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2021/02/25

怪談老の杖卷之一 紺屋何某が夢

 

   ○紺屋何某が夢

 江戶赤坂傳馬町に、京紺屋なにがしといふ者、弟子一人に、夫婦にてくらしける。自分は藍瓶(あゐがめ)にかゝり、弟子は豆をひき、女房は、しいしをはりなど、いとまなくかせぐをのこ有(あり)。

[やぶちゃん注:「赤坂傳馬町」現在の東京都港区元赤坂一丁目内にあった旧町名(グーグル・マップ・データ)。由来と旧町名の対応された地図のある港区赤坂地区総合支所作製の「赤坂地区旧町名由来板」PDF)も参照されたい。

「豆をひき」藍染めの初期工程の一つに「呉入(ごい)れ」といって、大豆を絞った液で引き染めすることで、糊の表面を補強するとともにに藍の染付をよくする作業がある。秩父の「齋藤染物店」公式サイトの「製作工程」で確認した。

「しいしをはり」上記のページに次の工程として「伸子がけ(しんしがけ)」がある。「伸子」は「籡」とも書き、読みは「しいし」「しし」とも呼ぶ。布の染色や洗い張りの際に用いる両端に針の附いた竹製の細い串。竹の弾力を利用して布幅を張り伸ばすように、布の両縁に跨らせて刺し留める器具。古くは串の両端を細く尖らせて用いた。]

 十一月ごろの事なり。外より來れる手間取[やぶちゃん注:手間賃を貰って雇われている通いの使用人。]共は、おのが宿々へ歸り、でつちは釜の前に居眠(ゐねむる)まゝに、女房、ふとんをかけ、火などけし、一人のおさなきものにしゝなどやりて[やぶちゃん注:「しゝ」は小便の幼児語。おしっこをさせて。]、しほたう[やぶちゃん注:底本は右にママ傍注。思うに「しをへた」(仕終へた)「しまふた」(仕舞ふた)という意味の口語表現の写し取りを誤ったものであろう。]と、たすき、前だれときて、添乳のまゝに寐入りぬ。亭主は染ものまきたて、あすの細工の手配り、帳面のしらべなどして、九ツ過[やぶちゃん注:午前零時過ぎ。]にやすみけるが、暫くありて、さもくるしき聲にてうめきけるを、女房、ゆりおこして、

「いかに、恐ろしき夢にても見給ひたるや。」

といふに、心づきて、

「扨も、恐ろしや。」

と、色靑ざめ、額に汗をくみ流して語るやう、

「四ツ谷の得意衆まで行て歸るとて、紀伊の國坂の上にて、侍に逢しが、

『きみあしき男かな。』

とおもふうち、刀を引ぬきて追かけしまゝに、

『命かぎりに逃(にげ)ん。』

として、おもはず、おそはれたり。やれやれ、夢にて、ありがたや。誠の事ならば、妻子ども、長き別れなるべし。」

と、わかしざましの茶などのむで、むね、なでおろし居(ゐ)る處に、門の戶を、

「ほとほと」

と、たゝく音するを、

「今頃に何人(なんぴと)ぞ。」

と、とがとが敷(しく)とがめければ、

「いや、往來の者なるが、御家内に、あやしき事はなく候や。火の用心にかゝる事ゆゑ、見すぐしがたく、告知(つげし)らせ候。」

と、いひけるに、亭主も、いよいよ恐ろしけれど、

『戶はしめて、貫(くわん)の木をさしければ、きづかひ無し。』[やぶちゃん注:「ければ」は既にちゃんとそうして「あるので」の意。]

と、さしあしして、すき合より覗きみれば、夢のうちに、我を追かけし侍なり。

 あやしさ、いはんかたなく、

「何事にて候。」

と尋けれぱ、

「われら、きの國坂の上より、ちやわんほどの火の玉を見つけて、あまりあやしく候間、切割(きりわら)んと存(ぞんじ)、刀をぬきけれぱ、此玉、人などの逃(にぐ)るごとく、坂をころびおちて、大路をまろび、此家の戶の間(あひだ)より、内へ入り候ひぬ。心得ずながら、行過(ゆきすぎ)候が、時分がら、火事にてもありては、外々(ほかほか)の難儀なるべしと、屆け置(おき)候なり、かはる事なくば、其分なり、。心をつけられよ。斷申(ことわりまうし)たるぞ。」

と云ひすてゝゆき、四、五間[やぶちゃん注:七~九メートルほど。]も行過て、聲よく、歌などうたひて、さりぬ。

「扨は。わが魂のうかれ出たるを、火の玉とみて、追はれし物ならん。あやぶかりし身の上かな。」

と、夫婦ともに神棚など拜して、その夜は日待(ひまち)同前に夜を明(あか)しぬ。

 夢は、晝のおもひ、夜の夢なれば、さる事あるべき道理はあるまじと思へど、天下の事、ことごとく理(り)を以て、はかりがたき事、此類(たぐひ)なり。是はうける事にあらず。しかも、いと近きもの語りなり。

[やぶちゃん注:最終部は少し意味をとり難い。「夢というものは、当人が昼の覚醒時に感じたことが、夜の夢となって現れるに過ぎないから、そのような怪異が起こったこととの因果関係はあるはずがあるまいとは思われるが、この世に起ることは、総てが論理的に考察し得、説明出来るものではないという事実こそ、こうした事例を物語るものである。されば、そうした怪異を理路整然と解釈することは受け入れられるものではない」という意味であろうととっておく。

 さても本篇は江戸市街の、筆者の今現に書いている折りの直近の怪異譚と言うことから、典型的なアーバン・レジェンド(都市伝説)であって、しかも、その怪異出来のロケーションが「紀伊の國坂」(グーグル・マップ・データ)であって、まさに「小泉八雲 貉 (戸川明三訳) 附・原拠「百物語」第三十三席(御山苔松・話)」(リンク先は私の原拠附きの電子化注)で知られた強力なゴースト・スポットであることからも、民俗社会的には定番とも言える話ではある(但し、何らの新味もなく、ちょっとしょぼいのが残念であるが)。なお、先行する私の『柴田宵曲 續妖異博物館 「ノツペラポウ」 附 小泉八雲「貉」原文+戸田明三(正字正仮名訳)』では、小泉八雲の原文も電子化してあるので参照されたい。]

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