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2021/02/25

只野真葛 むかしばなし (17)

 

 父樣には十九迄、惣髮(そうはつ)にて有しとなり。御年若のときは、すぐれし美男にて有しとなり。むかし、長井家にひさしくつとめし「かぢ」といふ女、たへず[やぶちゃん注:ママ。]、氣嫌うかゞひにも上(あが)り、母樣御產などの時は、よとぎなどにもきたりしが、女共として、いつものはなしに、

「こちのだんな樣、おわかい時は役者の樣にて有し。麹町へ御いで被ㇾ成ると、近所の御孃樣がたは、『役者が來た』とて、かけだして御覽被ㇾ成し。今は、一向前(いつかうまへ)の人のやうにおなり被ㇾ成し。」

といふを、そのかみは久しきもの、『をかしきはなしよ』など、おもゑて有しが、今おもへ[やぶちゃん注:ママ。]いだせば、『それも、さなきだちのさまよ』と、書(かき)おくなり。

[やぶちゃん注:「惣髮」「總髮」とも書く。男子の髪形の一つで、月代(さかやき)を剃らずに髪を全体に伸ばし、頭頂で後ろ向きに束ねたもの。束ねずに後ろへなでつけて垂らしたものもかく呼ぶ。江戸時代には医者・儒者・山伏などが多く結った。

「長井家」父の実家。既に述べたが、真葛の父工藤周庵(平助)は紀州藩江戸詰医師長井大庵の三男であったが、工藤家に養子に入ったのである。

「一向前」全くの御成人の普通の男性の謂い。

「久しきもの」長いこと。

「さなきだち」「仙台叢書」も「日本庶民生活史料集成」も『をさなきだち』とする。「幼き立ち」で「幼い顔立ち」「美少年」のことで腑に落ちる。但し、絶対にそうだとは言わない。「さなきだにのさまよ」「然なきだにの樣よ」、「そうでなくてさえ美少年であられたのだなあ」という誤判読の可能性も排除出来ないからである。私は無心に最初に読んだ時はそう感じたからでもある。]

 

 工藤ぢゞ樣の敎へかたは、きびしきこと、いふばかりなし。父樣、養子に御いでがけ、

「書物は、よみしや。」

と、たづねられしに、里にては末の子にて御ひぞうばかり被ㇾ成し故、

「いまだ、まねばず。」

と御こたへ被ㇾ成しに、

「其(そこ)ほどになるもの、少しよませれば、よいことを。さあらば、『大學』、もて、こよ。」

とて、とりよせ、序(じよ)より終(をはり)まで、三べん、をしへて、

「あすまでに、よく復されよ。」

とて御出勤なり。

 はじめて四角な字をよみしに、「大學」一册を、たゞ、三べんにては、一字もくだらず、弟子に宇引をひかへさせて、御膳も上(あが)らず、夜も、やすまぬほどにして、折々、書をよみながら、むすびなど上りて、やうやう、一晝夜によまるゝ樣(やう)に御おぼし、明朝、持(もち)いでゝ御よみ被ㇾ成ば、

「よし。さあらば、『論語』。」

とて、又、三べんにて御出勤、日々、前のごとくにして御よみ、「四書」を十日に御しまひ、「五經」もおなじ敎へる樣(やう)被ㇾ成(なされ)、

「二、三月のうちには、立(たち)まわる書は、みな、よめる樣に成し。」

と、御はなしなり。

[やぶちゃん注:「養子に御いでがけ」養子に来られたばかりの折り。父平助が丈庵の養子となったのは延享三(一七四六)年頃で、未だ満十二歳前後であった。

「まねばず」「學ばず」ではなく、意味の理解を条件としない素読の「眞似ばず」であろう。

と御こたへ被ㇾ成しに、

「一字もくだらず」意味を理解することはおろか、漢字一字をも読むことさえも出来ず。

「立まわる書」周囲に置かれてあった書物。]

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