怪談老の杖卷之四 福井氏高名の話
○福井氏高名の話
豐後の國に玉木といへる在所あり。
福井翁、城主に仕へし頃、君命によりて、鳥を討(うち)に出ける。折ふし、雪みぞれ、ふりて、寒氣、いと堪がたき頃なり。暮方に、鐵砲、うちしまひ、名主の宅にて、夕飯などしたゝめ、立歸る。
御城より、四里ばかりある處なり。
處の農夫、二、三人、役(えき)にかられて、供をし、御城まで送りける。福井、いはれけるは、
「我を送りて、また、立歸らば、さぞ難義なるべし。歸りて休め。」
とて、暇(いとま)をやりければ、
「難有(ありがたし)。」
と、いく度も、禮、いひて、歸りぬ。
段々、來りて、御城下近き所に、右の方は寺にて、卒塔婆垣、心よからぬものなり。
空は、はれて、大きなる梢より、月、あかく、さし入(いり)、みぞれの上にきらめきて、おもしろきけしきなるに、獨りごちして、坂をのぼりゆく時、上の方より、
「おいおい」
と啼(なき)て來(きた)るもの、あり。
近づくまゝに、これをきけば、女の聲なり。
其頃、世に沙汰して、此邊に「うぶ女(め)」、出(いで)て、人をおどかすといふ事、專らなり。
福井翁、おもはれけるは、
『姑獲鳥《うぶめ》といふもの、たやすく出(いづ)べき物にあらず。察するに、盜賊などの、それに託して、人をなやますものなめり。何にもせよ、からめ取りて、御城下の取沙汰を留(と)めん。』
と思案して、傍(かたは)に、人一人かくるべき程の崖のあるに、身をそばめて窺ひ居(を)られけるうち、なく聲、ちか付(づき)て、坂を下(くだ)り、此がけの前を過ぐるをみれば、わかき女の、赤裸にて、兩手にて、顏をおさへて、さも、物あはれになきて來(きた)るなり。
やがて[やぶちゃん注:即座に。]おどり出て、腕をとりて、ねぢ伏せければ、
「ア。ゆるさせ給へ。」
とて、ふるふ事、限りなし。
「おのれ。何ものなれば、かく深夜に及(およん)で、かく、姿にて、徘徊はするぞ。妖怪にもせよ、何にもせよ、誠の正體を顯はすべし。」
と、いはれけるとき、彼女、答へて、
「全く、あやしきものに侍らず。わたくしは、御城内佐藤主稅(ちから)殿組(くみ)の、足輕なにがしと申ものの妻にて侍(さふら)ふが、此下(このした)なる、豐後しぼりを致して渡世する彌右衞門と申(まうす)者は、私の親にて侍るが、重く煩ひて候程に、看病のため、親共方(おやどもかた)へ參りて居侍(ゐさふら)ふが、明朝(みやうてう)用(もちふ)べき藥を用ひきりて候まゝ、醫師のもとへ藥をとりに參りて、只今、歸る道、上の山にて、大(おほき)なる男、出(いで)て、無二無三に着物をはぎ取り、からき命、助かりて歸るにて候。」
と、語りけるにぞ、
「扨は。不便なる事なり。扨、其盜人(ぬすびと)は何方(いづかた)へ行たるぞ。程久しき事にては無きか。何とぞ、取もどしやるべし。」
と云はれけるにぞ、女、悅ぶ事、斜(なのめ)ならず、
「右の方(かた)の山のうちへ入りて候。暫しの間(あひだ)の事にて、遠く行(ゆき)候はじ。」
と、いふ。
「先(まづ)寒かるらんに、是を着よ。」
とて、上なる衣(ころも)をぬぎて、彼(かの)女に着せ、かの崖の内へ入れ置(おき)て、
「我が歸るまで、何方ヘも行くべからず。」
と、いひ含めて、坂を左へ尋ね入(いり)ける。
元來、此左の方は海岸に傍(そ)ひて、逃ぐべき道のなき所なれば、
『必定(ひつぢやう)、尋ね當(あた)るべし。』
と、事もなげに思ひて行に、月影に、ちらり、ちらりと、人かげの見ゆる樣なり。
『あやし。是こそ盜人なめり。』
と、つらつらと寄りければ、大の男なり。
「己(おのれ)は、今の程、往來の女を、はぎとりたるよ。其衣類を返すべし。」
と、聲をかけければ、
『叶はじ。』
と、おもひけん、帶にて、ゆはヘたる衣類を投げ出しけるを、それには目をかけず、引(ひき)ぬいて、打(うち)かけければ、肩先を切られて、とある、いはほの上へ、はひ上りけるを、なほ、追かけて拂ひける刀に、急所にや當りけん、
「うん。」
と、いふて、倒れけるを、うち捨て、衣類を携へ、もとの所へ來りて、女に着せければ、ものをもいはず、手を合せて伏し拜む。
迚(とて)もの事に、
「その方が宿まで、送り遣すべし。」
とて、つれ行(ゆか)れける。
「爰にて候。」
と、いふて、門の戶を明(あく)るより、
「わつ。」
と、いふて、なきこみぬ。
近所のものにてや、ありけん、五、六人、集りて、
「何故(なにゆゑ)、戾り、おそかりし。」
など、詮議最中の體(てい)也。
「是は、その方が娘か。」
と問ひけれぱ、
「いかにも。私の娘なり。どなたなるぞ。此方(こなた)へ御入(おはいり)なされよ。」
と云ひけるを、
「慥(たしか)に渡したるぞ。」
と立出られける。
娘も、あまりにかなしきに、心や、せまりけん、具(つぶさ)にわけをもいはねば、
『たゞ下通(しもどほ)り[やぶちゃん注:帰り道。]、道づれの送りたる。』
と思へるにや、隨分、麁相(そさう)なるあいさつなりける。
かく、往返の間に、八ツ[やぶちゃん注:午前二時。]の鐘なる頃、御門(ごもん)へ入られける。
翌日、彼(かの)娘の親類どもより、
「夜前、ケ樣(かやう)々々。」
と訴へ出(いで)、
「慥に御城内の御諸士樣方と存候。取紛(とりまぎ)れ、御名も不ㇾ承(うけたまはらず)、不調法の段。」
言上(ごんじやう)しけるにより、
「八ツ時に門へ入りたる誰ならん。」
と、詮議ありてこそ、福井氏の手柄、かくれなく、殿にも御感淺からざりし、となり。
かの盜人は、その手にて、死(しし)ければ、死骸、幷に、年頃盜み置きし雜物(ざうもつ)など、皆々、上(かみ)へあがりけり。
「その中に、家中の士、拜領の腰の物を盜まれて、訴へも出ずおきたりしが、その雜物の中にありて、不首尾、甚しかりける。」
と云へり。
彼盜人は、もと家中の草履取(ざうりとり)なりしが、惡黨に陷りて、かく淺ましき體(てい)になりける。
「是より、此所(このところ)の妖怪の沙汰は、やみし。」
と、いへり。
福井翁の直(ぢき)の話を聞(きき)て、爰(ここ)に記(しる)す。
[やぶちゃん注:このロケーションの同定が出来ない。豊後国で玉木という地名が藩内にあり、その藩は少なくとも一部が海に面している。しかも、本書は宝暦四(一七五四)年板行くであるから、江戸中期末から後期が時制となろう(今まで見てきた通り、直近の事件であることが多い)。とすれば、天領地と島原藩・延岡藩・肥後藩飛地は除去され(陣屋はあっても城はない)、海に接していない岡藩・森藩及・交代寄合領立石藩(城なし)は外れる。すると残りは、杵築藩・日出(ひじ)藩・府内藩・臼杵藩・佐伯(さいき)藩の五つである。さらに私はこう考える。この事件のロケーションは海に近いが、城は海の近くにあるわけではないのではないか? という推理である。これを適応すると、海のごく直近にある杵築城・日出城・臼杵城は外せる。残るのは府内城(大分城)・佐伯城となる。ところが、ここで窮する。何故なら、玉木という地名が現在の大分県内には見当たらないからである。零に戻して考え直す必要がありそうだ。
「うぶ女」「姑獲鳥《うぶめ》」登場した際には真正の哀れな妖怪姑獲鳥かと見紛うたが、実は本篇は疑似怪談である(しかし、私はこの一篇、好きだ。福田翁が如何にも古武士のようにカッコいいからである)。私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 姑獲鳥(うぶめ) (オオミズナギドリ?/私の独断モデル種比定)」を参照されたいが、特異的な実録風に書かれた一つを挙げるならば、私は「宿直草卷五 第一 うぶめの事」をお薦めする。]
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