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2021/02/07

芥川龍之介書簡抄12 / 明治四五・大正元(一九一二)年書簡より(5) 山本喜譽司宛(「僕のELGARのDESIGN」とキャプションとする自筆絵葉書)

 

大正元(一九一二)年十二月六日・牛込區赤城元町廿八竹内樣方 山本喜譽司樣・「龍」(自筆絵葉書)

 

Elgers-design

 

僧房夢[やぶちゃん注:「さうばうむ」。]をみて悲觀しちまいました 葛城文子の拙劣なのは殆御話しにも何もなりません ユンケルの演奏會は面白う御座んした 土耳古の毛氈のやうに美しいガーデや わすれな草の花のやうに幽艷なグリーヒや 靑と銀とのタペストリのやうにしみじみとしたシポーアがユンケル氏のあの指揮杖のさきから寶石のやうに流れ出したときの事を考へると今でもうれしいやうな氣がします

試瞼が始まるので忙いでせう[やぶちゃん注:ママ。]

同じやうな事をしてイラシヨナルな其日其日を送つてゐるのが退屈で仕方がありません さようなら

    十二月一日

  投函遲れて今日に及び候 六日

 

[やぶちゃん注:行末改行の一部に字空けを施した。画像は所持する「もうひとりの芥川龍之介展」の冊子「もうひとりの芥川龍之介」(一九九二年産經新聞社発行)のカラー版をトリミングした。キャプションは(示したものは、下部がごく僅かだが、切れている)、

僕のELGARのDESIGN:

となっている。「ELGAR」は以下の「僧房夢」(ドイツの劇作家ゲアハルト・ハウプトマン(Gerhart Hauptmann  一八六二年~一九四六年)が一九〇五年に書いた一幕物(全六場)の夢幻劇「エルガ」(Elga )を森鷗外が明治四二(一九〇九)年の一月~三月の雑誌『歌舞伎』に翻訳連載した際の邦題)の原題の綴りを誤ったものであろう。但し、鷗外は重要なヒロイン役(ネタバレもあり、説明しにくいが、全体は一人の騎士が陰気な僧院に泊まって奇体な夢を見るという入れ子構造になっている)である伯爵夫人の名を「エルガア」と訳しているからして、龍之介のせいとは言い難い。なお、この「僧房夢」という外題は上演記録をネットで探すと、「さうぼうのゆめ」と読んだり、「僧坊の夢」とあったりして一定しない。但し、所持する「鷗外選集」では『そうばうむ』である。以上の自筆画はその「僧房夢」の舞台の最初と最後の僧院のロケーション・イメージ(舞台大道具というよりも、映画的なセットの感じ)をデザインしたものの謂いである。

「葛城文子」(明治一一(一八七八)年~昭和二〇(一九四五)年)は女優。本名は増田ユキ。旧制東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)を卒業し、満二十七歳を迎える明治三八(一九〇五)年から文士劇の舞台に上がった。井上正夫の主宰する東京有楽町の「有楽座」での女優劇や、井上が製作した連鎖劇等に出演した。この後の大正六(一九一七)年に井上が主演・監督する無声映画「毒草」に出演し、映画界にデビューした。これは一般に「日本の映画女優第一号」と呼ばれた花柳はるみよりも二年早く、彼女が最初の映画女優とされるべきである(以上は彼女のウィキに拠った)。彼女が出演した舞台劇「僧房夢」の記録は見出せなかったが、鷗外の発表から二年も経っているから、何ら、不思議はない。新全集の宮坂年譜では、本書簡を根拠としてと思われるが、直前の十一月二十九日或いは三十日に、『有楽座でハウプトマン作・森鷗外訳「僧房夢」を見る』とあるので、新全集では当該公演は検証済みであるようだ。

「ユンケルの演奏會」新全集の宮坂年譜に、この十二月一日に東京音楽学校講師のユンケル演奏会に出かけたとある。彼のウィキによれば、アウグスト・ユンケル(August Junker 一八六八年或いは一八七〇年~昭和一九(一九四四)年東京)はドイツ出身で、アメリカと日本でも活動したヴァイオリニストにして指揮者。東京音楽学校の「お雇い外国人」としての音楽教師であった。『ケルン音楽院でヨーゼフ・ヨアヒムにヴァイオリンを師事』し、一八九〇年に『ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第一ヴァイオリン奏者として入団(後にコンサートマスターに昇格)』、一八九一年から一八九七年まで『渡米し、シカゴ交響楽団などでヴァイオリン奏者を務めた』。明治三二(一八九九)年に『来日し、東京音楽学校教師として』大正元(一九一二)年まで『ヴァイオリンと管弦楽の教育にあたり』、『多くの』著名な『音楽家を育てた』。翌年には『勲二等瑞宝章を受章』している。後に『アーヘン音楽大学教授、アーヘン室内交響楽団指揮者として活動の後』、昭和九(一九三四)年に再来日』して、『以後、武蔵野音楽学校教授となり』、『晩年まで指導に当たった』とある。

「土耳古」トルコ。

「毛氈」「まうせん(もうせん)」。

「ガーデ」デンマークの作曲家ニルス・ウィルヘルム・ゲーゼ(Niels Wilhelm Gade 一八一七年~一八九〇年:音写では「ガーゼ」或いは「ガーデ」ともなる)であろう。北欧諸国の音楽界の近代化に貢献した人物として知られる。

「グリーヒ」ノルウェーの作曲家エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg 一八四三年~一九〇七年)のことではないか? 語末の「g」が無声化して発音されるドイツ語読みの影響では「グリーク」と表記されることがあり、この表記に近似するからである。前のニルス・ゲーゼ(ガーデ)の影響を受けており、グリーグのピアノ作品集「抒情小曲集」の中には「ゲーゼ」(Gade ) という題する小品があるが、これは一八九三年に発表されたもので、作曲の三年前に没したゲーゼへの回想のために書かれた曲である(ウィキの「エドヴァルド・グリーグに拠った)。

「シポーア」ドイツの作曲家ルイ・シュポーア(Louis Spohr 一七八四年~一八五九年)か。ウィキの「ルイ・シュポーアによれば、『シュポーアは著名なヴァイオリニストで』も『あり、顎あての発明者であった。名指揮者として、最初に指揮棒を使い始め、アルファベットの大文字による練習番号を使い始めた最初の作曲家でもある』とある。以上は総て、私の推理に過ぎない。誤りとあれば、御教授あれかし。

「イラシヨナル」irrational。非合理的。

 なお、底本の岩波旧全集では十二月三十日附の小野八重三郎宛の自作漢詩を記した書簡が載るが、これは既に、私は「芥川龍之介漢詩全集 二」で書簡も電子化して注してあるので、ここでは省く。]

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