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2021/03/04

明恵上人夢記 93

 

93

一、同七月【十七日。十九日。】、深き心を起して、「六時(ろくじ)の行(ぎやう)」を企(くわだ)つ。又、深く心に十心(じふしん)を起す。同廿日の夢に云はく、淸淨の綿を以て、多宇佐儀(たふさぎ)に懸けたり。又、一人の女房有りて、護身と爲して、予に近づきて語る。「夢に云はく、和尙の邊に糞穢(ふんゑ)の香(か)、有り。只、護身、爲(な)らざるのみに非ず。剩(あまつさ)へ、此の穢れたる相(さう)有り。」。心に慙(は)ぢて、之を思ふ【之を思ふべし。】。

[やぶちゃん注:時制推定は「90」の私の冒頭注を参照されたい。彼を取り巻く「糞穢の香」は私には、「90」夢に出た、彼を「渡りに舟」の人物として陰で利用せんと画策している当時の現実社会の仏教や政治家らの汚物臭と感じる。

「六時の行」六時は六分した一昼夜を指す(その中はまた、「昼三時」と「夜三時」に纏められ、「晨朝(じんじょう)」・「日中」・「日没(にちもつ)」を昼三時と、「初夜」・「中夜」・「後夜(ごや)」を「夜三時」と称する)。則ち、一切の有意なインターミッションを持たない一昼夜連続の過酷な行法を指す。

「十心」恐らくは、「十住心」(じふじゆうしん)の「秘密荘厳住心」、則ち、「真言の秘密の法門を悟る心を観想すること」を意味しているものと思われる。「十住心」は空海が宗教意識の発達過程を十種の心の在り方に分類したもので、㊀「異生羝羊住心」(動物のような低俗な本能に支配される凡夫の心)、㊁「愚童持斎住心」(人倫の道を守る程度の人の心) 、㊂「嬰童無畏住心」(人間界の苦しみを厭離(おんり)して天上の楽を求むるレベルの心) 、㊃唯蘊(うん)無我(住心五蘊(存在を構成する要素(色(しき)・存在一般を構成する作用・機能の様態である「受」(感受)・「想」(表象)・「行」(意志)・「識」(識別))の法は実在するものの、我(が)はないと覚知する声聞(しょうもん)の心) 、㊄抜業因種住心(人間の苦の根本体である原因を完全に除去せんとする縁覚の心) 、㊅他縁大乗住心 (人法の二我を離れて慈悲心によって衆生を救おうとする心) 、㊆覚心不生(ふしょう)住心(心の不生を覚る心) 、㊇一道無為住心(あるがままの真理をそのままに悟る心)、㊈極無自性(ごくむじせい)住心(真如が縁によって現れることを直ちに知る心)の九段階を経なければ、摑むことは出来ないとされる。

「多宇佐儀(たふさぎ)」これは底本のルビである。原題仮名遣は「とうさぎ」。漢字表記は「犢鼻褌」「褌」。直接に肌につけて陰部を覆うもの。「下袴(したばかま)」。古くは「たふさき」と清音であったか。褌(ふんどし)一丁のみの姿である。そこにぶら下げた「綿」とは何か? 判らない。浄化された明恵自身の胞衣か?

 

□やぶちゃん現代語訳

93

 同七月[明恵注:十七日及び十九日の両日。】、思うところあって、心に決意を立てて、「六時の行(ぎょう)」を企(くわだ)てた。また、深く、心中に「十心(じゅうしん)」に至らんことを起請した。

 それを成就し得たと思った、明けた同二十日、こんな夢を見た――

 私は清浄な綿を以って、褌(とうさぎ)に懸けている。

 そこに、一人の女房がいて、私の護身役として在り、私に近づいて、次のように語った。

「私(わたくし)、夢にあなたさまについてのお告げを受けました。それは、『和尚さまの周辺に糞穢(ふんえ)の絶え切れぬほどに臭い気(かざ)が満ちている』と。されば、私は、ただ、あなたさまの護身のため、それのみならず、この忌まわしき穢れている御仁の相(そう)のためにここにおるのです。」

と。

 夢の中にあって、私は、心底、恥じて、その事実を強く感じていた[明恵注:この「恥」をよく考えなくてはならない!]。

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