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2021/02/20

譚海 卷之三 鹿飛口干揚り(雨乞の事)

 

〇一とせ京都旱魃(かんばつ)のありしに、近江の湖水減じ、鹿飛(ししとび)の落口(おちぐち)干(ひ)あがりて、水底の石悉く顯れたりしに、種々の奇石見え、見物のもの目を驚しける、振古(しんこ)以來珍敷(めづらしき)事也といへり。同時(おなじとき)禁裏にて雨乞せさせ給ふ事あり。其式は北山八瀨(やせ)の村より嫁せざる十五六歳の女子を壹人召れ、五つ衣(ぎぬ)緋(ひ)の袴(はかま)等を借し下され、官女の衣體(いたい)に仕立られ、女子沐浴潔齋して此服を着し、三重(みへ)がさねの扇子をもち、高き臺の上に座せしめらる、其臺は白木にてこしらへ、高さ壹丈餘なる物にて四楹に笹竹をたて、其竹に院中より始め、堂上公卿の雨乞に詠ぜられたる和歌を、短册に書(かか)れたるを結(ゆ)ひ付(つけ)、堂上の雜掌かはるがはる其下に番をする事也。扨(さて)潔齋の日限(にちげん)終りて、女子を官服のまゝ手輿(てごし)にうつし、大の字山へかき行也。供には雜掌(ざつしやう)殘りなく倶し、炎天に蓑笠を着て行列をとゝのへ、晚景に出京し、彼(かの)山に行登(ゆきのぼ)りて、神泉苑の水を硯にうつし墨にすり、女子に書(かか)せたる呪文を谷に投入(なげいれ)て歸路に赴く時、やがて一天かきくもり、大雨車軸を流す如く降(ふり)たりとぞ。其日は河原表(かはらおもて)へ茶店を構へ、洛中の貴賤群集して見物せしが、歸路は防ぎあへぬ程の雨に逢(あひ)て迷惑して歸りたり。翌日晴たるよし、不思議成(なる)事也。一說には大文字山にうはばみ住(すみ)て有(あり)、それに請雨の法をおこなはるゝ事也といへり。

[やぶちゃん注:「鹿飛」琵琶湖から南流した瀬田川が西へ折れ曲がる、現在の滋賀県大津市石山南郷町に瀬田川の奇岩の景勝地の一つである鹿跳渓谷(グーグル・マップ・データ航空写真。以下同じ)がある(サイド・パネルの、例えば、この写真を見ると、水量が減じた時は、半端なく凄いことになる感じが判る)。MY氏のサイト「WALK & TALK」の「瀬田川(鹿跳渓谷)」によれば、ここは両岸が迫って川幅が狭まり、水の流れも急に激しくなるとあるから、「落口(おちぐち)」という謂い方が腑に落ちる。『瀬田川右岸の立木山を七百数段の石段で登ったところに「立木(たちき)』『観音」がある』が、これは、その昔、空海が『瀬田川の対岸に光り輝く霊木を発見し』たものの、『瀬田川の急流のため』に『渡れないでいると』、『突然』、『白い鹿が現れて』、『空海を背中に乗せて渡してくれ』、『霊木の前まで来ると』、『白い鹿は観世音菩薩に姿を変え』、『感激した空海』は、『立木に等身大の観音像を刻んだといわれて』おり、『鹿跳』『の名もここから来ている』とある。ここには鹿跳橋(ししとびばし)もあるが、この橋の初代は明治二八(一八九五)年架橋で当時はない。

「振古」大昔。太古。

「北山八瀨(やせ)の村」京都府京都市左京区八瀬野瀬町(やせのやせちょう)附近。ここは例えば、「八瀬童子」(やせどうじ/はせどうじ:この付近の旧山城国愛宕郡小野郷八瀬庄の住人で、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(かよちょう:輿を担ぐ役)を務め、室町以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼の子孫とされ、寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らした所謂「大童(おおわらわ)」の体(てい)を成し、履物も草履をはいた子供のような姿であったため「童子」と呼ばれた)の出身地でもあり、一種の呪的な選ばれた民の村落共同体であった。

「五つ衣(ぎぬ)」女房装束で、表衣(うわぎ)と単(ひとえ)との間に五枚の袿(うちき)を重ねて着た装束を言う。「五つ重(かさ)ね」。

「三重(みへ)がさねの扇子」「三重襲の扇(あふぎ)」が正しい。檜扇 (ひおうぎ) の板数八枚を一組とし、それを三つ重ねたもの。女房が用いた。想像し難いが、かなり大きな相応の重さを持ったものである。

「四楹」「楹」は漢音では「エイ」、呉音では「ヤウ(ヨウ)」で意味は「柱」である。一応、「しえい」と読んでおく。台の四隅に立てたもの。所謂、結界を示すものである。

「大の字山」京の東山にある如意ヶ嶽(山頂は京都市左京区粟田口如意ヶ嶽町。標高四百七十二メートル)の西の峰の支峰大文字山(だいもんじやま:標高四百六十五・四メートル)。八月十六日に行われる京の伝統行事「五山の送り火」の「大文字」として知られる。現在の地理学上では全く別個の山である(国土地理院図参照但し、古くから現代に至るまで、如意ヶ嶽と大文字山は混同され続けており、津村もここでそれを同一のものとして記述している可能性を否定出来ない(江戸時代の随筆には両者を混同した記載が有意に見られるからである)。また、如意ヶ嶽の東には「雨神社」があり、ここは雨社大神(「あめのやしろおおがみ」か? ネット上に読みが出ない)があり、ウィキの「如意ヶ嶽」によれば、『かつてはここに赤龍社、龍王社、龍王祠(りゅうおうのやしろ)、龍王宮などと呼ばれる社があり、それを継ぐもの。大山祇命などが祀られている、雨乞いのための社』とし、「京都坊目誌」によれば岡崎神社の末社で、『かつて如意寺の鎮守社であった。地図上では大文字山頂と如意ヶ嶽山頂の間に位置する』。「昭和京都名所図会」によれば』、大正六(一九一七)年に一度、『岡崎神社に遷されたが、その後再興。如意越の中程より北に分け入ったところにあり』、七月十六日に『例祭が行われているという。かつては周囲に大きな池が有ったが、現在は小さな池と、かつての堤などが残るのみである。雨神社と赤龍社の同定が、如意寺発掘調査の足がかりの一つとなった』とある。この「如意寺」というのは山岳寺院でよく判っていないが、同寺由来の「楼門の滝」(「楼門の瀑布」「如意滝」とも。高さ約十メートル)もあり、明らかに大文字山から離れた如意ヶ嶽方向にこそ、雨乞のキメとなる場所があることからも、私は現行の「大文字山」ではないのではないかと感じられるのである。

「神泉苑」現在は京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。季節を問わず、また、如何なる日照りの年でも涸れることがないとされた神泉苑の池には竜神(善女竜王)が住むとされ、天長元(八二四)年に西寺の守敏と東寺の空海が「祈雨の法」を競って、天竺の無熱池から善女竜王を勧請し、空海が勝利したという話はとみに知られる。また、空海以降も真言宗の僧による雨乞いが何度も行われている(京に疎い私でさえも神泉苑と言えば雨乞と反応する)。]

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