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2021/02/15

怪談登志男卷第四 二十、舩中の怪異


   二十、舩中(せんちう)の怪異(あやしひ)

Ayakasi

[やぶちゃん注:標題の「怪異」の読みはママ。見られたいが、「あやしい」とも読めなくもないが、名詞でないとおかしいので「あやしび」の濁点無表記ととっておく。因みに本文に出る「あやかし」では絶対にない。挿絵は底本の国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像をトリミングした。]

 

 「物は、皆、あたらしき、吉[やぶちゃん注:「よし」。]、唯(たゞ)、人は、古(ふり)たるのみぞ、宜(よろし)かりけり」とは、萬葉の歌とかや。げに、さる事なり。人は、つねに老(おい)たる人の差圖(さしづ)に隨へば、あやまり、すくなし。何程(なにほど)、「賢し」と、みづからも思ひ、他人も譽(ほむ)る人も、若きは、世變(へん)[やぶちゃん注:「せいへん」。]に馴(なれ)ず、つまづく事、おほし。これを、「老圃(らうほ)・老農(らふのふ)に問ふ」とて、其道々の事は、いやしき業(わさ)する者にも、謙(へりくたり)て、問ふが、よし。

 一歲[やぶちゃん注:「ひととせ」。ある年。]、長崎へ赴きし人の、歸りて語りしは、長州下の關より、豐前の内裏(たいり)へ、此間、一里が程の舩中にて、舩長(ふなおさ)の冨藏(とみそう)が物語せしは、

「『此所を乘通る舩に、「盛衰記(せいすいき)」・「平家物語」などの双紙(そうし)あれば、必[やぶちゃん注:「かならず」。]、其船に、難(なん)あり』。又、『古き物語など、語り慰(なくさ)む中に、若(もし)、元曆(けんりやく)・壽永(しゆゑい)のむかしを語り出せば[やぶちゃん注:「いだせば」。]、必、妖怪(あやかし)あり』とて、老て物馴(なれ)たる舩頭は、きびしく禁(いましむ)。」

とぞ。

 爰に、一とせ、西國方へ下る武士の、此所の磯に舩懸(かゝり)して、日も漸々(やうやう)、かたぶき、雨雲、催(もよ)ふし、心細きに、壹越調(こつてう)を出して、『長門(なかと)の國へもかたむきひかふと聞しかば、又、舩にとりのりて、いづくともなく、おし出す。心の内ぞ、哀なる、保元の春のはな、壽永の秋の紅葉とて、ちりぢりになり、うかぶ一葉の舟なれや、柳が浦の秋嵐の、追手がほなる跡の浪(なみ)、白鷺(さき)のむれ居る松見れば、源氏の旗をなびかす多勢かと、肝を消す』と、舷(はた)、叩(たたき)、うたひながら、海上を見やりたれば、沖の方より、波につれて、白々と、漂ふ物、有。

 幾等(いくら)ともなく、見へけるを、心を留て、能[やぶちゃん注:「よく」。]見れば、皆、是、女の首(くひ)ばかり。

 雪のかんばせ、みどりの髮、

「さつ」

と、ちらして、波間に亂し、目と、めを、見合[やぶちゃん注:「みあひ」。]、

「わつ」

と叫んびたるやう、おそろしく、あはれに、物凄き事、いふばかりなし。

 舩底に居たる人に、

「あれ、見給へや、あれ、あれ。」

と、いふうちに、皆々、波に打かくされて、跡には、白浪、のみ。

 夜、既に三更[やぶちゃん注:午後十一時又は午前零時からの二時間。]に及び、滿舩(まんせん)の淸夢(せいむ)、星河(せいか)を壓(おす)。

 夜あけて、此事を人々に語りしを、乘合たる老人、急に押留て、

「舩中にては、左樣の噂は、いわぬ物なり。」

とて、其後は此事、語り出ず、まして、平家の事ある謠(うたひ)・淨瑠璃等(とう)も堅く愼(つゝしみ)ければ、其後は、さして、怪しき事も見ず、つゝがなく、長崎におもむきけるとぞ。

 又、ある武士、主君の御供して、西國へ下向するとて、一の谷・須磨の邊より、日暮、風、替り、後(うしろ)の山風、吹落(ふきをち)て、舩板にひゞく波の鼓(つゝみ)に、夢も破れて漂ふ所に、見渡したる海上、拾町[やぶちゃん注:約一キロ九十一メートル。]もやあらん、此舩より先へ、大舩一艘、浮(うか)み見えたり。

 近く成時、挑灯(てうちん)[やぶちゃん注:漢字表記はママ。以下同じ。]の紋(もん)を見れば、主人の關(せき)舩なり。

「供(とも)舩の中にも、此舩は、先達て押(おす)べき手配(てくばり)なるに、今、本舩の後(あと)へ下るは、いかなる間違にや。」

と、上下、騷動し、水主(かこ)に聲をはげまし、しばらく挑灯を消し、

「何とぞして、主人の御座舩を漕(こぎ)ぬけばや。」

と、片帆(かたほ)に掛(かけ)て押(おす)程に、

「今は、さりとも、こぎぬけつらん。」

と見渡せば、件(くだん)の關舩、蝶(てう)・鳥(とり)などの舞(まふ)やうに、幽(かすか)に成ほど、先へ行。

 舩中、猶々、力を落し、

「追風も、汐(しほ)も、心の儘なり。いかゞして、此舩の、是程には、おくれたるぞ。」

と、手に汗(あせ)握りて、身をもだへたるを、舩頭、急度[やぶちゃん注:「きつと」。オノマトペイア的副詞で「即座に・キッ! と」。]、思ひ出し、小聲になりて、

「此海上には、『あやかし』と申[やぶちゃん注:「まうす」。]事、侍りて、樣々の形を顯(あらは)し、山を見せ、陸(くが)を見せ、舩となり、人とあらはれ、圍洲(いす)へ乘かけさせて、此[やぶちゃん注:「これ」。]、舩、損(そん)ぜんたくみにて、種々(しゆしゆ)の形の見ゆる事の候。殿の御紋の見へたる舩は、『怪(あやかし)』にて候はん。其證據には、波の立樣、潮[やぶちゃん注:「うしほ」。]の色、舩路(ぢ)にて候はず。各樣[やぶちゃん注:「おのおのさま」。皆さま。]、以後の御難には成まじくと奉ㇾ存間[やぶちゃん注:「ぞんじたてまつりさふらふあひだ」。]、しばらく、此御舩をば、湊(みなと)を目掛(かけ)て、着(つけ)申べし。夜のあけなん程、御見合[やぶちゃん注:「おみあはせ」。]有べし。」

といふに、人々、心付て、

「兎も角も、汝等(なんじら)、心得よ。」

と、舩頭も、乘人(のりて)も、漸(やうやう)、圍洲をまぬがれて、「阿古が崎」といふ浦ヘ、舩を付て[やぶちゃん注:「つけて」。]、東の空を詠居たれば[やぶちゃん注:「ながめゐたれば」。]、夜も、ほのぼのと、あけわたりぬ。

 斯(かく)ても、前後に關舩は見えず。

「乘出さんか、いかゞ。」

と評議したる時、はるか南に、殿の關舩、見へ來れり。

「扨こそ。宵に見しは、『怪(あやか)し』にてありけり。はやく心付て、危き難を遁(のが)れたり。」

と、舩頭に褒美して、是より、前後の備へをみださず、つゝがなく、主人の供して下りしとぞ。

 かゝる怪しき事、まゝあれば、ものなれたる人の言葉に從ひたるが、よし。

 舩中に限らず、万の事、若き人は、老人に聞合たるが[やぶちゃん注:「ききあはせたるが」。]、よろしきなり。己が才にほこり、老人を、あなどるべからず。

[やぶちゃん注:底本では「舩」は総て「船」であるが、原本が総て「舩」なのでそれで揃えた。

『「物は、皆、あたらしき、吉、唯(たゞ)、人は、古(ふり)たるのみぞ、宜か(よろし)りけり」とは、萬葉の歌とかや』「万葉集」巻第十「春の雜歌」の一首(一八八五番)。前の歌への応じたものと思われるので、一八八四番と並べて示す。

   *

 

    舊(ふ)りぬるを歎く

 冬過ぎて

  春の來たれば

    年月は

   新(あらた)れども

       人は舊りゆく

 

 物皆(ものみな)は

  新(あらた)しき吉(よ)し

    ただしくも

   人は舊りにし

       宜しかるべし

 

   *

「あらたし」は間違いではない。「あらたし」こそが「新しい」の意で、「あたらし」は「惜しい」の意である。後者も結局は語源的には「あらたし」の音位の転倒によって、平安時代に「あたらし」となり、それが主となってしまって現代語の「新しい」となったものである。なお、古語の「あたらし」の意味は「勿体ない」の意として、現在も「あたら、命を粗末にして」等の用法や、一部の方言強調語としての「あったら」として残っている。

「老圃(らうほ)・老農(らふのふ)に問ふ」「老圃」も「老農」も、「農事に熟練している人」「長く耕作に従事して経験の豊かな農夫」の意。一般には「稼(か)は老農に如かず、圃は老圃に如かず」で知られる。「稼」は「穀物」で、「圃」は「蔬菜を植えること」で、孰れも農事である。原拠は「論語」の「子路」で、

   *

樊遲請學稼、子曰、「吾不如老農。」。請學爲圃、曰、「吾不如老圃。」。樊遲出、子曰、「小人哉、樊須也。上好禮、民莫敢不敬。上好義、則民莫敢不服。上好信、則民莫敢不用情、夫如是、則四方之民襁負其子而至矣、焉用稼。」。

   *

 樊遲(はんち)、

「稼(か)を學ばん。」

と請ふ。子、曰はく、

「吾、老農に如かず。」

と。

「圃(ほ)を爲(つく)るを學ばん。」

と請ふ。曰はく、

「吾、老圃に如かず。」

 樊遲、出づ。

 子、曰はく、

「小人(せうじん)なるかな、樊須(はんしゆ)や。上(かみ)、禮を好まば、則ち、民、敢(あ)へて敬せざる莫(な)し。上、義を好まば、則ち、民、敢へて服さざる莫し。上、信を好まば、則ち、民、敢へて情を用ひざる莫し。夫れ、是くのごとくんば、則ち、四方の民は、其の子を襁(むつき)負おひ而して至らん。焉(いづくん)ぞ、稼を用ひんや。」

と。

   *

「百姓仕事なら年とった農夫に聞けば、一番よく判る」で、「直接にそのことに携わっている者が、その万事に最もよく通じていること」の喩え。「蛇の道は蛇」「餅は餅屋」に同じ。

「豐前の内裏(たいり)」「だいり」。旧豊前大里(おおさと)宿。現在の福岡県北九州市門司区大里本町附近(グーグル・マップ・データ)。古くは「柳」や「柳ヶ浦」と呼ばれていたが、平安時代から「内裏(だいり)」と呼ばれるようになった。江戸時代になって、朝廷から「異国族舟平定」の命を受けたため、時の藩主が「内裏という名の海に血を流すのは畏れ多い」として「大里」に書き改めたという。参勤交代の宿場として発展したが、幕末の内戦によって多くが焼失してしまい、現存するものは殆どない(以上は「門司区」公式サイト内のこちらの解説に拠った)。

「盛衰記(せいすいき)」私は個人的は「げんぺいじやうすいき」と読むことにしている。

「元曆(けんりやく)・壽永(しゆゑい)」年表的には「寿永」(じゅえい)が先。「養和」の後で「元暦」(げんりゃく)の前。一一八二年から一一八四年までの期間を指す。源平の「治承・寿永の乱」の時代であったため、源頼朝の源氏方では、この元号を使用せず、養和の前の治承(私は「ちしょう」と読むことにしている。現行の年譜上では一一七七年から一一八一年までの期間を指す)を引き続き、使用していたが、源氏方と朝廷の政治交渉が本格的に行われ、朝廷から寿永二年十月の宣旨が与えられた寿永二(一一八三)年以降は、京に合わせた元号が鎌倉でも用いられることになった。逆に、平家方では「都落ち」した後も、次の「元暦」と、それに次ぐ「文治」の元号を使用せず、この「寿永」を、その滅亡に至るまで使用し続けた。元暦は一一八四年から一一八五年。

「妖怪(あやかし)」「あやかし」と言う語は、現行では不思議な対象や「妖怪」の意で広く用いられることが多くなったが、第一義としては、本来は狭義に海の怪異や海の妖怪の名として用いるのが正しく、船が難破する際に海上に現れるという化け物で、舟幽霊や海坊主に強い親和性を持った海産妖怪である。但し、私も響きが「えうくわい(ようかい)」「ばけもの」「おばけ」より遙かにお洒落で好みなために、海の妖怪以外にも頻繁に広義に用いてしまっていることは告白せねばならない。ウィキの「アヤカシ(妖怪)」によれば、『「あやかし」は、日本における海上の妖怪や怪異の総称』。『長崎県では海上に現れる怪火をこう呼び、山口県や佐賀県では船を沈める船幽霊をこう呼ぶ』。『西国の海では、海で死んだ者が仲間を捕えるために現れるものだという』。『対馬では「アヤカシの怪火」ともいって』、『夕暮れに海岸に現れ、火の中に子供が歩いているように見えるという。沖合いでは怪火が山に化けて船の行く手を妨げるといい、山を避けずに思い切ってぶつかると消えてしまうといわれる』。『また、実在の魚であるコバンザメ』(条鰭綱スズキ目コバンザメ科コバンザメ属 Echeneis のコバンザメ類)『が船底に貼り付くと船が動かなくなるとの俗信から、コバンザメもまたアヤカシの異称で呼ばれた』。『鳥山石燕は』「今昔百鬼拾遺」(安永一〇(一七八一)年板行の妖怪画集)『「あやかし」の名で巨大な海蛇を描いているが、これはイクチのこととされている』(「いくち」については、私が喋り出すとエンドレスになるので、私の古い電子化注「耳囊 卷之三 海上にいくじといふものゝ事」の私の注を参照されたい。全く独自の正体説をブイブイ言わせている)。『江戸時代の怪談集『怪談老の杖』に、以下のような記述がある』。『千葉県長生郡大東崎でのこと。ある船乗りが水を求めて陸に上がった』。『美しい女が井戸で水を汲んでいたので、水をわけてもらって船に戻った。船頭にこのことを話すと、船頭は言った』。『「そんなところに井戸はない。昔、同じように水を求めて陸に上がった者が行方知れずになった。その女はアヤカシだ」』。『頭が急いで船を出したところ、女が追いかけて来て船体に噛り付いた。すかさず櫓で叩いて追い払い、逃げ延びることができたという』とある。

「壹越調(こつてう)」「壱越調」(現代仮名遣「いちこつちょう」)の原義は、雅楽の六調子の一つで「壱越」の音、則ち、洋楽音名の「ニ」の音(D・「レ」)を主音とした音階。但し、ここは「低い声の調子」の謂いであろう。他に「張り上げた声」の意もあるが、ここに相応しくない。

「長門(なかと)の國へもかたむきひかふと聞しかば、又、舩にとりのりて、いづくともなく、おし出す。心の内ぞ、哀なる、保元の春のはな、壽永の秋の紅葉とて、ちりぢりになり、うかぶ一葉の舟なれや、柳が浦の秋嵐の、追手がほなる跡の浪(なみ)、白鷺(さき)のむれ居る松見れば、源氏の旗をなびかす多勢かと、肝を消す」修羅能の代表的な一つとして知られる世阿弥が出家する以前の自信作の一つとする謡曲「清経」の一節。

   *

〽〔地〕 かかりける所に 長門の國へも 敵向ふと聞きしかば また舟にとり乗りて いづくともなく押し出だす 心の内ぞ哀れなる げにや世の中の 移る夢こそまことなれ 保元の春の花 壽永の秋の紅葉とて 散りぢりになり浮かむ 一葉の舟なれや 柳が浦の秋風の 追手顏なる後の波 白鷺の群れ居る松見れば 源氏の旗を靡かす 多勢かと肝を消す ここに淸経は 心を籠めて思ふやう さるにても八幡の ご託宣あらたに 心根に殘ることわり まこと正直の 頭(かうべ)に宿り給ふかと ただ一筋に思ひ取り

   *

「舷(はた)」「舷(ふなばた)」。

「舩底に居たる人」舟の中で横になっていた人。

「滿舩(まんせん)の淸夢(せいむ)、星河(せいか)を壓(おす)」元末明初の詩人唐珙(字は温如)の七絶「題龍陽縣靑草湖」(龍陽縣の靑草湖に題す)という題の以下の結句らしい。

   *

西風吹老洞庭波

一夜湘君白髮多

醉後不知天在水

滿船淸夢壓星河

 西風 吹き 老洞庭の波

 一夜 湘君 白髮 多し

 醉後 知らず 天 水に在るを

 滿船の淸夢 星河を壓(お)す

   *

満点の星が反映した小船の中の小宇宙の清らか夢は、虚空の無限にして夢幻の天の川へと、この小舟を大船の如くに押し出だすとでも言うのか? この詩、知らなかったが、なかなかいい。

「關(せき)舩」「せきぶね」。中型の軍用船の呼称。当該ウィキによれば、『日本の水軍で中世後半(戦国時代)から近世(江戸時代)にかけて使われた。大型の安宅船』(あたけぶね)『と、小型の小早』(こはや)との中間の大きさの軍船。『性能的には安宅船より攻撃力や防御力に劣るが、小回りが利き、また速力が出るため』、『機動力に優る。安宅船を戦艦に喩えるなら、関船は巡洋艦に相当する艦種である。名称の由来も、この種の船が機動性に優れていて、航行する他の船舶に乗りつけて』、『通行料を徴収する水上の関所としての役割に適したことに基づくといわれる』。また、「日葡辞書」には「xeqi」(関)を「関所」・「海賊」、「xeqibune」を『「海賊船」と記しており、水上の関所と海賊衆、そして関船が密接な関係にあったことを示唆している』。『構造的に見ると、船体のほぼ全長に渡り矢倉と呼ばれる甲板を張った上部構造物を有する形態(総矢倉)で、艪(ろ)の数が』四十から八十挺で『あるものが関船に該当するとされる。総矢倉を有する点では安宅船と共通するが、安宅船の船首が伊勢型や二形型の角ばって水中抵抗の大きな構造だったのと異なり、一本水押』(いっぽんみよし:船首にある部材で、波を切る木。舳先が純粋に一本のみのもの)『の尖った船首である。船体の縦横比も安宅船よりも細長く、高速航行に適している。一本水押』『など基本的な構造は、江戸期の主力商船である弁才船に近い。総矢倉の周囲は楯板と呼ばれる木製装甲で囲われており、戦闘員や艪をこぐ水夫を矢や銃弾から保護しているが』、『安宅船よりも楯板が薄く防弾性能は低い。軽量化のため竹製の楯板になっていることもある。帆柱は取り外し可能で、巡航時には帆走し、戦闘時に帆柱を矢倉の上に倒して艪によって航行する』。『攻撃手段としては、乗船した武者が装備する火縄銃や弓矢による射撃と、敵船に接舷しての移乗攻撃が主なものである。射撃のため、楯板には狭間と呼ばれる銃眼が設けられている。当時の和船に共通する特徴として、関船も竜骨を用いずに板材を釘と』、『かすがい』『で繋ぎ止める造船法をとっており、軽量かつ頑丈であるものの、衝突による破損には弱く体当たり攻撃には適さない。そのため、西洋船や中国船より採れる戦術の幅が狭い』。『江戸時代に入ると幕府により』五百『石積み以上の大型軍船の建造が禁止されたこと(大船建造の禁)と、平時の海上取り締りには』、『安宅船よりも快速の関船のほうが使い勝手に優れることから、関船が最も大型の軍船となった。西国諸大名が参勤交代に用いる御座船にも、豪奢な装飾が施された関船が用いられるようになった。幕府も将軍の御座船として関船「天地丸」を使用している』とあるから、ロケーションとしても腑に落ちる。

「しばらく挑灯を消し」命に反して遅れているために、本船の者に気づかれぬように灯を消して運航したのである。

「圍洲(いす)」これが判らぬのだが、恐らくは突如、あり得ない深いはずの海の海上に出現するところの怪砂州・怪岩礁である。こいつは、一発で座礁させてしまい、乗り手が助かる可能性も低いから、凶悪にして致命的な「あやかし」の一つである。私が直ちに想起したのは、復刻を所持する「絵本百物語」(天保一二(一八四一)年板行の彩色絵入奇談集。桃花山人著(江戸後期の戯作者桃花園三千麿のことともするが、実際には不詳である。挿絵は竹原春泉斎である)の三巻の六丁に出る「赤ゑいの魚」である。ウィキにそれを単独で扱った「赤えい(妖怪)」があり、図もここで見られる。私は、真正の海異としての「あやかし」の有力な一つとして、ポピュラーなチャンピオン「舟幽霊」と「海坊主」の三番手に挙げたいのが、実はこいつなのである。

「阿古が崎」この名では不詳。しかし、これは先に「一の谷・須磨」の南の瀬戸内海を航行しているのだから、「あこがさき」→「あこうがさき」で、兵庫県赤穂市御崎(みさき)(グーグル・マップ・データ)のことではなかろうか?

「はるか南に、殿の關舩、見へ來れり」西でない以上は全く問題ない。]

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