只野真葛 むかしばなし (11)
○長庵ともだちに、門ならび、小倉勝之進樣といふ旗本衆の家來の子に、安太郞といひし人、有(あり)し。殊の外、「氣に入(いり)」にて、九ツのとしより、出入(でいり)はじめ、日々、あそびに來りし。司馬が息子の、もと、次郞こと、養純なりしが、いづれも、廿五のさかいにてなくなりしぞ、哀(あはれ)なる。長庵は、茶の湯、至極、好(このみ)にて有し。山城樣の御ひぞう弟子にて有し。
「すみなどは、三年も稽古して後(のち)ならでは、よくならぬものを、はじめより、よくする。」
とて、人にも御吹聽(ふいちやう)被ㇾ遊しとなり。
病中、御たづねなど、日ごとのやうにて、御膳下ばかり、いたゞきて有しとなり。
長庵なくなりし時、山城樣にても、殊の外、いたませられし、と、うかゞひし。
たかき、いやしき、しるとしれる人の、をしみ歎かぬはなかりし。
[やぶちゃん注:「小倉勝之進」不詳。
「司馬」不詳。
「養純」「8」に出た「養しゆん」と同一人物ではないか?
「山城樣」「山城守」で茶の湯好きの大名か旗本の隠居であろうが、不詳。
「すみなどは」炭の扱いなどは。
「御膳下」不詳。御膳の下にそっと判らぬように置く見舞金の一封のことか。
ばかり、いたゞきて有しとなり。]
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