通りし迄は、社もなかりしが、わづかの間(ま)に、斯(かく)おごそかなる宮柱(みやはしら)ふとしき建(たて)て、みづがきのかげも長閑(のとか)にわたらせ給ふや。」
と、問へば、
「さることの侍る。去歲の事にて候が、此所に鳥を取『もち綱』といふもの、引はへて置しに、いづくより飛來るとも、はかり難き、『からざけ』一つ、綱にかゝりて、さふらひぬ。御覽のごとく、此あたりは深山(みやま)にて、海魚(かいぎよ)は勿論、鮭・鱒なんどの川魚もまれなるに、いはんや、『越路(こしぢ)にこそ澤山(たくさん)なれ、爰には見るもたまさかなる乾鮭(からざけ)の、繩(なは)にかゝりてあるべうもなし』と、生土(うふすな)の祠(やしろ)にて、御湯(みゆ)まいらせてさふらへば、み子に、乘(のり)うりらせ給ひ、『此所を守り給はん』との神託ありし故、斯(かく)は祭り侍りしなり。神號(じんがう)は『からざけ大明神』。」
と、語るを、商人等(ら)、聞もあヘず、目と、めを、見合、
「くつくつ」
と吹出して、
「そのからざけは、われわれ、去年(きよねん)、此所にて、綱にかゝりし鳥の代(しろ)に、もちづなへ、はさみ置て、通りしなり。何條(なんじやう)、天下(あまくだ)りし神ならん。」
と、同音に、
「どつ」
と笑(わらひ)、
「せんなき所に、ひまどりし。」
と、つぶやき、つぶやき、過行(ゆけ)ば、里人共、これを聞、信仰の心、忽(たちまち)、さめ果(はて)、俄(にはか)に小祠(ほこら)を打崩し、元の山路(し)の峯のしら雲、跡なくなりしぞ、おかしかりける。
他(そと)の國にも、「鮑神君(ほうじんくん)」とて、是に似たる物語あり。和漢ともに、同じく愚(おろか)なるは、片田舍の人のこゝろなりけり。
[やぶちゃん注:これは……懐かしいな……私が漢文の授業でやったことがある、宋の劉敬叔の志怪小説集「異苑」(但し、一部は明末に発見されたものの増補と考えられている)の「卷五」に載る「鱣(うなぎ)の社(やしろ)」が最も知られた原拠である。実はこれは既に「柴田宵曲 妖異博物館 乾鮭大明神」の私の注で電子化してあり(原文・訓読)、宵曲は本篇にも梗概で言及しており、本篇最後に出る「鮑神君」(これは鮑(あわび)ではなく「鮑魚」で「ほしうを」と訓読し、即ち、前話と同じ干魚のことであるので、注意されたい)についても述べていて、やはり私がその原拠である、後漢末の応劭の「風俗通義」(諸制度・習俗・伝説・民間信仰などに就いて記したもの)の「怪神」の中の「鮑君神」を原文のみ電子化してあるので(こちらも八島五岳著の「百家琦行傳」(ひゃっかきこうでん:天保六(一八三五)年自序・弘化三(一八四六)年刊)の「卷之四」の「田中丘隅右衞」で本邦のインスパイアされている。同話は国立国会図書館デジタルコレクションへのリンクも張ってある)、是非、そちらを読まれたい。四年前二月の私よ、遂に「怪談登志男」も電子化注しているよ……
「近江路や美濃・飛驒・信濃・甲變の國」一種の童訓歌(五・七・五となっている)で、海に接していない国尽しである。
「もち繩(つな)」「黐綱(もちづな)」。「黐網」。本来は粘着性の鳥黐(とりもち)を塗った鳥を獲るための網や綱である。ここは一貫して「つな」としているので、それでよいと思うが、広義には鳥黐を使わない霞網(かすみあみ)のようなものも同様の効果を持つから、それも含まれるかとも私には思われなくもない。中・大型の鳥は黐でないと暴れて逃げてしまうが、小型の鳥では黐がべたべたに張り付き、外すのも面倒で、食用はまだしも、江戸時代に流行った愛玩用の野鳥としては全く商品にならなくなるからである)。
「鴈(がん)」広義のガン(「鴈」「雁」)は鳥綱Carinatae 亜綱Neornithes 下綱 Neognathae 小綱カモ目カモ科ガン亜科 Anserinae の水鳥の中で、カモ(カモ目カモ亜目カモ科 Anatidae の仲間、或いはマガモ属 Anas )より大きく、ハクチョウ(カモ科亜科 Cygnus 属の六種及び Coscoroba 属の一種の全七種)より小さい種群の総称である。狭義には本邦ではマガン属マガン亜種マガン Anser albifrons frontalis を指す。詳しくは、「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴈(かり・がん)〔ガン〕」の私の注を見られたい。
「あき人」「あきびと」或いは「あきんど」とも読める。原本本文には一切、「人」にルビがない。
「おとなしきもの」年配の思慮分別がある者。
「生土(うふすな)」「產土(うぶすな)」。小学館「日本大百科全書」の丸山久子氏の解説を主文として説明すると、産まれた土地の守り神を「うぶすな神(がみ)」と呼ぶ。「うぢ(うじ)がみ」と称する姓氏の同族の守り神と、多くの場合、混同していることが多く、双方とも、守護を受ける側の人を「氏子」と呼んでおり、その呼称が混同の源かも知れない。生児の誕生後三十二日から三十三日目に行われる「宮参り」には、産土神に詣でる風習があり、この場合、土地の守護神に参詣するのであるが、その対象とする神を「産土様」と呼ぶのが通例である。今一つ、しばしば同一のものとされる「産神(うぶがみ)」と称する神があり、「産土神」と紛れやすい。しかし、「産神」の方は出産の守護神であって、「赤不浄(あかふじょう)」と呼ぶ「血の穢れ」には関係がなく、寧ろ、「産神」は産室に勧請して祀っているのに対して、「産土神」は「血の穢れ」を忌み、生児の「宮参り」の時も、本来は母親は「忌み」の期間にあるとされて、姑と或いは仲人親(なこうどおや)又は産婆などが生児を抱いて参詣するのが本来である。地方によっては、生児も「ひがかり」(「忌み」の期間)と称して、鳥居より内には入ることができず、鳥居の外で参詣を済ませるケースもある。これを「とりいまいり」と称する。そして、この後、母の「忌み」の明ける七十五日を待って、母子ともども、「宮参り」をするという。かくの如く、「うぶすな」は「産神」とは異なった性格の神であることがこれでも判る。「うぶすな」は「鎮守」という別称もあり、土地・村落などの運命共同体にとっての地域的な守護神であって、「氏神」のように個々の家庭や家族にまで深く関わってくるような神ではないと考えられる。現在の鎮守の祭神には、諏訪・八幡・熊野など、国内の大きな神社の祭神を勧請してきて祀っているものが多く、遠く離れた土地の神を祀っているということは、「うぶすな」の感じとは印象が異なるようではあるが、地域に「氏」を異にした住人が多くなり、単純な組織も崩れてしまって、従来の祭神では飽き足りないも感覚が生じてしまったためであろう。また外部的には「御師(おし)」などの神人(じにん)の活躍もあったであろうが、原点は住民の信仰意識の変化であろう。
「すゞしめ」「淸しめ」「涼しめ」で「心を静め慰め」の意であるが、特にここは「祭事を行って神を慰め」の意である。
「きねがつゞみの音」「杵が皷の音」。棒状で両端が太くなっている竪杵は歴史が古く、手杵(てぎね)或いは兎杵(うさぎきね:月で兎が搗くのに用いる形と言えば腑に落ちよう)とも呼ばれるが、これはそれを圧縮すれば、皷の形とミミクリーである。恐らくは米の豊饒の祈りに掛けた謂いかと私は思う。
「蒼生(あをひとくさ)」「蒼生(さうせい)」の当て訓。多くの人々。人民。あおひとぐさ。「七福を卽生(そくしやう)し、七難をめつし」仏教用語の「七福卽生」(しちふくそくしやう)。七難が滅することに拠って得られる七種の幸福。多く「七難即滅」と対になって用いられる。神仏習合であるから、巫女が口走っても問題ない。
「はんじやう」「繁昌」。
「神は、あがらせ給ひけり見えて、ねぎが肩へ、引かけて這入(はいる)が、御託宣の定格(しやうかく)」干鮭大明神は天へお昇りなされたとみえて、巫女は黙って禰宜の片に手を掛け、そのまま神殿をそろそろと這うように出た。これが、確かな神の御託宣の終了を意味する御約束事としての仕儀である、というののである。
「朱(あけ)の玉垣」神域の内外を区切る結界をはっきりと示すために斎垣(いがき)を赤く塗ったもの。
「ねぎ」「勞ぐ」「犒ぐ」などと書く。「神の心を慰めて加護を願う」の意。神職の「禰宜」はこの動詞の連用形が名詞化したもので、漢字は当て字である。
「金(かね)こそ、埓(らち)あかね、」我欲ばかりの金の無心は、これ、成就せぬが。
「みづがき」「瑞垣」。古くは清音「みづかき」。神社や神霊の宿ると考えられた山・森・木などの周囲に巡らした玉垣のこと。
「かげ」様子。
「去歲」「さるとし」。昨年。
「引はへて」「引き延(は)へて」長く引き延(の)ばして。
「御湯(みゆ)」巫女が神前で熱湯に笹の葉を浸し、身に振りかけて祈ること。「湯立(ゆたて・ゆだて)」「湯立神楽(かぐら)」「湯神楽」とも言う。私はルーツは「盟神探湯(くかたち)」と同じで、神と会話出来る証しを示す仕儀と思うている。
「見合」「みあはせ」。
「代(しろ)」代わりの品。
「何條(なんじやう)」「何(なに)と言ふ」の変化した語。「なでふ」とも。感動詞。「何を言うか!」「とんでもない!」で相手の言い分を否定する語。「條」は当て字。当て字でも歴史的仮名遣は「なでう」でなくてはならず、原本のルビは誤りである。
「片田舍の人のこゝろなりけり」こういう地方人差別は「徒然草」同様、実に厭な感じがするので、附して欲しくなかった。寧ろ、最後に相応しいのは、人々が干鮭を分け合って食べてしまうシーンでよかろうに。]
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