譚海 卷之三 京都の町家の有樣
京都の町家の有樣
○京都の町家建(たて)つゞきたる所は、二條より三條迄也。一條通も年は田野まじりて有、五條より七條までもかくの如し、八條九條は人家つゞかず、みな田地なり。さるがゆゑに叡山愛宕男山などに登り見るに、京都の町家は、すべてはじより端(はし)までのこりなく見わたされ、かくるゝ所なし。三條通四條通の外は、みな町の末田野なるゆゑ、そのさかひに木戶をたてて、初夜[やぶちゃん注:夜の初め頃。戌の刻(午後八時からの二時間)。]より門をとぢ、往來の人その所へ用あるよしいはざれば、門をひらきて通す事をせず。門のかたわらに小(ちひさ)き板こしらへの番屋を置て、晝は取のけ、夜は出(いだ)すやうに車にて引(ひき)やり、自由に成(なる)やうにこしらへたるもの也。ある人語りけるは、六條町尻(まちじり)の番屋によるよる戶をたゝきて番人の名をよぶ事たえず、戶を明(あけ)てみれば人なし、内より伺ひ見たるにむじな[やぶちゃん注:狸。]成(なる)べし、犬より大きなるもの、番屋の戶にうしろざまにより懸り、かしらにて戶をうちたゝき、番人の名をよぶありさまなり。いかで此むじな生捕(いけどり)にせんと、人にも牒(しめ)し合せて待居(まちゐ)たるに、例の如く來りてたゝく時、番人はもとより外にかくれ居(をり)、戶に繩を付て外にてひかへ居たれば、戶をうちたゝくに合(あは)せ繩(なは)を引たれば、戶のあくるに合せてあやまたずむじなうしろざまに番やにまろび入たるを、やがて戶をとぢ人を呼(よび)まはして、むじな生(いけ)とりたるを、いかにして取(とら)えんとさはぐに、あるもの蚊帳(かや)を持來(もちきたり)て番屋におほひ、蚊帳ごしに戶を引明(ひきあけ)たれば、むじなおどり出(いで)たれ共(ども)、蚊帳にまとひてうろたゆる[やぶちゃん注:ママ。]所を、みな集りて打殺しつ。扨むじなを料理(つくり)てくらはんとするに、誰(たれ)も鍋かすものなし。一人(いちにん)才覺をめぐらして、鍋屋に行て大きなる古鍋をとゝのへ價(あたひ)を渡し、先(まづ)此鍋持行(もちゆき)て主人に見すべし、心にかなひたらば調へ侍るべし、さもあらずば返し申さんと約して、持來(みちきた)て人々むじなを烹(に)てうちくひ、扨その鍋をば返し、やがて價をとりもどしぬといへり、をかしき事になん。
[やぶちゃん注:これ、落語みたようで、なかなか面白い。通りはサイト「平安京条坊図」を確認されたいが、北端に一条大路で、そこから二条大路までは方形半分(二画分)で五区画と長く、以下、南端の九条大路までは位置方区画四画分で均等にある。]