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2021/02/03

只野真葛 むかしばなし (2)

 

 母樣、をさなだち、春のふたへ着は、郡内丹後の類のしまに、紅うらのみじかき振り袖なり。其頃より袖もしだいにながく、裾模樣などもはやりだしたるに、極(ごく)むかしのふうにて、たゞ人柄のよきをのみ、たけきことゝして、御そだち被ㇾ成しとぞ。よそ行御めし物、いくらできても、惣模樣(さうもやう)ばかり、あき人も、當世へむかぬ古ものゝはめ所にして持てくれば、いつも御とゝのへ被ㇾ遊とぞ。折々、橘家【橘隆庵樣、公儀御醫師。桑原家の師なり。】[やぶちゃん注:頭注。]へ逗留にいらせられゝば、女共、よりたかり、やれ、

「袖がみじかい。」

「はゞひろひ。」

「むかし繪の正(しやう)寫しよ」

など、いひて、わらひものにするを、をさな心に、はづかしくおぼしめされし故、御めし物いできても、

『なぞや、世の人の笑ぐさになる物よ。』

とおぼしめせば、御悅(およろこび)の色、なし。御二方も、

「いくら、着物きせても、うれしがらぬ子。」

と被ㇾ仰しとなり。工藤家へ御入(おはいりの)後は、としどし、父樣、御物好(おんものずき)にて、すそ模樣ばかり召させられしなり。

[やぶちゃん注:「をさなだち」「幼立ち」幼い頃。或いはその折りの御様子。

「郡内丹後」山梨県郡内地方で産出する絹織物の「甲斐絹 (かいき)」で作った丹後縞(本来は丹後地方から産出した縞の絹織物。多くは紬 (つむぎ) で、黒か茶色の地に朽葉 (くちば) 色か萌葱 (もえぎ) 色で縦縞を表したもの)のものの意であろう。丹後縮緬(白生地の縮緬)を真似たものでもよいが、丹後縮緬の技術創生が享保年間(一七一六年~一七三六年)とされるのと、真葛の母遊の推定生年(元文六/寛保元(一七四一)年)が近過ぎる気がすること、それが地方で産生されるようになり、流行するには、さらにタイムラグがあるはずで時期的に如何か? と疑問を持つこと、さらにそうだとすると、それは当時の最新の流行となったと考えるなら、そうした流行りの服と無縁であったとする彼女(遊)のありようからは、相応しいと感じないからでもある。

「惣模樣」小袖模様の一形式。肩裾模様とか褄(つま)模様など、小袖の限られた部分にのみ模様を置き、他を無地のままに残した形式に対して、小袖全面に模様を配したものをいう。広義には亀甲とか格子などの比較的単純な型を繰り返し、小袖全体をくまなく埋め尽くした形式も含まれるが、一般には小袖をあたかも一枚の画布に見立て、これに御所解(ごしょどき)模様(四季の草花を細かく密に表わし、その間に御所車・扇・柴垣など「源氏物語」等の王朝文学や能に頻出する事物を配するのを特徴とした模様)や風景模様など、絵画的な性格の濃厚な模様を表した観賞的な小袖模様を指す(小学館「日本大百科全書」他に拠る)。

「あき人」「あきんど」と読んでおきたい。

「はめ所」推測であるが――流行りの廃れた古いタイプの売れないものを買って呉れる「嵌め所」――都合のいい格好の「上客」のいるところ――の謂いではあるまいか?
「御とゝのへ被ㇾ遊とぞ」「御調へ遊ばさるとぞ」。お買い揃えになられたとのことであります。

「橘家【橘隆庵樣、公儀御醫師。桑原家の師なり。】」橘隆庵元常(もとつね)。遊の父である仙台藩医桑原隆朝(りゅうちょう)の医号に「隆」があるのは、彼の弟子であるからであろう。医学誌・盲人史・東洋医学をメインの研究とするサイト「香取研究室」の「江戸幕府医療制度研究室」のこちらの「4」にある香取俊光の論文「元禄時代の鍼・灸・按摩・医学史料―附『隆光僧正日記』医師・医事索引―」(『理療の科学』一九九七年発行・20-1掲載)に、元禄時代(一六八八年~一七〇四年)に活躍した新義真言宗の僧護持院(知足院)の住職であった隆光(りゅうこう 慶安二(一六四九)年~享保九(一七二四)年:五代将軍綱吉の生母桂昌院の信任厚く、柳沢吉保とともに側近として文治主義を徹底させ、「生類憐れみの令」の発案者としても知られる)の「隆光僧正日記」が引かれてあるが、その元禄一四(一七〇一)年四月末のこと、隆光が「食中り」に罹患した際の記載の中に、心配した綱吉が、御殿医である『宋仙院(橘元常)被参』と記されているのを見つけた。不謹慎だが、香取氏も述べておられる通り、『読み手のこちらにとっては』、『その情景がリアルに想像できて』、『滑稽な記事』として読め、たいそう面白い。必見である。

「なぞや、世の人の笑ぐさになる物よ」「なぞや」は副詞「なぞ」+係助詞「や」で疑問・反語を表わす。「どういうわけかしら?」、或いは反意・不服を含んだ意だが、ここは後者で「どうしたのかしら? 世の人の笑い草になるばかりだわ……でも、そんな扱いを受けるの……おかしい……厭だわ!」の意でとるべきであろう。

「父樣、御物好にて」お父上さま(真葛からの謂い。遊からは夫である)のご趣味で。

「すそ模樣」「裾模樣(すそもやう)」。和服の模様付けの一種で、裾にのみ模様がアクセントとして置かれたものを指す。女性の礼装用で、全体に模様を施した「総模様(そうもよう)」に対するもの。]

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