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« 只野真葛 むかしばなし (17) | トップページ | 怪談老の杖卷之一 水虎かしらぬ »

2021/02/25

怪談老の杖卷之一 小島屋怪異に逢し話

 

   ○小島屋怪異に逢し話

 四ツ谷の通(とほり)に小島屋喜右衞門と云(いふ)人、麻布なる武家方へ鶉(うづら)を賣けるが、

「代物(だいもつ)不足なれば、屋敷にて渡すべし。」

といふに、喜右衞門、幸(さひはひ)、御近處迄、用事あれば、

「持參すべし。」

とて、鶉を持行(もてゆき)けるが、中の口の次に、八疊敷の間のある所に、

「爰にひかへをれ。」

とて、鶉をば、奧へもち行(ゆき)ぬ。

 座敷の體(てい)も普請前の家居と見へて、天井・疊の上に雨漏(あまもり)の痕(あと)、ところどころ、かびて、敷居・鴨居も、爰(ここ)かしこ、さがり、ふすまも破れたる家なり。

 鶉の代(しろ)も、小判にて拂ふ程なりしかば、喜右衞門、心の内に、

『殊の外、不勝手らしき家なるが、彼是、むづかしく云はずに、金子、渡さるればよきが。』

と、きづかひながら、たばこのみ居(ゐ)けり。

 しかるに、いつの間に來りたるともしらず、十(とを)ばかりの小僧、床(とこ)にかけありし紙表具の掛ものを、上へまきあぐる樣(やう)にしては、手をはなして、

「はらはら」

と落し、又は、まきあげ、いく度といふ事なく、したり。

 喜右衞門、心に、

『きのどくなる事かな。かけものなど損じて呵(しか)られなば、我等がわざにかづけんもしらず。』

と、目も放さで見て居けるが、あまりに堪《こらへ》[やぶちゃん注:底本は『こたへ』であるが、所持する版本のそれを採った。]かねて、

「さるわるあがきは、せぬものなり。いまに、掛もの損じ申べし。」

と、いひければ、かの小僧、ふり歸りて、

「だまつて居よ。」

と、云ひけるが、顏を見れば、眼(まなこ)、たゞ、ひとつありて、

「わつ。」

と、いふて、倒れ、氣を失ひけるを、屋敷の者ども、驚きて、駕(かご)にのせ、宿へ送り返し、鶉の代をば、あのかたより爲ㇾ持(もてなし)おこされ、そののちも、度々、使(つかひ)などおくりて、

「心よきや。」

など、懇(ねんごろ)に尋られける。

 その使の者の語りけるは、

「必ず、沙汰ばしし給ふな。こちの家には、一年の内には、四、五度づゝも、怪しき事あるなり。此春も、殿の居間に小き禿(かむろ)、なほり居て、菓子だんすの菓子を喰ひ居(をり)たりしを、奧方の見て、

『何者ぞ。』

と、いはれければ、

『だまつて居よ。』

と、いふて、消(きえ)てなくなりたりと、きけり。必(かならず)、だまつて居(をり)たまへ。なにも、あしき事はせぬ。」

と、語りぬ。

 喜右衞門は、廿日ほども、やみて、快氣し、其のちは、何もかはりたる沙汰なかりけり。

 其屋敷の名も聞(きき)しかど、よからぬ事なれば、憚(はばか)りてしるさず。

[やぶちゃん注:実は本作は既に一度、『柴田宵曲 妖異博物館 「一つ目小僧」』の注で同じ底本で電子化しているが、今回、一からやり直した。柴田は本篇をかなり上手く現代語訳した後で私の溺愛する岡本綺堂の「半七捕物帳」の中の一篇「一つ目小僧」にも触れ、また、先般電子化したばかりの「怪談登志男 七、老醫妖古狸」も挙げ、昨年私が電子化注した「萬世百物語卷之二 五、一眼一足の化生」も紹介(但し、書名を誤っている)されているから、「一つ目小僧」好きにははなはだ魅力のあるものである。未読の方は、かなり面白いので、一読されたい。個人的には、「柴田宵曲 妖異博物館」の冒頭に出る「化物振舞」実録物である出雲松江藩の第七代藩主松平治郷(はるさと)がやらかした話が絶品で、松浦静山の「甲子夜話 卷五十一」の「貧醫思はず侯第に招かる事」が超お薦めである。リンク先では原話を私が電子化してある。どうぞ!

「四ツ谷の通」江戸時代の「四ツ谷」は現在の四谷見附から新宿三丁目まで「新宿通り」を真ん中に南北に広がった地域(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。南に見える「六本木ヒルズ」附近が現在の「麻布」である。

「小島屋喜右衞門」不詳。

「鶉」キジ目キジ科ウズラ属ウズラ Coturnix japonica 。ている。本邦では古来、歌にも詠まれ親しまれてきた。ペットとしての飼育は室町時代には籠を用いて行われており、江戸時代には武士の間で、鳴き声を競い合う「鶉合わせ」が行われ、慶長(一五九六年~一六一五年)から寛永(一六二四年~一六四五年:間には元和(げんな)が挟まる)をピークとしつつ、近代の大正時代まで行われていた。本種が古くから好まれ理由には、その鳴き声の「聞きなし」として「御吉兆」などがあったことにもよる。博物誌など、詳しくは私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 鶉 (ウズラ)」を参照されたい。ここ小判で買うほどの高値(こうじき)であるのは、そうした江戸時代の奇妙な流行りが背景があることを知っておく必要がある。木賊(とくさ)であるとか、金魚であるとか、ともかくも、江戸では妙なもの(私にとっては)が流行ったのである。

「代物」代金。

「普請前」改修前。或いはこの屋敷は現在の持ち主のものではなかったものを、新たに買ったものであるのかも知れない。にしても、鶉は大枚払うが、このばたばたをば、まず直さないというのは、ろくな武家ではあるまい。そういう因果者のところにこそ、確かに妖異は好んで巣食うものなのである。

「きのどくなる」この「氣の毒」は「自分にとって困ってしまうこと・迷惑」の意。

「呵られなば」叱られたりしては。

「わるあがき」悪戯(いたずら)。

「あのかたより」あの鶉を飼った御武家方より。

「沙汰ばしし給ふな」の「ばし」は副助詞で、係助詞「は」に副助詞「し」の付いた「はし」の転じたもの。上の語をとり立てて強調する意を表わす。禁止・命令などの文中に用いられることが多い。

「禿(かむろ)」本来は「かぶろ」。髪の末を切り揃えて結ばずに垂らした、今の「おかっぱ」に似た髪型をした子供。少女を指すことが多く、江戸時代には別に、遊里で太夫(たゆう)などの上級遊女に仕える見習いの少女。七、八歳から十三、四歳ぐらいまでで、その後は遊女になった者を狭義に指した。ここは普通に年少の少女の意でよい。

「なほり居て」「直り居りて」。きちんと正座して座ってそこにおり。

「菓子だんす」「菓子簞笥」。衣装簞笥に似せて小形に作り、漆などを塗ったり、螺鈿細工を施したりした高級な菓子入れ。手箱のように小さいから、禿が座って引き出して菓子を食うというシークエンスには何の問題もない。

「必、だまつて居たまへ。なにも、あしき事はせぬ」前者は、武家であるから化け物屋敷と噂されては面目が立たなくからであり、後者は、過度に怯える喜右衛門を安心させるための配慮である。事実、怪異は数々出来しても、その後には、別段、続く怪異や祟り・変事はなかったのであろう。実際、喜右衛門は快癒して後、やはり何事も起こらなかったのだから。されば、家にとり憑いた怨霊の類いではなく、狐狸のそれと考えてよかろうか。いやいや! 松平治郷の例もある。或いは、この鶉狂いの武家の主人が変態で、かく人を驚かすのが好きな変態でなかったとは言えまいよ。今だって、旧来の遊園施設の「お化け屋敷」は滅んでいないし、ゴースト・スポットを好んで訪れる連中も世界中にゴマンといるじゃないか。]

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