怪談老の杖卷之三 德島の心中
○德島の心中
阿波の德島に筏屋(いかだや)といへる材木問屋ありしが、此店(たな)は大坂店(だん)にて、此先祖より世帶は大坂にたてゝ、阿波は手代持(てだいもち)の樣にし、主人も半年程づゝ、阿波に下りて世話しける。
忠兵衞といへる主人の時、阿波の在邊に、宮部周庵とて、醫師をして、大百姓のありし。
娘に「ちさ」とてありし。當年十五にて、其容儀、一國にもならびなき程なりしを、ふと、見そめて、人をたのみ、貰ひけるに[やぶちゃん注:仲人を立てて、嫁に貰うことを交渉して貰ったところが。]、周庵も、あらまし、合點しけれど、
「大坂へ遣はす事、船の上、氣遣ひなれば、德島の店におくならば、相談すべし。」
と、いひけるが、忠兵衞、身も世もあらぬ程に執心なれば、
「やすき事なり。」
とて、
「阿波の店へ迎へ取りて、婚禮、取結ばん。」
と、いひける。
重手代共は、
「阿波の娘ばかり、女にてもあるべからず、先祖より、『世帶は大坂に定(さだま)りたる家法にて、決して阿波に妻子おくべからず。家の爲、あしき事、あるべし』と、遺言同然なれば、無用。」
と、いひけれど、忠兵衞、少しも用ひず、
「大坂にては、妻女ども、奢(おご)りて、家の爲にならず。結句、阿波へ世帶を引移(ひきうつ)したるがよし。そちたちが了簡は、杓子定規なり。むかしの法は、今のやくには立ぬ。」
とて、終(つひ)に阿波へ妻を引取り、大坂の店を手代にまかせおき、しばしの間をも、別れを悲(かなし)び、德島にのみ居(をり)けるが、命數限りありけるか、又、晝夜をわかぬ水遊び[やぶちゃん注:遊女を揚げて遊ぶこと。]の不養生にや、二タ月程、煩ひて、身まかりぬ。
未だ、子なし。手代どものなげき、「ちさ」はかなしび、偏(ひとへ)に闇夜に燈(ともしび)の消(きえ)たる心なりしかど、阿波にも、手代ども、しつかりとありて、商賣のかけ引、油斷なければ、主人息才[やぶちゃん注:「息災」に同じ。]なりしときのごとく、繁昌しける。
後家も、いまだ、十七になりければ、娘同然と、あどなき[やぶちゃん注:「あどけなし」に同じ。]程なるを、忌服(もふく)[やぶちゃん注:「服喪」のこと。通常は一年。]も過(すぎ)なば、
「外(ほか)より、入緣なりとも、取結びて、筏屋の、あと式を、かためん。」
と、年久しき久右衞門といへる老人の手代、阿波へ下りて居(ゐ)ける。
爰に、此家に松之助とて前髮[やぶちゃん注:月代を施していない前髪姿の元服していない少年。]の小者あり。津の國長柄(ながら)[やぶちゃん注:現在の大阪府大阪市北区の長柄地区(グーグル・マップ・データ)。]の者にて、親元も賤しからざる者なるが、親、きびしき生れにて、
「人につかはれて見ねば、人はつかはれぬものなり。若きときは、何をしてもよし。」
とて、此家ヘ小僕《でつち》奉公に出し、阿波の店へ、下しおきける。
生れつき、みやびやかにて、しかも發明なる生たちなりければ、忠兵衞、世にありしとき、殊の外、あいして、我(わが)そばをはなさず遣ひける。
忠兵衞、楊弓[やぶちゃん注:「やうきゆう」。矢場で楊 (やなぎ) 製の小弓で的を射る遊戯。]・茶の湯・俳諧など好きければ、「ちさ」と、松之助、いつも相手にてありけるに、何事も器用にて、俳諧は忠兵衞よりも、よき程なりし。
忠兵衞、おはりても、ちさが相手にて、楊弓など、ゐたり、茶、俳諧などもしける程に、「ちさ」が傍(かたはら)をはなれず、主從の樣にもなく、「遊びがたき」[やぶちゃん注:遊び相手。]にてありけるが、たがひに愛する心より、戀慕のやみに、禮義をわすれ、また「ちさ」も淋しきねやの内に、先夫のありしよの事など、おもひ出(いだ)せし雨の夜(よ)などは、松之助を、ねやへよび置(おき)て、
「そちは、旦那の、殊の外、不便(ふびん)下されしものなり。そち計(ばかり)が旦那の形見なり。」
など、たはぶれしより、いつとなく、偕老のちぎり、あさからず、
「外(ほか)に女の手をもとるまじき」
といふ起請まで書せて、「ちさ」が方へとり置けるを、家内のものは、夢にもしらず。
はや、忌服もたちし事なれば、伴頭久右衞門、思ひけるは、
「若き後家御(ごけご)を、ひとり置かんも、いかゞなれば、大坂北濱[やぶちゃん注:大阪府大阪市中央区北浜。]に、先(さきの)忠兵衞從弟(いとこ)ありしを入緣(いりえん)に取りて、筏屋の跡を相續せん。」
と、まづ、周庵へ相談しけるは、
「後室さま事、未(いまだ)御若き事なれば、北濱の善右衞門、弐番目のむすこ、當(たう)三十餘(あまり)にて實體(じつてい)なる人なれば、入緣に取らんと存(ぞんず)るなり。貴公さへ御得心(ごとくしん)ならば、旦那一家衆[やぶちゃん注:亡き旦那(忠兵衞)の親族一同。]は不ㇾ殘合點なり。おちささまへも申上候へども、とかく壱人おきてくれ候やうにと仰候が、是は御前さへ御のみ込なされば濟む事。」
と談じける。
周庵も久右衞門が忠勤に感じて、悅(よろこび)に堪へず、
「娘事(むすめこと)は少しも氣遣ひ給ふな。我等、請(うけ)あふなり。善は急げなり、はやく、しるし[やぶちゃん注:婚約状。]を取給へ。」
とて、急ぎて相談しける。
神ならぬ身こそ、かなしけれ、「ちさ」は、はや、忍び忍びのかたらひ、滯りて、五月になりければ[やぶちゃん注:妊娠していたのである。]、
「いかゞはせん。」
とかなしく、
『所せん、自害。』
と、おもひけれど、故鄕のおやにも、なごり、をしまれて、
「一度(ひとたび)、御目にかゝりし上、ともかくも。」
と、久右衞門に願ひて、
「親里へ見舞度(たき)。」
よし、云ひけるを、久右衞門は、
『周庵方より、此間(このあひだ)の相談に、呼びよせしなるべし。』
と推(お)しければ、悅びて、
「いか樣(さま)、御不幸よりのちは、ひさぐ氣も御つめ被ㇾ成候へば、御出被ㇾ成、ゆるゆる、御保養なさるべし。御前(ごぜん)の御氣に入りの松之助をつれて御出被ㇾ成よ。女共も、誰(たれ)かれ。」
と、如才なく世話しける。
「ちさ」は、松之助が事、心の鬼[やぶちゃん注:ふと心に思い当たる「良心の呵責」の意。]に、はづかしく、
『若(もし)や、此事、さとりしにや。』
と、おもふ。
とかくいふも[やぶちゃん注:そうは言っても。久右衛門が松之助を連れて行かれませと言ってくれたので。]、嬉しければ、松之助、其外、若き女共、引つれ、駕にのりて里へ行ぬ。
道すがらは、我(われ)はおりて、松之助をのせなど、いたはりけれど、松之助は、おとなしく發明なるに、家内みなみな、かはゆがりて、贔屓(ひいき)しければ、氣を廻(まは)すもの壱人(ひとり)もなかりけり。
『よくよく、松之助、愛ある生れなりし。』
と覺ヘぬ。
扨、親周庵夫婦、悅びて、早速、久右衞門が入緣の相談せし物語をし、
「とかく、久右衞門殿、次第になりて居(を)るべし。」
と、いひけるを、
「その義は、いく重(ゑ)にも、御ゆるし。」
と、いひければ、後には、周庵、いかりて、殊の外、おどし、呵(しか)りける。
かねては、
『松之助わけ[やぶちゃん注:松之助とわけありの関係になったことを。]うちあけて、母へなりといはん。』
と、おもひ、行しが、中々、云ひ出(いだ)すべきたよりもなければ、また、松之助をつれ、德しまへ歸りて後、弐人ながら、心中して死ぬるにきはまりて、あけの日、松之助に手箱の金(かね)もたせ、吳服物商(あきな)ふ家へ遣(つかは)し、死裝束(しにしやうぞく)を拵(こしら)へける。
心のうちぞ、むざんなり。
頃は十一月末の事なれば、我は白むく計(ばかり)拵へて、五つ、きたり。
松之助にも、下へ淺黃(あさぎ)むく・黃むく、上に黑羽二重を着しける。
いつも藏へ「ちさ」衣類など出(いだ)しに行(ゆく)ときは、松之助が、手燭を持行(もちゆ)ける間(あひだ)、今宵も、ふたりにて行しが、待(まち)ても、下(した)へおりず。
召仕ひの女御《をなご》ども、あやしみて、二人づれにて、行て見れば、いつの間に、はこびおきけん、提子[やぶちゃん注:「ひさげ」。銀・錫製で鉉 (つる) と注ぎ口のある小鍋形の銚子 (ちょうし) 。]・さかづきなどあり。蒲團(ふとん)の上へ氈[やぶちゃん注:「かも」。獣毛で織った敷物。]を敷(しき)、松之助、さきへ死したりと見へて、ふえを、かき、うつぶしに、ふしたる上へ、「ちさ」も、打かゝりて死し居たり。
いづれも、きれいに[やぶちゃん注:ママ。]死(しし)たり。
下女は、是をみて、きもをつぶし、下ヘおりて、久右衞門にしらせけり。
久右衞門、おちつきたるものなれば、下女の口をとめ、壱人、上(あが)りて、それより、、周庵、よびに遣はし、奉行所へ訴へ、檢死を乞ひて、別事なく、取おきぬ。
久右衞門、こぶしを握り、
「かくと、夢にもしり候はゞ、若き夫婦ふたり、ころしは致申(いたしまうす)まじ、松之助も、此家のあとめに立(たち)ても恥かしからぬものなり、さても、殘念さよ。」
と、甚(はなはだ)くやみし、と云へり。
夫より、筏屋の家、おとろへ、此家も人の手へ渡りぬ。
此家藏(いへくら)を買(かひ)て來りし人、ある時、藏へ用事ありて、五ツ時分[やぶちゃん注:午後八時頃。]に、手燭をともし、上りければ、人影のみゆる樣(やう)なるを、
『盜人にや。』
と、怪しくて、伺ひみければ、松之助、「ちさ」が、ありし姿、あらはれて、ふたり、手をとりくみ、なきみ、笑ひみ、しける。
かの者、不敵の者にて、事ともせず、上りて見ければ、はや、消えうせて、みへずなりける。
夫(それ)より、藏をば、こぼちて、賣り、佛僧を請じて、經、よみ、いろいろの作善(さぜん)して、ふたりの菩提を懇(ねんごろ)に弔ひしと、いへり。