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2021/02/27

明恵上人夢記 88

 

88

一、同五月上旬の比(ころ)、靈鰻菩薩(りやうまんぼさつ)の飛び騰(のぼ)れる形の事を議(はか)る間(あひだ)、日中、假(かり)に眠る【此の時、此の事を心に懸けず。】。忽然に夢に云はく、一つの淸く澄める池、有り。其の中より鰻(うなぎ)の如き魚の跳り擧がる【長さ一尺餘り也。】。其の形、頭・尾、倶に垂(た)る。其の形、★【此(かく)の如く也。】。是、卽ち、靈鰻之應驗(わうげん)也。

 

88

 

[やぶちゃん注:「★」の部分に入る絵を、底本よりトリミングして上に掲げた。何年かは不詳。「84」夢の私の注の冒頭を参照されたい。「【此の時、此も事を心に懸けず。】」の部分は底本では二行割注ではなく、ポイント落ちで一行で本文に入れ込んである。添え書きという感じでもない。凡例に説明もない。思うに、本文を書いている最中に、明らかに字を小さくして注記してあるもの、ということであろう。

「靈鰻菩薩」石井修道氏の論文「中国の五山十刹制度の基礎的研究㈠」PDF。『駒澤大學佛敎學部論集』第十三号(昭和五七(一九八二)年十月発行)所収)の「九二」ページから載る「〔資料 一〕 大唐禅刹位次」の中に(文中の「鄮」(音「ボウ」)の(へん)は底本では「貿」。前者は異体字なので問題ない。底本では頭の<第五>が本文一字目から書かれ、二行目以降は総て一字下げである)、

   《引用開始》

<第五>阿育王山。鄮山廣利禅寺。明州の慶元府にあり。玉几蜂、玉几亭、妙喜泉<張九成幷び大慧禅師、泉の銘を作す>、無畏堂、鄮峯、舎利道場<又た妙勝之殿と云う>、霊鰻池<又た(霊鰻を)聖井魚と云う>あり。開山は宜密素禅師、第二は初禅師、第三は(常)坦禅師、第四は(澄)逸禅師、第五は大覺(懷)璉禅師、第六は宝鑑(法達)禅師、第七は正覚禅師なり<三十三代は無準和尚なり。入唐記>。

霊鰻菩薩、護鰻菩薩は、育王の土地神にして、仏舎利を護る。云云。育王寺の井に霊鰻有り、即ち大現修理菩薩なり。東晋の時、中印土の宝掌禅師は、東の方、震旦に游び、此に戾止[やぶちゃん注:「れいし」。戻り留まる。]し、世に住すること一千七十二年なり。唐の咸亨中に云りて[やぶちゃん注:ママ。「至りて」の誤字ではないか?]示寂す。云云。蒲室疏序。

   《引用終了》

私は当初、鰻というと、本邦では虚空蔵菩薩と関係が深いと言われているから、その異名かと思ったが、これを見るに、そうではなく、浙江省寧波にある阿育王山(あいくおうざん:浙江省寧波の阿育王禅寺。西晉の武帝の二八一年に西晋の劉薩訶(りゅうさっか)が釈迦入滅の百年(または二百年)後の古代インドで仏教を守護した阿育王(アショーカ王)の舎利塔の古塔を発見して建立した地で、宋代には広利寺と称して禅宗五山の第五となった。私は専ら「北條九代記 宋人陳和卿實朝卿に謁す 付 相模守諌言 竝 唐船を造る」の話を想起する。私の現代語訳もあるでよ!)の土地神であった。さらに、「何故、こんなことを明恵が弟子たちと議論するのか?」という理由も判った。サイト「東北大学東北アジア研究センター磯部研究室」の「~高山寺五種目録室町期文書 一巻~」に『明恵の夢日記には鰻が登場してその図解まであるが、これも宋国より輸入した『明州阿育山如来舎利塔伝并護塔霊鰻菩薩伝』という本を読んでいた印象が、彼の夢の世界に再現したものと見られる。そのような環境を理解して始めて、明恵の傍らに木彫の小犬や鹿などの動物キャラクターがあったことが素直に理解できるのではないか』と述べておられるので氷解した。なお、ウィキの「大権修利菩薩」には、この大権修利菩薩(だいげんしゅりぼさつ)が阿育王山の鎮守であったと書かれてある。但し、「霊鰻」の名は全くなく、両者の関係はどうなってるのかさっぱり解らないのだが、海の守護者であるところなんぞは、鰻っぽい感じはする。一応、引いておく。大権修利菩薩は『禅宗、特に曹洞宗寺院で尊重され祀られる尊格である。伽藍神の』一『つとされる。したがって、大権修利は菩薩という尊号にはなっているものの、護法善神の一尊と見る向きもある』。『大権は「だいごん」とも読み、大権菩薩と略称される。なお、修利を修理と書かれる場合もあるが、本来これは誤りとされる。多くの像容は右手を額にあてて遠くを見る姿勢で表現され、身体には唐時代の帝王の服装をまとっている』。『もと』は『唐の阿育王山の鎮守であった。阿育王山は東海に臨み海を渡る人々が、毎度山を望んで航海の安全を祈ったというが、その右手をもって額にかざすのは遥かにその船を望んでこれを保護する意があった』。「西遊記」の『古い形を残す元曲雑劇である、楊景賢の』「西遊記雑劇」では、『伽藍を守護する役割として知られる華光神と韋駄天と共に、この大権修利菩薩が登場する』。『一説に』、一二七七年に『道元が唐より帰国する際、姿を潜(ひそ)めて随って日本に来朝して法を護ると誓った招宝七郎と一体であると伝えられる。この招宝七郎の名は』「水滸伝」にも出るとある。「育王録」に『「僧問。大権菩薩因甚以手加頞。師云。行船全在樞梢人」とあることから、曹洞宗の寺院が招宝七郎と称して山門守護の神とするものをこれを同体、あるいは本地垂迹と見たてて、招宝七郎大権修理菩薩として祀る。しかし、その出所があまり明らかでない』。『この点について、臨済宗の無著道忠』(むじゃくどうちゅう 江戸後期の妙心寺派の学僧)『は、修利を修理とするのは間違いと指摘した上で「伝説では大権修利はインドの阿育王の郎子であり、阿育王の建てた舎利塔を守るものと言われ、その神力によって中国明州の招宝山に来たりて、手を額にかざし四百州を回望する、また阿育王寺でこれを祀り土地神とした。各寺院がこれに倣ってこの尊神を祀ることになった」と述べている。さらに、招宝七郎とは道元和尚が帰国する際に、白蛇に化けて随伴し来たった護法善神で』(ここにはちょっと不審があるので略した)、『大権修利と同体であると言う者も多いが疑わしい、と疑義を呈している』。『また織田得能』(万延元(一八六〇)年~明治四四(一九一一)年:浄土真宗の学僧。東京浅草松清町の宗恩寺に入り、没するまで、生涯をかけて「仏教大辞典」(全一巻。死後の大正六(一九一七)年刊行された)を完成した。『も、無著の説を引き継ぎ、自身が編集した』『辞典で、大権修利と招宝七郎を一体とすることは、たやすく信じるべきではなく、招宝とは寧波府定海縣にある山の名称である、と記述している』とある。

「此の時、此も事を心に懸けず」どうも気になる意味と書き方である。少なくとも直前まで霊鰻菩薩のことを語り合っていたのに、わざわざ霊鰻菩薩のことを気にかけることもなく、急速に深い眠りに落ちたということか。しかしおかしな言い方だ。明恵は夢解釈をする点から見ても、人間の中に無意識の心理パートがあることは気づいていたと考えねばならぬ。でなくては河合隼雄の言うような予知夢を生じて、それが確かに自分の将来の変化として実現されるという認識は持てないはずだからである。明恵が予知夢を外部の超自然的刺激から惹起すると考えていたならば、そもそもが夢は明恵の意識外に完全に外化されてしまうことになり、明恵自身が夢記述への関心を持たないはずだと私は考えるからである。

「應驗」「おうけん」と清音でも読む。ここは神仏などが示現(じげん)する不思議な働きで、霊験に同じい。]

□やぶちゃん現代語訳

88

 同じ年の五月上旬の頃、霊鰻菩薩(りょうまんぼさつ)の飛び騰(のぼ)れる形態のことについて弟子たちと議論をした。その途中、日中であったが、少しばかり眠って――なお、この仮眠時には、私は全く霊鰻菩薩のことを気にかけていなかったことを明言しておく――忽然と――こんな、夢を見た――

 一つの清く澄んでいる池がある。

 その中から――鰻(うなぎ)のごとき魚が――跳り挙がった【長さは一尺あまりであった。】。その形は、頭も、尾も、ともに垂れている。その形は、★【こんな感じの様態である。】。

 私は、この夢は、即ち、確かな、霊鰻菩薩の応現と断ずるものである。

 

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