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2021/02/08

南方熊楠 西曆九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語 (異れる民族間に存する類似古話の比較硏究) 5

 

「シンダレラ物語」は、何人も知らぬ者なき通り、歐米で最も盛んに行なわるる仙姑傳(フエヤリーテイル)也、「シンダレラ」、繼母に惡まれ、常に灰中に坐し、厮役厨務[やぶちゃん注:「しえきちゆうむ」。]に苦しめられ、生活全く、異母妹の盛飾遊食するに反せり、一旦仙姑の助けにより、貴公子に見初められしが、公子之を執へんとする每に、駛く[やぶちゃん注:「はやく」。]去て影を留めず、然るに或夕べ、例のごとく公子眼前に舞踏濟み、遁れ去んとして、仙姑が吳たる履を落す、公子之を拾ひ、衆女を試るに、「シンダレラ」の足のみ之に合ふ、公子因て意中の人を認め、之を娶る、此譚西洋に弘く行はるゝ丈け、其作り替えも多きは、例せば C. Pedroso, ‘Portuguese Folk-Tales’;London, 1882. 葡萄牙の古話三十を載たる中、「シンダレラ物語」に屬する者、三つ迄有るにて知るべし、偖[やぶちゃん注:「さて」。]予廿三年前在米の間、酉陽雜俎續集卷一に、支那の「シンダレラ」物語有るを見出し、備忘錄に記し置き其後土宜法龍師抔[やぶちゃん注:底本「杯」と誤字する。特定的に訂した。]に報ぜし事有り、英國の俚俗學會、曾て廣く諸國に存する「シンダレラ」物語の諸種を集め、出版せし一册あり、予在外中、好機會多かりしも、多事なりし爲め、遂に之を閱せざりしぞ遺憾なる、近日倫敦の學友を賴み、右の書に支那のシンダレラ譚有りやと調べ貰ひたるに、全く無しとの返事也、然し其人斯る事に趣味を持ざれば、實際は知れず、兎に角、自分折角、久しく取って置きの物を、其儘埋め去る事の惜しまるれば、爰に其文を載す、縱ひ既に學者間に知悉されし事なりとも、此物語を、歐州特有の物と思ひ居る人々の、耳目を廣むるの少益有りなんか、云く[やぶちゃん注:以下の底本の漢字表記には疑義があるので、「中國哲學書電子化計劃」の影印本画像を視認して一部を特異的に訂した。読点も不審な箇所があるので訂した。]、南人相傳、秦漢前有洞主吳氏、土人呼爲吳洞、娶兩妻、一妻卒、有女名葉限、少惠善鈎金、父愛之、末歲父卒、爲後母所苦、常令樵險汲深、時嘗得一鱗、二寸餘、赬伯鬐金目、遂潜養於盆水中、日長、易數器、大不能受、乃投於後池中、女所得餘食、輒沉以食之、女至池、魚必露首枕岸、他人至不復出。其母知之、每伺之、魚未嘗見也、因詐女曰、爾無勞乎、吾爲爾新其襦、乃易其弊衣、後令汲於他泉、計里數百也、母徐衣其女衣、袖利刃行向池、呼魚、魚卽出首、因斫殺之、魚已長丈餘、膳其肉、味倍常魚、藏其骨於鬱棲之下、逾日、女至向池、不復見魚矣、乃哭於野、忽有人被髮麄衣、自天而降、慰女曰、爾無哭、爾母殺爾魚矣、骨在糞下、爾歸、可取魚骨藏於室。所須第祈之、當隨爾也、女用其言、金璣衣食隨欲而具、及洞節、母往、令女守庭果、女伺母行遠、亦往、衣翠紡上衣、躡金履、母所生女認之、謂母曰、此甚似姊也、母亦疑之、女覺、遽反、遂遺一隻履、爲洞人所得、母歸、但見女抱庭樹眠、亦不之慮、其洞隣海島、島中有國名陀汗、兵强、王數十島、水界數千里、洞人遂貨其履於陀汗國國主得之、命其左右履之、足小者履減一寸、乃令一國婦人履之、竟無一稱者、其輕如毛、履石無聲、陀汗王意其洞人以非道得之、遂禁錮而栲掠之、竟不知所從來、乃以是履棄之於道旁、卽遍歷人家捕之、若有女履者、捕之以告、陀汗王怪之、乃搜其室、得葉限、令履之而信、葉限因衣翠紡衣、躡履而進、色若天人也、始具事於王、載魚骨與葉限俱還國、其母及女卽爲飛石擊死、洞人哀之、埋於石坑、命曰懊女塚、洞人以爲奠禖祀、求女必應、陀汗王至國、以葉限爲上婦、一年、王貪求、祈於魚骨、寶玉無限、逾年、不復應。王乃葬魚骨於海岸、用珠百斛藏之、以金爲際、至徵卒叛時、將發以贍軍、一夕、爲海潮所淪、成式舊家人李士元聽說、士元本邕州洞中人、多記得南中怪事。

[やぶちゃん注:「シンダレラ物語」平凡社「世界大百科事典」の「シンデレラ(Cinderella)」を引くが、意想外に記載が短い(コンマを読点に代えた)。『世界的に分布の広い継子話の女主人公の英語名。話の起源はオリエントと考えられている。フランスではシャルル・ペローが《昔々の物語ならびに教訓》』(一六九七年)『に〈サンドリヨン〉の名で、口伝えの再話作品をのせ、ドイツでは《グリム童話集》』二十一『番に〈灰かぶり〉がある。口伝えの類話にも多様な変化と組合せがあるが、ほぼ次のような骨格をもつと考えられる。継娘が継母とその実子に虐待されるが、親切な動物が食物や贈物をくれる。実子がそれを知り、継母が動物を殺す。シンデレラがその死体を埋葬すると、墓に上等な服がおいてある。王子が祝宴を開くことになると、継母は難題を与えてシンデレラを行かせまいとする。動物たちの援助で難題を片づけ、墓の上等な服を着てシンデレラが祝宴に行くと,王子は美しさに打たれて娘をひきとめるが』、二『度までは逃げられ』、三『度目に娘の靴だけを手に入れる。王子はその靴に合う足の娘を探し、ついにシンデレラを発見して結婚する。この話は他の継子話、《一つ目、二つ目、三つ目》や《千びき皮》などと混じりあいながら』、『多様な変化をして伝承されている。動物の墓は、しばしば実母の墓ともいわれ、そこに木が生えて美しい着物を出してくれるという。死霊が植物に化成するという古い宗教観念の反映と考えられる。日本の《米福糠福》もこの系統の話と考えられるし、《姥皮》もこの話の後半部分と関係がある』。ウィキの「シンデレラ」も熊楠の起源説探求としては引くに値しない。因みの英文表記の「Cinderella」とは「Cinder」(灰)に対象が女性や子供を表わす際の接尾語「-ella」が附された「灰だらけの汚い娘」という卑称の綽名である。

「仙姑傳(フエヤリーテイル)」fairy tale。原義は「妖精(精霊)についての物語」であるが、転じて「御伽話」「信じられないほど美しい話」の意。形容詞としても用いられる。

「厮役」召使い。

「C. Pedroso」ポルトガルの歴史家・民俗学者ゾフィモ・コンシグリエリ・ペデルゾ(Zófimo Consiglieri Pedroso 一八五一年~一九一〇年)。当該英訳書は「Internet archive」のこちらで読める

「酉陽雜俎」(ゆうようざっそ:現代仮名遣)晩唐の官僚文人段成式(八〇三年~八六三年)撰の荒唐無稽な怪異記事を蒐集した膨大な随筆。八六〇年頃の成立。本文は後掲する。

「土宜法龍」(どきほうりゅう 安政元(一八五四)年~ 大正一二(一九二三)年)真言僧で真言宗高野派管長。名古屋生まれ。本姓は臼井。四歳の時に伯母の貞月尼を通じて出家し、「法龍」と称した。明治二(一八六九)年に高野山に登って、真言・天台などの教義を学び、仏教教学の研究に努めた。明治二六(一八九三)年、アメリカのシカゴで開催された「万国宗教会議」に日本仏教の代表の一人として参加した。その会議終了後、ヨーロッパに渡り、パリでは「ギメ博物館」仏教部の要請を受けて五ヶ月間、滞在しており、また、ロンドンでは、まさに滞欧中であった南方熊楠と出会い、互いに意気投合して、パリ滞在中にもロンドンの南方と書簡を交わすようになり、西域・チベットへの仏教探訪の旅を語り合ってもいる。また、南方が紀伊に帰ってからも、文通が頻繁に行われ、南方の宗教観、特に曼荼羅論・宇宙論に大きな影響を及ぼしている(この往復書簡は甚だ面白い)。明治三十九年に仁和寺門跡御室派管長、大正九(一九二〇)年に高野派管長となり、真言宗各派連合総裁・高野山大学総理などを兼任した。

「俚俗學會」民俗学会。

「酉陽雜俎續集卷一」の「支諾皋(しだくこう)上」の最初の方に出る。所持する「東洋文庫」(一九九四年刊)の今井与志雄氏の訳文を参考に訓読を試みる。今まで言っていないが、平凡社「選集」版は勝手に訓読したものが載るが、これが現代仮名遣で、しかも訓読者が漢籍に詳しい人物でないようで、甚だ不審に思う箇所が多く、殆んど参考にしていない(というか、ならない)ことをお断りしておく。

   *

 南人(なんじん)、相ひ傳ふ。

 秦・漢の前に洞主(どうしゆ)[やぶちゃん注:村長。]の吳氏あり、土人、呼んで「吳洞」となす。兩妻を娶る。一妻、卒(そつ)し、女(むすめ)有り、「葉限(せふげん)」[やぶちゃん注:現代仮名遣「しょうげん」。この名は中国南部の伝説の女性の名として知られる。]と名づく。少(をさ)なきより惠(さと)く、善(よ)く金を鈎(さぐ)る[やぶちゃん注:探し出した。]。父、之れを愛す。

 末歲(まつさい)[やぶちゃん注:ある年の末。]に、父、卒し、後母(ままはは)に苦しめらるる所と爲(な)る。常に險(けは)しきに樵(きこ)らせ、深きに汲(みづく)ましむ。時に、嘗て、一つの鱗(うを)を得たり。二寸餘りにして、赬(あか)き伯鬐(ひれ)、金の目たり。遂に潜(ひそ)かに盆水に養ふ。日(ひにひ)に長じ、數器を易(か)ふるも、大にして、受くる能はず。乃(すなは)ち、後ろの池中に投ず。女(むすめ)は、得させらるる所の餘食を、輒(すなは)ち、沉(しづ)めて以つて之れに食らはす。女、池に至れば、魚、必ず首を露はして岸に枕(まくら)す。他人の至るも、復たと出でず。其の母、之れを知りて、每(つね)に之れを伺ふも、魚、未だ嘗て見(あら)はれず。因りて、女に詐(いつは)りて曰はく、

「爾(なんぢ)、勞する無からんや[やぶちゃん注:疲れてはいないかい?]。吾、爾が爲めに其の襦(うはぎ)を新たにせん。」

と。

 乃ち、其の弊(やぶ)れし衣を易(か)へ、後(のち)、他(ほか)の泉に汲ましむ。里を計れば數百なり[やぶちゃん注:唐代の百里は約五百六十キロメートルで、あり得ない誇張である。]。母、徐(おもむ)ろに其の女の衣を衣(き)て、利(と)き刃(さすが)を袖にし、池に行きて向かひ、魚を呼ぶ。魚、卽ち、首を出だせり。因りて、之れを斫(き)り殺す。魚、已に、長さ丈餘、其の肉を膳(くら)ふに、味は常の魚に倍す。其の骨を鬱棲(うつせい)[やぶちゃん注:人糞・獣糞などを貯留して「肥え」にする場所。]の下に藏(かく)す。日を逾(こ)えて、女、至り、池に向かへども、復た、魚を見ず。乃ち、野に哭す。忽ち、人、有り。被髮・粗衣にして、天より降(くだ)り、女を慰めて曰く、

「爾、哭すなかれ。爾の母は爾の魚を殺せり。骨は糞の下に在り。爾、歸りて、魚の骨を取りて、室に藏(かく)すべし。須らく、第(つぎ)に、之れに祈らば、當に爾に隨ふべし。」

と。

 女、その言を用ひ、金璣(きんき)[やぶちゃん注:金と宝玉。]衣食、欲するに隨ひて、具(そな)はれり。

 洞の節(せつ)[やぶちゃん注:洞主であった父の命日。]に及び、母、往きて、女をして、庭の果(くだもの)を守らしむ。

 女、母の行くこと遠きを伺ひ、亦、往く。翠紡(すいばう)[やぶちゃん注:翡翠の羽で紡いだもの。]の上衣を衣(き)て、金の履(くつ)を躡(は)けり。

 母の生みし所の女、之れを認め、母に謂ひて曰はく、

「此れ、甚だ姊に似たり。」

と。母もまた、これを疑ふ。[やぶちゃん注:このシークエンスはタイム・ラグがあって少しおかしい。脱文或いは錯文が疑われる。]

 女、覺りて、遽(にはか)に反(かへ)り、遂に一隻(いつせき)[やぶちゃん注:片方。]の履を遺(のこ)し、洞人(むらびと)の得る所と爲る。

 母、歸りて、但(ただ)、女の庭樹を抱(いだ)きて眠れるを見、亦、之れを慮(おもんぱか)らず。

 其の洞、海の島に隣りし、島中に、國、有り、「陀汗(だかん)」と名づく。兵、强くして、數十の島と、水界數千里に王たり。

 洞人、遂に其の履を陀汗國に貨(う)り、國主、之れを得(え)、其の左右[やぶちゃん注:侍従。]に命じて、之れを履かしむるも、足の小なる者、履けども、一寸を減ず[やぶちゃん注:元の大きさより一寸小さくなって履けなかったのである。唐代の一寸は約三センチメートル。]。乃ち、一國の婦人をして、之れを履かしむるも、竟(つひ)に、一(ひとり)として稱(あ)ふ者、無し。

 其の輕(かろ)きこと、毛のごとく、石を履(ふ)むに、聲(おと)、なし。

 陀汗王、

「其の洞人、非道を以つて之れを得しか。」[やぶちゃん注:何か非人道的で怪しい手段で入手した呪物かと思ったのである。]

と意(おも)ひ、竟に禁錮して、之れを拷掠(かうりやう)[やぶちゃん注:拷問。]すれども、遂に從(よ)つて來たる所を、知らず。

 乃ち、この履を、以つて、是れを道旁(だうばう)に棄て[やぶちゃん注:この部分は文意が続かず、何らの錯文が疑われる。]、卽ち、人家を遍歷して之れを捕へんとし、若(も)し、女の履ける者有らば、之れを捕へ、以つて、告げさす。

 陀汗王、之れを怪しみ、乃ち、其の室を搜し、葉限を得たり。

 之れを履かしむるに信(しん)なり[やぶちゃん注:本人であった。]。

 葉限、因りて、翠紡の衣を衣(き)て、履を躡きて進むに、その色(しよく)[やぶちゃん注:姿。]や、天人のごとし。始めて、事を、王に具(まう)す。

 魚骨と葉限とを載せて、俱(とも)に國に還る[やぶちゃん注:主語は王。]。

 其の母及び女は、卽ち、「飛石(ひせき)」と爲し、擊たれて死す[やぶちゃん注:「石打ちの刑」に処せられて沢山の石を投げつけられて死んだ。穴を掘ってそこに罪人を立たせ、庶民に次々と石を投げつけさせて殺す刑罰がイスラム圏に現在もあるが(罪名は不貞で男女を問わない)、それと同様のものであろう。]。洞人、之れを哀れみ、石坑に埋(うづ)め、命(なづ)けて「懊女塚(わうぢよづか)」[やぶちゃん注:「懊」は「恨む・悩み悶える」の意。一種の本邦の御霊信仰と同じである。]と曰ふ。洞人、以つて禖祀(ばいし)[やぶちゃん注:祭祀。「禖」中国古代に於いて祀られた神の名。]をなし、女(むすめ)[やぶちゃん注:女の子の出生。]を求むれば、必ず、應ず、と。

 陀汗王、國に至り、葉限を以つて上婦[やぶちゃん注:正室。]と爲せり。

 一年、王、貪(むさぼ)り求めて、魚骨に祈れが、寶玉、限り無からんも、年を逾(こ)えれば、復たと應ぜず。

 王、乃ち、魚骨を海岸に葬り、珠(しゆ)[やぶちゃん注:真珠。]百斛(こく)[やぶちゃん注:唐代で五千九百リットル。]を用ひて之れを藏(かく)し、金を以つて際(へり)と爲せり。徵(ちやう)せし卒の叛(むほん)する時に至りて、將に發(あば)きて以つて軍を贍(たす)けんとするも、一夕(いちゆう)[やぶちゃん注:ある夜。]、海潮の爲に淪(しづ)めらる。

 成式[やぶちゃん注:作者。]の舊家人の李士元の說けるを聽けり。士元は、元(もと)、邕州(ようしう)の洞中(むらうち)の人にて、多く、南中の怪事を記し得たり[やぶちゃん注:記憶していた。]。

   *

「東洋文庫」の今井氏は、本篇の注で熊楠の本論考にも言及された後、以下のように述べておられる。少し長い引用となるが、熊楠の考証と原拠本篇を理解する上で非常に重要なので、引かさせて戴く。

   《引用開始》

 楊憲益(ヤンシェンイー)[やぶちゃん注:一九一五年生まれで二〇〇九年没。中国文学の英語翻訳者として著名。妻は同じ仕事を成したイギリス人グラディス・マーガレット・テイラー(Gladys Margaret Tayler:中国名:戴乃迭)。文化大革命中、夫婦は四年刊投獄されている。]の「中国の掃灰娘(サオホイニヤン)(Cinderella)譚」に、『酉陽雑俎』のこの話を全文抄録し、つぎのような案語[やぶちゃん注:中国語で「注釈」の意。]を加えている――この説話は、あきらかに、西方の掃灰娘(Cinderella)譚である。段成式は、西暦九世紀の人であり、この説話が、遅くとも九世紀、あるいは、八世紀にはすでに中国に伝わっていたことがあきらかである。篇末に、説話の語り手は邕州の人だという。邕州は、すなわち、いまの広西の南寧[やぶちゃん注:グーグル・マップ・データでここ。]である。この説話が、東南アジア経由で中国に入ってきたことがわかる。イギリス人、コックス(Marian Rolfe Cox)[やぶちゃん注:マリアン・ロールフ・コックス (一八六〇年~一九一六年)はイギリスの民俗学者で、このシンデレラ伝承の研究家として知られる。]の考証によると、この説話は、ヨーロッパと近東で、合計、三四五種の大同小異の伝説がある。惜しいことに、この本はいま、さがすすべがない。ヨーロッパでもっとも流行した二種の伝説は、一七世紀(原文「七世紀」。十七世紀」の誤植であろう)のフランス人、ペロー Perrault の物語集と一九世紀のドイツ人、グリム Grimm 兄弟の説話集に見られる。グリムの伝説によると、この「掃灰娘」の Aschenbrödel, Aschen という名の意味は、「灰」であり、英語の Ashes である。アングロ・サクソン語 Aescen, サンスクリットの Asan である。もっとも面白いのは、中国語テキストである。その娘は、依然、葉限という名である。あきらかに Aschen あるいは、Asan の訳音である[やぶちゃん注:「葉限」は中国語カタカナ音写で「イエ・シィェン」である。]。通行の英語テキストは、フランス語テキストからの転訳である。そのなかで掃灰娘のはく鞋(くつ)は琉璃(ガラス)である。これはフランス語テキストでは、毛製の鞋(くつ)(Vair)で、イギリスの訳者が琉璃(verre)と誤認したからであろう。中国語テキストでは、金の履(くつ)というけれども、『毛のように軽く、石をふんでも音がしなかった』というから、多分、本来は、毛でつくったものなのであろう(揚憲益『零墨(れいぼく)新端』に収む。一九四七年二月、中華書局刊、上海)。

 ただ、楊憲益氏の指摘した、シンデレラの履いたくつが、ガラスか、それとも毛製のくつかという問題については、同氏の説明の仕方に疑問がある。シャルル・ぺロー(Charles Perrault(一六二八-一七〇三年)の説話集とは、hisutores ou contes du temps passé avec des moralities (in 1697) 、またの名、Contes de ma Mère Loya であるが、ペローの説話集(ペンギン叢書本)の英訳者G・ブレレトン氏 Geoffrey Brereton によると、シンデレーフ(ペローでは、フランス語風に、サンドリョンという)の履いたくつをガラス製としているのは、おびただしいシンデレラ説話のなかで、ペローとペロー以後の少数の版だけに見出されるという。最も古い版では、verre(ガラス)となっており、のちの版で、vair(白い毛皮)と改められているという。ガラスのくつに関しては、説話研究者の間で、かつてはげしい論争があったらしい。それは、別として、楊憲益氏の説明は、右の事実をとりちがえている。思うに、これは同氏の右論文執筆時期とかかわりがあるのかも知れない。同氏は、コックスの本は、「いま、さがすすべがない」という。動乱か、戦争による流亡の時期の執筆なのであろう。コックスの本とは、G・ブレレトン氏によると、つぎのとおりである――

 Marian Rolfe Coxs, Cinderella :Three Hundred and Forty-five Variants of Cinderellas, Catskin and Capo’ Rushes  (London. Folklore Society, 1893)

 なお、シンデレラ譚は、ペローのものの前には、イタリアのジアンバスティスタ・パジーレ Giambastista Basile(一五七五-ニ八三二年)の『ペンタメローネ』Pentamerone(1634‐6)に訳述されているという。くわしくは、つぎの英訳書の序説を見ていただきたい。

 Charles Perrault : Fairy Tales Translated with an Intoroduction by Geffrey Brereton (Penguin Books, 1957)

   《引用終了》]

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